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クリスチャン人生論 ②
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人間論:たましいとしての人間 「霊魂、肉」か、「霊、たましい、肉」か |
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ユ・スンウォン デトロイト韓人連合長老教会 主任牧師
韓国で行われた人口知能コンピューター“アルファ碁”とイ・セドル九段の囲碁対決の後、直感と推論の機能をも備えた人工知能に対する驚きと恐れが世界を騒がせました。 しかし、イ・セドル九段は、7歳の子どものためにわざと負けることのできる温かい人間ですが、アルファ碁は何も知らない2歳と対局しても、ただ勝つことだけを求める勝負の機械にすぎません。イ・セドルはたましいですが、アルファ碁はプログラミングされたとおりに動く、たましいのない機械です。 だれが何と言おうとアルファ碁よりもはるかに複雑で奥深い存在である“人間”を分解してみましょう。人間を「霊、たましい、からだ」と表現している個所があるため(Ⅰテサ 5:23)、3分説が登場しました。別の個所では、たましいとからだだけを区分して2分説を語っています。しかし、最近の聖書学者たちは、からだとたましいを一つと見る一元論を強く主張しています。 一体どれが正しいのでしょうか。結論から言うと、「構成としては2つに、機能としては3つに分かれ、存在としては1つ」です。
人間の構成、からだとたましい 人格的な人間がどのように構成されているのかを見てみましょう。まずそのためには、裂くことのできるもの、つまり分離できるものが何であるのかを考えてみればわかります。 物質としてのからだとたましいは、明らかに分離できます。たましいが離れれば、いのちが中断し、からだはただの物質にすぎません。つまり、死ぬとたましいとからだが分離されるのです(創 35:18、Ⅰ列 17:21、伝 12:7、マタ 10:28、ルカ 23:46、使 7:59、ヤコ 2:26)。 神は人間をそのように造られました。「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」(創 2:7、直訳:神である主が地〔アダマー〕のちりで人〔アダム〕を造られ、その鼻にいのちの息〔ネシャマー〕を吹き込むと、人が生命体〔ネフェシュ ハヤー〕になった)。 人間は「ちり+神のいのちの息」で構成されました。この人間は“ネフェシュ”と呼ばれました。ヘブル語ネフェシュは「たましい」または「いのち」という意味です。ですから、人間はからだとたましいによって構成され、その本質はたましいであるというみことばです。
霊の領域とたましいの領域の区別 しかし、聖書では2個所だけ霊とたましいを区別しています。「平和の神ご自身が……あなたがたの霊(プニューマ)、たましい(プシュケー)、からだが完全に守られますように」(Ⅰテサ 5:23)。「神のことばは……たましい(プシュケー)と霊(プニューマ)、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し……」(ヘブ 4:12)。 しかし、これは本当に分離できる構成なのでしょうか。たましいから霊だけを抜いて、たましいだけが存在できるのでしょうか。そうだとしたら、たましいとからだが残ることもあるということでしょうか。または、たましいだけが抜けて、霊とからだが残ることがあるのでしょうか。からだをなくしてしまえば、霊とたましいだけが残るのでしょうか。それでは、からだが朽ちても、霊もたましいもあることになります。少しおかしいですね。聖書には、このように霊とたましいを別々に分けた状態について述べている個所はありません。 これは、構成ではなく、作用または機能を理解するために、便宜上区分したものです。「たましい」と訳された“プシュケー”は、一般的にたましいを指すときに使われました。「からだ(ソーマ)は殺しても、たましい(プシュケー)を殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタ 10:28)。 一方で、イエスが死なれる時には、たましいを指す単語として“プニューマ(霊)”を使われました。「イエスは大声で叫んで、言われた。『父よ。わが霊(プニューマ)を御手にゆだねます。』……」(ルカ 23:46) 聖書で、肉体と分離される「たましい」を述べるとき、“プシュケー(たましい)”を用いることも、“プニューマ(霊)”を用いることもありました。たましいは「たましい」の特徴も、「霊」の特徴もあるため、プシュケーと呼んだり、プニューマと呼んだりするのです。しかしそれは、霊とたましいが分離されるものではないことを現しています。 では、区分して記したときのたましい(プシュケー)と、霊(プニューマ)のニュアンスの違いは何でしょうか。パウロは、現在の人間のからだを「血肉のからだ」(プシュケーとしてのからだ)と呼び、復活のからだを「御霊のからだ」(プニューマとしてのからだ)と呼びました(Ⅰコリ 15:44~49)。プシュケーは人間と結びついた特性を指すとき、プニューマは神と結びついた特性を指すときに使われます。つまり、プシュケーは現在の肉に属するたましいの特性であり、プニューマは神に属するたましいの特性なのです。 私たちが復活するときには、完全にプニューマ的なからだになり、たましい的なからだの特性である結婚制度がありません(マタ 22:30)。たましいと霊は分離できませんが、一つのたましいにおいて担当する領域が異なります。たましいはからだと結びついて精神的機能(からだに属する)を担当し、霊は神との関係領域(御霊に属する)を担当するのです(Ⅰコリ 2:14~15)。
一元論、存在としては一つ 構成として見るとき、人間はからだとたましいからなり、人間の存在の本質はたましいです。機能的には、霊とたましいと肉と表現できます。それにもかかわらず、聖書学者たちが主張する一元論、つまり人間が存在として一つであるとは、どういう意味でしょうか。 それは、神が創造されたこの世で、人間はからだだけでは存在できず、たましいだけでも存在できないということです。たましいが離れた瞬間、からだは何でもなく、たましいのないからだは人間ではありません。同様に、からだの機能が衰えて心臓が止まり、脳が働かなくなれば、たましいが離れます。からだのないたましいも人間ではありません。神が造られたこの世に、からだのない人間も、たましいのない人間もいません。 たましいとからだがどのように結びついているかは、現在の科学では説明できません。しかし明らかなのは、一つに結びついているときだけ、いのちある人間だということです。それで、からだの復活が重要なのです。そのような意味で、聖書は人間を一元論的にとらえるのです。 たましいが重要で、からだをつまらないものと見なすのは、深刻な異端であった初期キリスト教の霊知主義者たちの考えでした。聖書は、からだが行うことをたましいが行うことと考えます。からだと関係のないたましいはありません。不品行によってからだを汚したのに、たましいだけを聖く残しておくことはできません。からだを汚せば、たましいも汚れるのです。私たちは、からだとたましいを一つの存在と見なすからです(Ⅰコリ 6:12~20)。 私がからだに行うことは、たましいに行うことです。からだにだけ影響を及ぼし、たましいに影響を及ぼさない行いや考えはありません。たましいがなければ、からだはただのちりです。しかし、たましいのあるからだは、たましいと分かれることなく一つになり、一つの存在を完成します。それで私たちは、からだで神に栄光をささげるのです(ロマ 12:1~2)。
健全なからだに、健全なたましい? 神が創造され、この地に住まわせた人間は、「構成としては2つ、機能としては3つに分かれ、存在としては1つ」です。人間は、神がちりで造り、いのちの息を吹き込まれた存在です。聖書はこの人間を生きているネフェシュ、つまりたましいと定義しました。たましいが人間の本質であることを示しているのです。そこにからだを着せたのです。 「健全なる精神は健全なる身体に宿る」(A sound mind in a sound body)という有名な格言があります。これは、もともと古代ローマ時代の詩人ユウェナリスの風刺詩集の中の一節ですが、“からだが健全であれば、精神もおのずと健全になる”という意味として理解され、引用されることが多くあります。しかし、これは本来の意味ではありません。 ユウェナリスが主張しようとしたのは、「からだが健康でも、精神が腐っているとしたら何になるというのか。からだを鍛えることよりも、健全な精神こそ願うべきことである」という意味だったのです。 そうです。人間はたましいです。たましいが去れば、からだはちりに戻ります。たましいが生きているなら、終わりの復活のときに今のからだとは根本的に異なる霊的なからだを受けます。核心は、“ネフェシュ ハヤー”(創 2:7、生きもの)、つまり「生けるたましい」です。 使徒ヨハネはこのように祝福しました。「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります」(Ⅲヨハ 2節)。たましいに幸いを得なければなりません。そして、すべての点でも幸いを得、健康で、全存在をもって神に栄光をささげるのが、人生です。尊いたましいを、よく顧みましょう。今のあなたのたましいの状態は、どうでしょうか。
人間は、構成としては2つに、 機能としては3つに分かれ、存在としては1つです。 人間の本質は“ネフェシュ”、つまりたましいです。
私がからだに行うことはたましいに行うことです。 からだにだけ影響を及ぼし、たましいに影響を 及ぼさない行いや考えや生活はありません。
今後のテーマ 2月.人間論:たましいとしての人間 3月.人間論:人間の社会性 4月.人間論:罪人と救い
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