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教会史の中の霊性活動の道具
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QTと信仰 5 |
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イ・ギフン オンヌリ教会 副牧師、QT養育部 部長
QTは新しいものではなく、信仰の先人たちが実践してきた霊性生活の一つです。QTはどのように実践されてきたのでしょうか。
使徒の時代のQT 初代教会のペテロとパウロは、律法を黙想して再解釈し、それを宣言しました。彼らは、旧約聖書を黙想する中でキリストが預言どおりに死んで復活されたことを信じました(Ⅰコリ 15:3~6)。当時は律法主義が強調されていましたが、聖徒たちは、そこから抜け出そうとしました。パウロは、律法を再解釈して個人が神様に直接進み出ることを妨げる一切の制度や慣習を拒みました(ガラ2~3章、ロマ2章)。律法の価値と意味を否定するのではなく、律法を全きものにしようとしたのです。使徒たちにとってQTは、律法主義の信仰から抜け出すための道具でした。 教父時代のQT 教父時代の教会は、ローマによる迫害と異端、信徒たちに対するキリスト教弁証という困難に直面していました。しかし、教会は迫害をキリストの苦しみにあずかることだと受けとめました。キリストの十字架と復活の黙想は、苦難に打ち勝つ力を与えました。また、教会は教会と聖徒を守るために、神学を体系化する必要がありました。その体系化は、QTを通してなされました。また、キリスト教信仰を異教徒たちが理解できるよう、キリスト教の思想を組織化する必要がありました。アレクサンドリア学派の聖書本文を文学的、歴史的に黙想しようとした試みも、QTの一環であると言えます。 中世時代のQT 中世時代(キリスト教がローマの国教となってから宗教改革が起こるまで)には、教会は国家から恩恵を受け、成長しました。しかし、迫害がなくなると信仰が薄れ、教会は堕落し始めました。そのような流れの中で、霊的指導者たちは、修道院を建てて共同体生活をしながらキリスト教の霊性を維持するために努力しました。その代表的な人物が聖ベネディクトです。彼は、AD529年にイタリアのモンテ・カッシーノに修道院を建て、「レクティオ・ディヴィナ(霊的読書)」という霊性訓練を行いました。これは、聖書を読み、黙想し、祈り、適用するというものです。また、イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラは、「想像読書(imaginative reading)」という方法で霊的生活を送りました。聖書を黙想するとき、主と対話し、きょう自分に与えられるみことばを聞き、それを適用するという方法です。このようにQTは、中世時代になってようやく形が整いました。 宗教改革時代のQT 中世時代には、教会に所属し、教会が定めた教理を守ってこそ救われると考えました。しかし、マルティン・ルターは、QTを通して義人はただ信仰によるということを悟りました(ロマ 1:16~17)。彼は、教会の問題点をQTを通して解決しようとしました。ツヴィングリは、人は主のことばからのみ真の喜びを得ることができると、QTを強調しました。敬虔の霊性を強調したカルヴァンは、敬虔は神様を正しく知ることから始まり、神様を知る知識は聖書を通してのみ得られると信じました。このように宗教改革者たちは、QTを通して教会改革の必要性を見いだしたのです。 清教徒主義のQT QTを日常の義務としていた清教徒たちは、「随時の黙想」と「定時の黙想」をしていました。随時の黙想は、場所や時間を決めず自由にみことばを黙想する方法です。これは、時間と場所に縛られることなく、みことばを黙想できるという利点があります。定時の黙想は、一日のうち時間や場所を決めておき、規則的にみことばを黙想する方法です。聖書に示されている重要な主題(救い、摂理、愛など)について深く黙想できます。 敬虔主義のQT 敬虔主義運動は、徹底した聖書運動でした。敬虔主義のQTは、適用のある信仰を強調しました。頭だけの信仰ではなく、実践する信仰を追求しました。なぜなら、当時の聖徒たちが、救いは信仰によって与えられるという宗教改革の中心思想を誤解し、罪を軽く考え、信仰と生活のバランスを失っていたからです。フィリップ・シュペーナーは、『ピア・デシデリア(敬虔な望み)』の中で、信仰の価値は、みことばへの従順によって決まると主張しました。彼は、“教会の中の教会”という集いを作り、聖書の黙想と適用に積極的に取り組みました。 霊的リバイバル運動の中心となったQT ドイツで自由主義神学思想が展開されていた頃、イギリスとアメリカでは合理主義信仰に対抗するリバイバル運動が起こりました。一種のQT運動の結果だと見ることができます。なぜなら、この運動は、オックスフォード大学で彼が始めた“ホーリー・クラブ”(みことばの黙想のための集い)に来ていた学生によって始まったからです。つまりQT運動がリバイバル運動の原動力となったのです。
QTは「静かな時間(Quiet Time)」の略字で、ケンブリッジ大学で数人の学生が、社会で聖さを維持して生きるために始めた敬虔訓練です。彼らは、毎日聖書を読んで祈る時間を「敬虔の時間」(QT)と呼びました。彼らは、QTを通して生涯神様とともに歩み、宣教活動をしました。このように、QTは教会史の中で受け継がれてきた霊性生活の方法なのです。
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