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マタイの福音書の恵み76
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毒麦は最後には火で焼かれます ② |
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オンヌリ教会 前主任牧師 故 ハ・ヨンジョ
「だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、 麦もいっしょに抜き取るかもしれない。 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい』」(マタ 13:29~30)。
地上に悪が存在する理由 イエス様のたとえの中で、麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現れました。そのとき、しもべたちは「では、私たちが行って、それを抜き集めましょうか」(マタ 13:28)と言いました。悪の要素が見つかったとき、私たちはそのように反応しがちです。 「歴史の中にどうして悪が存在するのだろうか。神様が生きておられるなら、この世の悪を一瞬のうちにみな滅ぼしてしまわれればいいのに。ソドムとゴモラのように一掃してしまわれればいいのに。なぜ神様は悪を傍観しておられるのだろうか。もしかしたら、神様は眠っておられるのではないだろうか」などと考えることがよくあります。 しかし、イエス様は、すぐに抜き集めなさいとは言わず、「両方ともそのままにしておきなさい」と言われました。なぜそう言われたのでしょうか。なぜイエス様は毒麦を抜かないようにと言われたのでしょうか。 ここで私たちは、深い霊的な洞察力が必要となります。悪魔を甘く見てはなりません。毒麦は初めは麦のように見えます。区別がつきません。しかし、この毒麦が麦と見分けられるようになる頃には、すでに毒麦の根が麦の根とからみ合っています。正体がはっきりする時には、すでにその根を麦の根の中に深く張っているのです。このとき毒麦を抜くと、麦まで抜いてしまうので、イエス様は毒麦をそのままにしておくようにと言われたのです。 イエス様は、苦しみがあり、悪が勢力を増し、不義がはびこっているのをご覧になっても、毒麦を抜き集めれば、麦まで抜いてしまうかもしれないので、そのままにしておくようにと言われます。神様は、10本の毒麦よりも1本の麦のほうに注目されます。神様は私たちを愛しておられます。「神様、きょうあなたの公義が臨み、すべての不義と罪を燃やしてください」という祈りを神が聞かれたとしたら、まず私たちが燃えてしまいます。すでに私たちは悪魔の誘惑に巻き込まれている存在なので、まかり間違えば、私たちもさばきを免れられません。ですから、主は、悪があることを知りながらも、そのままにしておられるのです。 そして、ここにもう一つ、サタンの狡猾さがあります。麦から栄養分を吸い取って成長するのが毒麦です。毒麦は完全に寄生して生きているのです。クリスチャンに寄生し、吸い上げて生きるのがサタンの勢力だというのです。私たちも、自分の力ではどうすることもできず、人の世話になることがあります。しかし、長い間世話になり続けるのは良くありません。サタンのような歩みになってしまいやすいからです。 そのような悪の勢力に対し、神様は、それを滅ぼす力がないのではなく、私たちを愛しておられるからこそ、しばらく保留しておられるのです。「アーメン。主イエスよ、来てください」と言って、主がすぐに来られるなら、どれほどよいでしょうか。しかし、すべての準備ができていますか。今、主が来られたとしたら、大変なことになる聖徒たちがたくさんいます。やめるべきことをまだやめられていない人、罪であると知りながらも続けてしまっている人を、どうしたらよいのでしょう。 主がゆっくりと来られることを、「主は来られないのだ」と錯覚しないでください。主は盗人のように来られると言われました。しかし、今来られないのは、私たちを愛しておられるからです。私たちが早く悔い改めて立ち返ることを願いつつ、遅らせておられるのです。 ですから、地上の悪を取り除く唯一の方法は、私たちがきよく、正しく生きることなのです。そうすることで、神様が悪を早く取り除いてくださいます。しかし、私たちが悪の中で悪とともに生きるなら、神様が悪をさばかれるときに葛藤が生じ、悩まれることでしょう。
歴史の終わりの時に臨むさばき では、イエス様は、ただやみくもに待たれる方でしょうか。そうではありません。時があります。「だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう」(マタ 13:30)。 39節でイエス様は「収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです」と説明しておられます。「悪は永遠に存在しない。必ず、終わりの時が来る」というのです。この世は永遠ではないということを、忘れてはなりません。必ず、主が来られる終わりの時、さばきの時が来ます。個人的な終わりの時は、自分が死ぬ時であり、歴史の終わりの時は、主が来られる時です。その時、悪は完全にさばきをを受けることになります。神様は御使いを遣わして、歴史の重要なさばきを行われます。 主は、毒麦を集め、焼くために束にすると言われました。主は私たちにこのような事実を理解し、悟り、待つようにと言われました。 では、毒麦の最期、すなわち、サタンの子らの最期はどうなるのでしょうか。 「人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです」(マタ 13:41~42)。 聖書はいろいろな個所でこのことばをくり返しています。歴史の終わりの時、大いなるさばきがあるというのです。その時、サタンの子らは永遠に消えることのない炉に投げ込まれて、泣いて歯ぎしりするでしょう。これが不法、サタンの子らの最期です。地獄とは、漠然とした概念ではなく、実在する事実であることを私たちは信じなければなりません。 地獄を知らない人は自殺します。人々が地獄を知るなら、イエス様を信じずにはいられないでしょう。悪魔は私たちに地獄の実体を見せないようにします。それを見れば、地獄に行こうとする人など、ひとりもいないからです。地獄はそれほど恐ろしいところなのです。そこは、永遠に消えない火の中で永遠の苦しみを味わうところです。 「そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい」(マタ 13:43)。これは、神の子どもたちの最終的な姿です。御国を経験した人はいませんが、私たちのうちから天の御国が始まるのです。 天の御国は、妨害する勢力の中で成長します。妨害する人々のせいで、実を結ばないとは限りません。道ばたや岩地やいばらの中では実を結ぶことができませんが、肥沃な地では実を結びます。肥沃な地には毒麦もありますが、それでも実を結びます。天の御国は妨害する勢力に囲まれています。しかし、その中で百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶようになるというのです。 主イエスを信じる私たちのうちには、確かに天の御国が根を張り、成長するので、私たちは実を結ぶようになります。天の御国が成長するのを実感できるようになります。しかし、きょうのみことばから、天の御国が成長する中で、毒麦も育っているということがわかりました。毒麦、すなわち、妨害する勢力が洪水のように私たちの人生に押し寄せてきたとしても、恐れてはなりません。なぜなら、すでに悪魔に勝利されたイエス様が、私たちとともにいてくださるからです。私たちは、主とともに歩むなら、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶことができます。イエス様とさらに親しく歩むために、みことばを慕い求め、天の御国が自分のうちで成長するのを喜び、感謝し、宣言する皆さんになりますよう祈ります。
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