私たちの教会は、美しい山々に囲まれた長野県上田市にあります。高台にあるため、礼拝堂からはきれいな山と市内が一望できます。私は毎朝、この美しい景色を見ながら早天礼拝をささげて神様と交われる、とても恵まれた環境に置かれています。先日もこの恵みの場所でQTをしていると、ある一つのみことばが、心に強く留まりました。「ことしは、落ち穂から生えたものを食べ、二年目も、またそれから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ。…万軍の主の熱心がこれをする」(Ⅱ列 19:29~31)。これは、アッシリヤの侵略によって苦しい目に会っていたユダの回復のしるしのみことばです。ユダは再びしっかりと根を下して繁栄するというのです。そして、この回復と繁栄は、神ご自身の「熱心」によってなされるという約束のみことばです。私はこの回復と繁栄の約束のみことばを、私たちの教会へのみことばとして受け取りました。 私は今年の4月、この教会に牧師として遣わされ、教会が一日も早く成長して整えられ、主の栄光が現わされるよう願っていました。しかし、毎週の礼拝者数も気になり、神様の目ではなく、聖徒たちの目を気にすることもありました。そんな中、主は、みことばを通して、教会の回復や繁栄は主の熱心がすると語られました。そして、黙想を続けていると、ヨハネの黙示録に出てくるフィラデルフィヤの教会を示してくださいました。その教会の聖徒たちのほとんどは、社会的に力がなく、貧しい者たちでした。しかし、彼らは信仰と愛に満ち、迫害の中でも主のみことばに従い、この世とは妥協することなく、忠実を尽くしました。黙示録では七つの教会について語られていますが、フィラデルフィヤの教会だけが、主から叱責されることなく、ただ賞賛だけされ、忍耐して持っているものを持ち続けるようにと語られています。「まさしくこれが、私たちの教会、いや私に語られていることだ」と思いました。主のみことばは真実です。主の熱心によってなされるリバイバルのみわざを信じ、私の持てる小さなものを持って、主に忠実に従い続ける決心をしました。
袴田みき Ι 上田オンヌリ教会 牧師
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