キム・スクヒャン ムンレ洞ホーリネス教会、飢餓対策派遣宣教師
大学時代、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ロマ 12:2)というみことばを黙想し、私に対する主の御心を求めて祈りました。そして、宣教師としての使命を与えられました。31歳でフィリピンに派遣された私は、「ジョージ・ミュラーが人に頼らずに祈りだけで働きを続けたように、私にも神の力を体験させてください」と断食しながら祈りました。40日間の断食を終えて3週間後、ジョージ・ミュラーの意志を受け継いだ「Bread of Life」(いのちのパン)という教会が運営する孤児院から奉仕の要請が入りました。報酬もほとんどない仕事でしたが、祈りが答えられたことに喜びました。掃除をし、子どもたちに食事を与え、散髪もしました。そのようにして3年間、孤児院で親の役割をしていたとき、ある牧師と出会い、結婚しました。夫は暴力組織のボスでしたが、主に出会って悔い改め、貧民街での働きをしていました。夫とともに貧民街トンドに教育センターを建て、100人ほどの子どもたちに勉強を教えました。貧民街で孤児として育った夫は、苦労して稼いだお金で村の子どもたちを世話しました。そんなある日、夫が農場に行く途中で交通事故に遭い、主のもとに召されました。韓国に戻らざるをえない状況に置かれた私に、神様はもう一度「昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し……」(イザ 58:12)というみことばをくださいました。ごみで荒れ果てたトンドの子どもたちを、主の心で育て上げなさいというみことばでした。放課後クラスを開き、子どもたちの認識を変えるための教育を始めました。必要も主が満たしてくださいました。飢餓対策という組織の支援を受けられるようになったのです。その結果、なんと700人の子どもたちを世話することができました。神の恵みでした。トンドで育った子どもたちが大学を卒業してトンドに戻り、教師や働き人として奉仕してくれていることが何よりも感謝です。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」(Ⅰヨハ 4:18)。これからも主の愛によって彼らに仕えたいと思います。
| 国家情報 | フィリピンは東南アジアの島国の一つです。北側のルソン海峡をはさんで台湾、西側の南シナ海をはさんでベトナムがあります。環太平洋造山帯に位置し、火山が多く、地震がよく起こります。フィリピンは大きくルソン島、ビサヤ諸島、ミンダナオ島に分かれます。人口は約1億人で世界第12位です。様々な民族と文化が存在します。スペインによる植民地支配の時にカトリックが広がり、アメリカによる植民地支配の時に英語と西洋文化が伝えられました。首都はマニラ、公用語はフィリピン語と英語です。
| 祈りの情報 | 首都マニラにあるアジア最大の貧民地域トンド(Tondo)は、ごみの山の上に形成された居住地区です。大雨が降ると川が氾濫して村がごみにのまれ、子どもたちはごみの山の中から使えそうな廃品を探し出す仕事をしてお金を稼ぎます。親にも定職がない場合が多く、世帯当たりの平均的な子どもの数が4人以上で、経済的な苦しみも大きいです。一日に一食食べられればよいほうで、4~5坪ほどの家の中に6~7人家族が暮らしている場合もあります。ほとんどの家には電気が通っておらず、昼間も真っ暗な状態で、凶悪犯罪が多く発生しています。トンドに福音が伝えられ、子どもたちを助ける働き人が増えるように祈りましょう。
| キム・スクヒャン宣教師の祈りの課題 | 1.プロテスタントに拒否感を持つ子どもたちが多いのですが、彼らがイエス様を受け入れられるように。 2.「ラブ・トンド」訓練センター建設を推進していますが、それに関する必要が満たされるように。 3.親が心を開いて子どもたちを礼拝や集会に送るように。また、子どもたちと一緒に親も福音を受け入れるように。 4.凶悪犯罪がなくなり、恐ろしい状況の中でも働き人たちが大胆に福音を伝えられるように。
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