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いのちを与えるキリストによってつながる
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なぜ今、セレブレーションなのか |
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シオン・キリスト教団 蒲田教会 牧師 石田敏則
2015年11月20日から22日まで、日本武道館を会場に、フランクリン・グラハム師をお迎えして「セレブレーションオブラブ with フランクリン・グラハム」が開催されました。この時代に、なぜこのような大規模な集会を開催するのか、対費用効果を考えるとき、非常に非効率的であるクリスチャンのお祭り、打ち上げ花火に何の意味があるのか、などなど、さまざまな意見があることは重々承知していました。 私自身も、ビリーグラハム伝道協会(以下BGEA)より最初にお話をいただいたとき、「首都圏での教会協力は非常に難しい。東京での開催は無理だ。ほかの地域で開催することが望ましい」と思っていました。そのような中で、あの東日本大震災を経験したのです。関東圏の多くのクリスチャンリーダーたちが東北支援を行っている中、あと数年は東京での大規模な集会を計画することはできないと考えていました。 しかしそんな中、サマリタンズ・パース(キリスト教系・緊急援助支援団体)とBGEAは、本当に献身的に東北支援を継続してくださり、このような状況だからこそ、人々に生きることの意味と本当の希望であるキリストをお伝えしなければならないという使命感のもと、仙台における「希望の祭典」、福島における「ホープフクシマ」が開催されたのです。 福音宣教は、どのような時代においても、すべてのキリスト教会にゆだねられた使命です。東日本大震災は、多くの人々に、生きることの意味や、本当に大切なものが何かを考える機会となりました。今こそ、日本の諸教会は、全力を挙げて宣教に取り組まねばならないとの認識を新たにいたしました。 セレブレーションは、大会を開催することが目的ではありませんでした。「45・10・45」これが全体のコンセプトでした。私たちは大会を伝道のムーブメントとして捉えていました。大会前の準備に45% 、大会の開催に10% 、大会後のフォローアップに45%。この配分の中で教会がアンデレ活動や決心者のカウンセリングとフォローアップをもう一度新しく学び、取り組むことで教会が強められる働きであると確信したからです。この働きを通して、教会が新しいたましいに重荷を負い、宣教命令に積極的に取り組むことを目指しました。さらに、この働きを通して宣教協力が進められ、次の世代にこのバトンを繋げていくことを大きな目標として労してきました。これがなければ大会は、ただの一過性のお祭りだったでしょう。また、当初2013年の開催予定で準備を進めていましたが、諸般の事情から開催を延期しなければならない事態が生じました。これは、私たちにとっては大きなチャレンジとなりました。積み上げてきたものが崩れ、ゼロからの出発、いいえマイナスからの出発となりました。 さらに時代的な背景の中で、教団や団体での参加協力が打ち出されても、協力するか否かは各教会の判断に委ねられました。その意味で、過去のグラハム大会とは比べ物にならないほど、協力教会としての参加要請と関係作りに時間を要しました。最終的には470の協力教会と、インターネットを通じての参加申し込み教会を合わせると600以上の教会が参加してくださいました。 そして、1500人を超える方々が信仰の決断をされました。アンケートを残すことのできなかった方々のフォローは主にお委ねしなければなりませんが、各教会が忠実な働きを担っていてくださることを報告として伺っています。 そして、このような大規模の集会を知らない世代の人々が、様々な形で働き、協力してくださいました。大会から生まれたゴスペル・クワィアは「セレブレイション・ゴスペルクワィア」として今後も活動が続けられます。子どもたちに対する働きも継続されます。 大会は成功裏に終えることができました。その成功の陰には多くの方々の犠牲がありました。80歳を超える会場係、集会の後にテーブルを運ぶ高齢の兄弟の姿には本当に感動を覚えました。ささげられた献金の中に、短いお手紙が入っていました。「私は年金生活者で、十分な捧げ物はできませんが、私の最善をささげさせていただきます。祈っています」と結ばれていました。この手紙は長い間、私のデスクの前に貼ってありました。 出演者では、大会開催直前に、マイケル・W・スミス師のお父様が重篤であるとの報告を受けました。彼は日本を愛し、この集会のためにシンガポールから日本に来て奉仕してくださいました。そして、あのすばらしい賛美を届けてくださり、21日に帰国の途につきました。残念ながら、彼はお父様の最期には間に合いませんでしたが、その報いは大きいと信じます。彼がもう一度日本に戻り、ともに主を賛美することを心から願っています。 宣教は協力の働きです。一人ひとりの力は小さいかもしれませんが、皆が力を合わせて主の働きを担う時、そこに大きな御業がなされるのです。誰にも知られない陰の奉仕者や多くの協力者、働き人に心から感謝しています。
石田敏則 1955年、北海道生まれ。20歳でイエス・キリストを信じ、大学卒業後、献身。2000年、シオン・キリスト教団 蒲田教会主任牧師に就任。教団理事長。日本伝道会議、JEA震災対策室で奉仕。セレブレーションオブラブではジェネラル・マネージャーを務める。
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