スリヤ佐野一夫 シティプレイズチャーチ主任牧師
クリスマスの奇跡は、最初の人アダムの子孫である全人類を、その罪から贖う最後のアダム、イエス・キリストの誕生です。聖書が記録する最初と最後のアダムについての記述が「正確な歴史的事実」であることの信仰について、書いてみたいと思います。
最後のアダム-贖いと回復 医者ルカは、主の生涯の出来事について綿密に調べ、テオフィロに書き送りました。それによって、すでに教えを受けた事柄が「正確な事実」であることを、よくわかってもらうためです(参照:ルカ 1:4)。 最後のアダムであるイエスは、処女マリアの胎に聖霊によって宿られました。処女ですからヨセフの血は受け継がれません。処女マリアの胎の中で、聖霊による奇跡が行われました。聖霊ご自身によって直接創造された受精卵が、マリアの胎に着床しました。「第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です」(Ⅰコリ 15:47)。 このように、この世界を創造された子なる神イエスは、聖霊の超自然的な働きにより、アダムの罪性から切り離された新しい被造物として、ご自分の造られた世界に来られました。私は、聖書に書かれている通りに、キリストの処女降誕の奇跡を信じます。
最初の人アダム-創造と堕落 聖書によれば、最初の人アダムは、創造の第六日に造られました。「神である主は、その大地(hm'd'a]h'ハ・アダマー)のちりで人(~d"a'h'ハ・アダム)を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」(創 2:7)と書いてあります。 クリスチャンになる前、私は進化論者でした。土から造られたアダムの記述について納得のいく説明が必要でした。進化と聖書の創造の記述は相いれません。司法試験の受験生であった私にとっては、全ての主張において、その理由付けと論理的整合性が絶対に必要でした。法律学を学ぶ者にとって、「聖書に書かれている内容について真っ直ぐな文言解釈をしようとせず、自分の都合の良いようにねじ曲げて、無理やりに拡張解釈や類推解釈をすること」は、詭弁以外の何物でもありませんでした。そこにはいくらでも私的解釈が成り立ち得ることとなり、聖書自体の信憑性はなくなります。 幸い、イエスへの信仰を持つ際、進化の概念の矛盾と瑕疵を確信し、「種類ごとに」創造されたと書かれている聖書の記述を文字通り信じることができました。使徒の働き2章などに書かれている聖霊に満たされる体験は、みことばを文字通り信じる信仰を与える啓示と力を与えるものでした。純粋な聖書信仰は、聖霊の力なくしてあり得ません。 私たちはレゴで人間の形を作ることができます。同様に全能なる創造主が、土を構成する原子を材料として、多くの化合物で構成されるアダムのからだを組み立てることは当然可能です。横たわっている人が死んで土に戻る様子をビデオで撮影して、それを逆回しにするならば、土から人間のからだが形造られていき、その中にいのちが戻る様子を見ることができます。創造主によるアダムの創造は容易に思い描くことができました。私は全能なる神を信じ、聖書の創造の記述を文字通り信じます。 アダムの罪は、神が取って食べてはならないと命じておいた善悪を知る知識の木の実を取って食べたことであると、聖書に書いてあります。それにより、アダムの子孫である全人類に罪が広がりました。
クリスマスの福音 聖書に書かれているクリスマスの福音は、最初に造られた人アダムから来る罪と死から私たちを贖うための、最後のアダム、救い主キリストの十字架による恵みといのちです(Ⅰコリ 15:45)。どうか、全能なる創造主が、最初のアダムと最後のアダムへの真っ直ぐで純粋な福音信仰を、あなたに与えてくださいますように。クリスマスの祝福が豊かにありますように。
スリヤ佐野一夫 1957年、静岡県生まれ。明治大学法学部卒業。レーマ聖書学院卒業。新宿シャローム教会副牧師を経て、東京シティチャーチ、清水シティチャーチを開拓。日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団正教師、クリエーション・リサーチ・ジャパン会長。
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