YWAM DTS(イエス弟子訓練学校)で 1995年から現在まで「黙想」の講義をしている ソ・スンドン牧師(ソムギム教会 主任)。 『リビングライフ』の20年来のパートナーから 人生の中心を変えるQTの話を聞きました。
黙想、神様を知る旅の始まり 1972年、高校3年生の時、教会の先輩が私に「洗礼を受けたのだから、これからはQTをしないとな」と言って、ある宣教団体のQT冊子をプレゼントしてくれました。その時から、与えられた問いに答える形式の黙想をほぼ毎日し、これまで20年間QTをしてきましたが、自分に変化がないのが問題でした。ある日、ヨハネの福音書5章39~40節を黙想していると、ぱっと目が開かれました。「あなたがたは聖書を調べているが、わたしのもとには来ようとしない」というみことばから答えを得たのです。問いに答えるだけのレベルを超えて、神様と交わるQTにならなければならないのだと悟りました。神様がわからなかったために(Ⅰヨハ 4:7~8)自分に変化がなかったのだと悟り、神様を知ることに重点を置いて黙想を始めました。 2008年には声帯手術を、続いて2009年には腰の手術を受けることになり、「私の働きはここで終わりかもしれない」と落胆しました。そんなとき、神様が出会ってくださり、自分の問題とは関係なく、神の御心に集中しなければならないことを教えられました。振り返ってみると、神様を知るためにQTをすると言いながら、実は目の前の問題を解決するためにQTをしていたことが多くありました。苦しみの中にあっても神様を愛し、神のみことばを聞かなければならなかったのです。 それ以来、私のように自分の問題にとらわれている信徒を目覚めさせ、QTの方向性が神様中心になるように導きたいと思うようになりました。そのために執筆したのが、『黙想、イエス様のように』です。
下線引き、神の御声を聞く場所 みことばを黙想する力を養う秘訣は、“練習”です。そのため、教会で定期的に黙想教室を開き、私が作成した黙想マニュアルを用いて導き、特に「下線引き」を強調しました。みことばを読んでいると、自然と下線を引く個所があります。それが神様と私が出会うポイントです。その下線を中心に、神様と対話するのです。私たちが引いた下線を神様が見られ、心を探り、意図を理解されるのだと私は考えます。「主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される」(Ⅰ歴 28:9)。「探る」という単語には“尋ねる”という意味があります。みことばの中で、自分がどの個所に下線を引いたのか見てみると、神様が私に何を尋ねておられるのかがわかります。「なぜ腹が立ったのだい」「なぜそのように決めようと思うのだい」 神様は、私たちにみことばで教えられます(Ⅱテモ 3:16)。聖霊の感動によって私の考えと神の教えの間で葛藤し、ついには私の考えをあきらめます。神のご性質から来る正しい教えを受け入れ、それに従うことこそが、神の御声に従う生き方なのです。
個人の黙想から共同体の黙想へ 共同体が同じみことばを毎日黙想し、神の御心をともに知ることが重要であると考え、私どもの教会は1996年の開拓当時から『リビングライフ』を用いて一緒にQTをしています。「私に与えられるみことばは何か」を知ったなら、次に共同体に対するメッセージを聞かなければなりません。私たちは、イエス・キリストにあってそれぞれ独立した信徒ですが、必ず共同体として存在するからです。「私」を越えて「私たち」を見つめ、みことばを黙想して適用するとき、神の御心がこの地で完全に成就され、すべてが神の御前に正しくなることを信じます。私には夢があります。それは、いつの日か全世界の聖徒がQTをして、同じ神の御声に聞き従い、一つの場所に集まるようになることです。
黙想訓練のためのマニュアル [1] きょうのみことばの内容(1~2行で) [2] 下線と私の心の反応 [3] 「神」に下線 ★ 神様はどのような方か [4] 私の心と神の御心 = 神様との交わり(Ⅰ歴 28:9) ★ 教え(真理) ★ 戒め(罪) ★ 矯正(態度) ★ 義の訓練(習慣) [5] さらに深い黙想、私の心の葛藤について ★ 聖書は何と言っているか(ロマ 4:3) [6] きょう出会った神様はどのような方か [7] 神様への感謝、告白、心の決断 [8] 神様とともに歩む(ヨハ 4:39) ⇨ イエス様のように(ヨハ 5:19)
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