チョン・ソンミン Ι バンクーバーキリスト教世界観大学院 教授 世界観及び旧約学教授
列王記は、正しい礼拝に深い関心を寄せています。正しい礼拝とは、何よりも「主なる神にのみ」礼拝をささげることです。神に仕えると同時にほかの神々にも仕えるなら、それは正しい礼拝ではありません。神を礼拝するとき「まことの神だけを礼拝せよ!」これが列王記のチャレンジです。しかし残念なことに、列王記のほとんどは、それに失敗した歴史を見せています。
神だけを礼拝せよ 古代中東の民族は、必要に応じてさまざまな神々を礼拝し、列王記にはそのような神の名が数多く出てきます。異邦の人々は、ケモシュ(モアブ、Ⅰ列 11:7)、アシュタロテ(シドン、Ⅰ列 11:33)、バアル・ゼブブ(エクロン、Ⅱ列 1:2)などをはじめ、空の太陽、月、星などを神とし(17:16)、あらゆる神々が共存する時代でした。 そのような中で、北イスラエル滅亡後にサマリヤに移り住んだ異邦の人々は、自然に自分たちの神々と主なる神を同時に礼拝しました。これに対し、列王記の著者は、ほかの神々と主なる神とに同時に仕えることは、決して主を恐れることにはならないと明らかにしています(Ⅱ列 17:33~34)。実際、ほとんどの王政は、異邦の神々と主とに同時に仕え、それが神のさばきを招きました(Ⅱ列 17:7~23)。特に、アハブの時に本格的に浸透したバアルとアシェラは、イスラエルに最も蔓延していたカナンの神でした。アハブはシドンの王「エテバアル」(“バアルとともに”の意)の娘イゼベルと結婚し、バアルの宮を建て、アシェラ像も造りましたが(Ⅰ列 16:31~32)、ユダも例外ではありませんでした(Ⅰ列 14:22~23)。王国の初期のソロモン王でさえ、主だけでなく異邦の神々にも同時に仕え(Ⅰ列 11:4~8)、まさに偶像礼拝の絶頂期とも言えるマナセの時代には、バアルとアシェラだけでなく、天の万象をも拝み、これらのために祭壇を主の宮に築きさえしました(Ⅱ列 21:2~7)。 問題は、ユダとイスラエルの人々が周辺国家の世界観を受け入れ、異邦の神々への礼拝と主への礼拝が共存できると考えていたことです。カルメル山でエリヤがイスラエルの人々に、主とバアルのどちらがまことの神か選ぶようにとチャレンジをしたとき、彼らは一言も答えませんでした(Ⅰ列 18:21)。この沈黙は、主とバアルのどちらを選ぶか悩んだからではなく、必ずどちらかを選ばなければならないのかと、混乱していた可能性が高いと思われます。必要に応じていろいろな神々に仕える多神論の世界観の中で、ただ主なる神だけを礼拝せよというチャレンジは常識的ではなかったのです。これは、古代近東だけの話にとどまらず、私たちも神だけでは世を生き抜くことができないと思えることが多くあります。信仰は必要だけどお金も必要で、権力や名声も必要だというのが常識のように思えます。しかし、列王記は、二心でささげる礼拝はまことの礼拝ではないと明示しています。
倫理のない礼拝は宗教的な欺き 間違った礼拝は、礼拝の問題だけで終わりません。神に間違った礼拝をささげることは、倫理的な面でも致命的な影響を及ぼします。多くの異邦人の妻によって持ち込まれた多様な異邦の神々に仕えていたソロモンの時代は、強制労働の時代となってしまい(Ⅰ列 12:4)、バアルを礼拝していたアハブは、ナボテのぶどう畑を奪い取る過程で、十戒の倫理的な戒めをほぼすべて破ってしまいます。彼は人のものを欲しがり、偽証をし、人を殺し、盗みました(Ⅰ列 21:13~19)。偶像礼拝が絶頂に達していたマナセの時代を、列王記の著者はこのように要約しています。「マナセは、ユダに罪を犯させ、主の目の前に悪を行わせて、罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった」(Ⅱ列 21:16)。罪のない者の血を多量に流したとは、社会的な不義が蔓延していたことを表わしています。間違った礼拝は、社会的な正義の土台を崩し、社会的な不義は、生活の伴わない礼拝を通して免罪符を手に入れます。 神の民である私たちは、主なる神を礼拝しています。しかし、重要な質問があります。神だけを礼拝していますか。そして、その礼拝は、まことの倫理を高めていますか。間違った礼拝は倫理を軽視し、倫理のない礼拝は宗教的な欺きにすぎないのです。
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