一年ほど前に富山に引っ越してきた当時、私はバプテスマを受けたばかりで、すぐに富山小泉町教会に通い始めました。最初に『リビングライフ』を勧められたときは、とても良いプロジェクトだと思いながらも、毎日QTのための時間は取れず、月末に一気に読んで“帳尻を合わせる”ような日々が3か月ほど続きました。ある日、牧師と話していたとき、私が毎朝、教会近くまでジョギングをしているという話になったのは、まさに主の「時」であったと思います。牧師から「では、その途中で教会に寄ってQTをしたらどうですか」と勧められ、それ以来、それが日課となりました。 最初は、物語か人生訓のようにしか聖書を読めていなかった私ですが、いつの間にか心に強く示される日が多くなりました。励まされる日もあれば、自分の罪を悟らされる日、主が私の悩みを知っておられたのだと気づかされる日もあります。ページを開いた瞬間に心が動かされる日もあれば、走って家に帰る途中、じわじわと神様の心が伝わってくる日もあります。何かが示されたと思えない日は焦らないで、繰り返し読んで暗唱するようにします。いつか、そのみことばに再会して、大事なことが示されるのを期待します。 最近、驚かされたのは「年末QT」です。12月31日の聖書個所が申命記11章だったのです。一年最後の日ですから、何もかも「明日から」始めればいいような気になるこの日に、神様は「きょう、命じる戒め」を語られました。そして、私がこれから「渡っていく地」について約束してくださいました。いい加減な性格の私でも、未来の日々について、物理的にも霊的にも不安でいっぱいですが、きょうもそこに至る道を歩んでいることを主は「知っておられる」、それだけで涙が出ました。「申命記」にこんな感動があることは、自分の好きな個所だけを選んで読んでいたとしたら、決して味わえなかったと思います。 みことばの奥義とは、みことばに会う人が変えられていくことです。QTを初めてちょうど1年になります。2年目は、みことばに示されたことを、どう実践するか、与えられた感動をどのように表わすかが、教会の兄弟姉妹とともに祈り求めていく課題です。
清水美樹 Ι 富山小泉町キリスト教会
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