|
キリストに立ち返る日本を夢見て
|
隣人への愛 |
|
キリスト聖書神学校 校長 マイケル・オー
きょうは「隣人を愛する」というテーマで話したいと思います。聖書に「『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』…『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません」(マコ 12:30~31)というみことばがあります。クリスチャンがクリスチャンらしく生きるとき、何が起こるでしょうか。本当にイエス様が教えられたように生きるなら、何が起こるのでしょうか。そこにはダイナミックな影響力が生じます。家庭に影響し、社会に影響し、国に影響し、世界に影響します。ビジネスにも影響し、芸術にも影響し、スポーツやエンターテイメントにも影響します。そこに影響力がないとしたら、クリスチャンがクリスチャンらしく生きていないということです。神様はクリスチャンを通して変革を与え、祝福を与え、あわれみが必要な人にはあわれみを与えられます。これが、イエス様の言われた「隣人を愛する」ということです。 使徒の働き19章23~28節を見ましょう。「そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。『皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。』そう聞いて、彼らは大いに怒り、『偉大なのはエペソ人のアルテミスだ』と叫び始めた。」 教会の歴史を見ると、多くの国々や社会が福音によって変えられてきました。東ヨーロッパでは共産主義が崩壊してから25年が経ちました。この共産主義の崩壊の裏には、東ヨーロッパの地下教会の与えた影響がありました。福音書や使徒の働きを見ると、社会に与えたクリスチャンの影響力をかいま見ることができます。貧しい人々が養われ、病気の人がいやされ、弱い者は守られ、低い者が高くされ、そして社会が変えられていったのです。 しかし、この19章を見てもわかるように、その社会変革はすべての人に歓迎されたわけではありません。デモが起こったのは、クリスチャンがクリスチャンらしく生きたからです。エペソという都市は大女神アルテミスの神殿で有名でした。アジヤだけではなく全世界から人々がやってきて、アルテミスを崇拝していました。その人たちは、エペソでお金をたくさん使いました。また職人たちはアルテミス神殿の模型を作り、それを通してお金をたくさん稼いでいました。 その地にパウロがやって来て福音を宣べ伝え、偶像礼拝をやめて、真実の神に立ち返るようにと語ったのです。また、神の名を汚すことから離れ、それらを捨てなければならないと語りました。その結果、どうなったでしょうか。「そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった」(使 19:18~19)。 これが神のみことばの影響力です。20節では、主のみことばは、その影響力により驚くほど広まり、ますます力強くなって行ったと記されています。社会を作り上げていた基盤が変わっていったのです。社会構造や経済制度が変革を迫られるほどになったということです。ですから、キリスト教に対してデモが起こったというのは、驚くべきことではありません。 キリストの福音とは、良い知らせ、祝福の知らせです。しかしその祝福は、「神様を冒瀆する部分を取り除く」というチャレンジが伴います。ガン患者は、ただ良いものを食べて運動するだけでは治りません。ガン自体が取り除かれなければなりません。悔い改めとは、昔のものを捨て去り、新しいものに向かっていくということです。福音を語るとき、以前のものを捨てなければならないことを語らなければ、それは福音を語っていることにはなりません。そして、私たちがそれを語らない限り、隣人を愛することはできないのです。私たちが向き合わなければならない事実は、初代教会の時にように、すべての人が私たちの言葉を喜んで受け入れるわけではないということです。偶像礼拝が罪だと言うと、怒る人がいるかもしれません。過去を捨て、罪から離れて神様に向かいなさいと言うと、人々は憤りを感じるかもしれません。人間が作った物を拝まないでくださいと言うと、怒りをぶつけてくる人がいるかもしれません。この国の社会制度や金融制度や伝統が揺さぶられることになるからです。 ですから、福音を語り、手放す部分があることを伝えるなら、あなたは多くのものを失うかもしれません。悪い評判や噂話をされたり、恥をかかされたり、友だちや家族との関係を失うかもしれません。しかし反対に、新しい友だち、新しい家族、新しい共同体、失われた人々をキリストに導く喜び、愛せない人々を愛し、神の家族に迎え入れる喜びが与えられるのです。「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないもの」(ロマ 8:18)なのです。
日本の教会で一番残念に思う瞬間は、社会に全く影響力がないと言われる時です。日本の教会が世に対して影響力を及ぼすようになるためには、どうしたらよいのでしょうか。それは、隣人を愛することです。今、東アジアでは国と国が対立しています。日本人の90%以上が中国を敵だと思っていて、韓国人の80%近くが日本に否定的な感情を持っています。私は「Love Japan」を通して、この東アジアの人々が葛藤や憎しみを乗り越えて福音の力を表わす働きをしたいと願いました。福音だけが文化の違いや歴史の壁、心の壁を打ち壊すことができます。惜しみのない愛をもって互いを理解しなければなりません。特に、韓国人と中国人と日本人のクリスチャンは、互いに愛を示す必要があります。ともに祈り、ともに礼拝し、互いのために立ち上がり、苦しみをともにしようではありませんか。 「隣人を愛しなさい。」イエス様がそう語られた当時の文化的な背景を見ても、それはとても挑戦的な戒めでした。当時のパリサイ人や律法学者の中では、隣人とは正しい人たちだと考えられていました。取税人や売春婦や異邦人、特にサマリヤ人は、神の敵であって憎むべき存在でした。ですから、パリサイ人がイエスに「隣人はだれですか」と聞いたのは、心から純粋に聞いたのではありません。自分たちの憎しみを正当化するために投じた利己的な質問でした。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」とイエス様が語られたのは、自分に属さない人を愛しなさいということです。その人たちにあなたの心を分け与えなさいということです。 今、日本には100万人以上の引きこもりの若者がいます。毎年3万人以上の人が自殺します。学校の70%以上の子どもがいじめを受けているか、いじめをしています。女子高生の9%が援助交際や売春に関わったことがあると答えています。また1万6千人の青少年が路上で生活していると言われています。去年の報告によると、日本国内で、子ども相談室に相談された児童虐待は7万3千件ありました。日本の子どもの6人に1人は貧困生活をしていると言われています。その54%は一人親に育てられている子どもたちで、約3万9千人の子どもたちが親の虐待から逃れるために、公共施設で保護されています。その中のたった15%の子どもたちが里親のもとに引き取られます。これは先進国の中で一番低い数字です。 名古屋地域のある教会では、孤児院を訪問する機会を持っています。そして素晴しいことに、日本のクリスチャンがそこの子どもを養子として受け入れているケースがあるそうです。捨てられた虐待児を自分の家族として受け入れる、それ以上の愛があるでしょうか。一つの家庭が養子を受け入れるように、皆さんの教会が孤児をサポートしたらどうなるでしょうか。日本のすべての教会がサポートをしたら、少なくとも8千人の子どもが養子になることができます。施設の子どもを養子として受け入れるのは簡単ではありませんが、全く不可能なことでもありません。教会全体でサポートするなら、神様の愛を示す絶好のチャンスにもなります。みなさん、是非、家族として、教会として、どのように隣人を愛することができるか、祈り求めてみてください。神様が日本のクリスチャンを用いて、日本の孤児院すべてをなくされたらどうでしょう。素晴しい証しになると思いませんか。日本の教会は社会と無関係だと、だれも言わなくなるでしょう。聖書では「汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話を」するものだ(ヤコ 1:27)と言っています。 クリスチャンがクリスチャンらしく生きるとき、イエス・キリストの愛が世に示されます。助けが必要な人に助けを与え、あわれみを必要としている人をあわれみ、人々に対して最高の解決法を持っておられる方を紹介しましょう。クリスチャンがそれを実践するとき、どんなことが起こるでしょうか。私たちは罪深く病んだ世に生きていますが、神の愛を知る者は、クリスチャンらしく生きることができます。絶えることのない神の愛をいただいて、キリストが世を愛されたように、私たちも隣人を愛するために立ち上がりましょう。
マイケル・オー ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。 キリスト聖書神学校 校長。 ペンシルバニア大学にて政治科学学士号、教育学修士号、教育指導・人間学博士号を取得。トリニティ神学大学にて牧会学修士号、ハーバード大学にて東アジア研究修士号を取得。
|
|
|
|
|