QTをする教会として有名なウリドゥル教会のキム・ヤンジェ主任牧師。 キム牧師は、2002年の『毎日QTする女性』から今年の『100%応答される祈り』まで、 QTに関する本を30冊近く出版してきました。 最近の抗ガン剤治療中にQTを通して得た、宝のような証しをお聞きしました。
病に打ち勝つ聖霊の満たし 昨年の秋、私が仕えているウリドゥル教会が使徒の働きの聖書個所でQTを始める頃、私の体にガンが見つかりました。世の人々はこれを神の怒りによるものだと言うかもしれませんが、主を信じる私たちは、エジプトでの病ではなく、主の大いなる輝かしい日に至り、その栄光にあずかる機会だと解釈しました。特に私は、使徒の働き2章1~21節のみことばを通して「聖霊の満たし」を宣言していた時に、私の身に起こったことを知らせることができて感謝でした。一般的に教会で主任牧師がガンのような大病にかかると、隠そうとします。しかし、私は聖日礼拝でそれを知らせ、つらい抗ガン剤治療中でもQTを続け、その中でみことばによって受けた恵みを、毎週、音声メッセージで聖徒たちに分かち合いました。 主を慕い求める知恵 ガン手術の後にさまざまな治療を受けますが、最もつらいのが抗ガン剤治療だと言われています。治療を受ける初日に与えられたみことばは「部分に切り分けて、全焼のいけにえとしてささげなさい」(レビ 1:6~9参照)でした。私は、抗ガン剤治療を受けながら、このみことばどおり体が焼けつくような苦しみを経験しました。そして、「満七週間が終わるまでを数える」(レビ 23:15参照)とあったため、医師の処方どおり、6回の抗ガン剤治療を進めていきました。肉体的には実に苦しい過程でしたが、信徒たちが祈ってくれていたので、私の心は平安で満たされていました。2回目の治療を受ける頃、QTの個所は箴言でした。学生時代の貧しさ、嫁姑間の葛藤、夫の突然の死など、さまざまな経験をしましたが、いつも今受けている苦しみが最後だと思っていました。しかし、さらに高くそびえ立つ山が現れ、その度に、「どうして私がこんな試練を受けなければならないの」と考えた高慢を、神様が私から取り除かれました。このすべての苦難は、私の中の高慢を追い出すためのものでした(箴 22:10参照)。私にできることは何もないことを悟りました。どんなに苦しくても「主をあおぐもの /のぼる / のぼる / わしのように」と賛美し、天の知恵を求めながら十字架の道を歩まなければならないのだと悟りました。また、自分が経験しなければ、ほかの人を理解することもできないということも悟りました。闘病生活をしながら、終わりの見えない苦難の中にある信徒のための祈りが、自然にあふれてきました。すべてのものを神様からの賜物として受け入れるなら、良くないものは一つもないと信じます。苦しみには意味があることを悟らせ、傷を星のように輝かせてくださる主をほめたたえます。
苦難の中で見つけたキリストの奥義 ガン闘病が聖霊の満たしを経験する出来事となり、私は、私にゆだねられたたましいをさらに深く愛するようになりました。昨年、聖徒たちに私がガンであることを告白したとき、「ガンなのですが、感謝していますし、喜びです。このガンを通してキリストの奥義を示します」と約束しましたが、本当に驚くべきことが起こりました。ウリドゥル教会は、開拓の時からみことばによって自分の苦しみや罪を解釈し、みことばを各自の生活に適用できるよう、聖徒たちを育ててきました。そして、一般信徒が直接講壇に立って、皆さんの前で罪や苦難を証しし、ともに祈ってきました。そのように一人ひとりに聖霊様が解釈してくださったみことばが非常に具体的だったので、その恵みはそっくりそのまま全聖徒に伝わりました。主任牧師が不在の中でも教会のリバイバルは続き、ウリドゥル教会のQTと罪の告白、そしてみことばの適用は、「銭湯QT牧会セミナー」を通してあちこちの教会に転移しています。 私は弱いですが、神様は私を通して失敗されません。私の苦難は神様が時にかなって与えてくださったものです。あなたや家族は苦しみの中にいますか。人生を襲った絶体絶命の危機の中で、どうすることもできずに苦しんでいますか。神のみことばの前に、静かに自分の罪と弱さを認めて悔い改めるとき、私にはできないことを神様がしてくださいます。私ひとりの罪の告白は取るに足りないかもしれませんが、多くの人を生かし、家庭を生かし、教会を生かす薬となります(エゼ 47:1~12)。高熱と高圧力によって誕生したダイヤモンドは、磨くほどキラキラと輝きます。罪と苦しみ、恥をみことばによって分かち合い、適用するQTの力が、主の原石である私たちを、磨くほど輝く宝石のような存在にしてくれるのです。
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