30年以上、一つの職場に勤めました。 退職後は教授になり、大学の講壇に立ちました。 職業と環境は変わりましたが、変わることなくつかんできたものがあります。 30年間ずっと『リビングライフ』でQTをしてきた ゴ・ギョンイル(62)長老に会いました。
QTによって優先順位を決める 私は、最初の職場である某銀行で定年まで働き、その後、2012年からは、ソウル近郊にあるヒョプソン大学において経営学を教えています。社会生活をしていると、さまざまな葛藤や難しい選択の瞬間があるものですが、QTを通して優先順位を決めたので、真実な神の導きをいつも受けることができました。 創刊当時の『リビングライフ』には、「きょうの優先順位」を書く欄がありました。私はその頃から、毎日、何を優先させるべきかを、みことばから見いだす習慣を持つようになりました。たとえば、私が勤めていた銀行は、すべての社内行事が日曜日にありました。長老であった支店長も、教会に行かずにピクニックに参加するような雰囲気でした。しかし、私は聖日遵守を最優先にしました。その代わり、ふだんはほかの職員の代わりに祝日の当直をするようにしました。自分の利益を犠牲にしてでも、一貫して信仰を守る姿を見せると、信じていない人々が私たちを恐れます。一方、人の目を気にして一貫性のない行動をすれば、困難はさらに大きくなります。お酒の問題もそうです。状況によって飲んだり飲まなかったりするなら、あの人は私を嫌って一緒に飲まないのだと考えます。しかし、どんな状況でもお酒を飲まないことを決断するなら、信仰のゆえに飲まないのだということを、すべての人が知ります。企業を対象に営業をする時も、地位の高い人にお酒で接待しようとはしませんでした。そして、最も低い職である経理や一般の職員にへりくだって接しました。すると、考えてもみなかった助けを受け、上の人とつながり、取引ができるようになることが、よくありました。周囲からは誠実で一貫性のある人だと認められ、信仰のない上司から自分のために祈ってほしいと頼まれたり、部下に職場での生活や信仰の悩みを相談されたりもしました。
QTは「絵」を描くことだ 私は、QTを定義するなら、「絵を描くこと」と言いたいです。主は、QTを通して私の姿や状況を描かせ、自分自身を振り返らせてくれます。悪い行動を悔い改め、新しく変えられた姿を信仰によって描きます。私たちが祈る時にも、心の中に絵を描きますよね。私は毎朝QTをしながら、一日の生活を描きます。朝の5時ごろ起きて、すぐに部屋の机のスタンドだけをつけて、1時間ほどQTをして祈ります。 こうしてQTによって優先順位を決めると、状況に振り回されることのない恵みがありました。ほかの職員が私を除け者にしてゴルフに行っても悲しまず、そのような状況を許された神に感謝しました。その時間に聖書を読み、読書もできたからです。QTの中で主人がしもべに「おのおのその能力に応じて」(マタ 25:15)タラントを渡したという個所に目が留まりました。「どうすれば与えられたタラントをうまく用いて良い忠実なしもべになれるだろうか」と考えながら祈っていると、神様が道を開いてくださいました。銀行に勤めている時、時間的にも経済的にも配慮をしてもらい、経営学の修士・博士課程を履修することができ、退職後には、キリスト教系の大学でコーチングの講義をすることになりました。QTの最大の益は、私たちに「謙遜」を身につけさせることであると信じます。「QTをすると知恵深くなる」と言いますが、自分の考えを捨てて主の御心に従う謙遜こそ、最大の知恵です。学生と話をしていると、名門大学に入学できなかった彼らの劣等感を感じることがあります。そんな学生たちに、勉強さえできれば価値ある人生になるという考えは正しくないということを教えます。謙遜にみことばの道を歩むなら、幸せになることができます。苦労のように感じていた瞬間も、過ぎてみると、すべてを働かせて益としてくださる神の大きな絵があることがわかります。
QTに人生を導かれる知恵 私の人生のみことばは、詩篇23篇です。困ったことがあっても「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」というみことばを黙想すると、忍耐する力が与えられます。最近も、人間関係や生活に苦しむ人々に「みことばの中にとどまりながら、もう少し耐えてみてください。時が過ぎればわかるから」と助言します。QTによって優先順位を決め、キリストにあって希望を描きながら謙遜にみことばに従うなら、人間の知恵では理解できない神の恵みを味わうでしょう。
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