キム・チョルホン Ι 長老会神学大学 新約学教授
「夢見る者」の正体は何か 著者は1節で、自分を「ヤコブの兄弟であるユダ」と紹介しています。ユダはイエスの兄弟の末っ子(マタ 13:55)だったようです。彼は教会に忍び込んできたにせ教師に対して警告するために、この手紙を書きました。 にせ教師を「自分だけを養っている者」(12節)と表現していることから、彼らは聖徒を養っていた牧会者だったようです。また、「ある人々が、ひそかに忍び込んで来た」(4節)という表現から、以前からその教会にいた人々ではなく、外部から忍び込んできた人々であったことがわかります。「ひそかに」というのは、聖書でにせ預言者やにせ兄弟を言うときによく使う表現です。 ユダはにせ教師を「夢見る者」(8節)と呼んでいます。真の預言者は、幻のような神秘的な啓示を通して神のメッセージを受け取り、それを伝える人ですが、にせ預言者は、神の啓示ではなく、自分が見た役に立たない“夢”の内容を啓示と誤解し、誇張して話します。それで「夢見る者」と格下げして呼んだのでしょう。幻を見たと主張して、聖書の教えと一致しない内容を教える人々が教会の中に入り込むことがあります。さまざまな異端をはじめ、このような類の人々は、自らを牧会者、教師、預言者の賜物があると主張します。そして彼らは、『ユダの手紙』が記された時代から今に至るまで、教会の中に現れ続けているのです。
教会やキリストに対するにせ教師の態度 ユダはにせ教師たちを「わきまえのない動物」(10節)や、「カイン」、「バラム」、「コラ」(11節)にたとえています。カインは「悪い者から出た者で、兄弟を殺し」た者であり(Ⅰヨハ 3:12)、バラムはイスラエルに偶像礼拝をさせる方法を教えたにせ預言者の代表です(民 31:8、申 23:5、ヨシ 24:9~10)。コラは神が立てた指導者モーセに逆らってさばきを受け、割けた地の中に彼と彼に属するすべての者がのみこまれます(民 16:1~33)。この問題ある集団は、「神の恵みを放縦に変えて」(4節)、「肉体を汚し」(8節)、「自分の欲望のままに」歩む(16節)「生まれつきのままの人間」(19節)なので、倫理的にもかなり問題がありました。また、ぶつぶつ言い、不平を鳴らし、「口は大きなことを言い」(16節)、教会内で「分裂を起こし」(19節)ました。「御霊を持たず」(19節)という点は、言うまでもありません。そして、このような倫理的な問題よりもさらに深刻な問題は、このにせ教師たちが「私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たち」(4節)である点です。 ユダは5節で、イスラエルをエジプトの地から救い出した方は「主」、すなわちイエス・キリストであり、不従順なイスラエルをさばかれた方もイエスであると述べています。ユダはイエスを出エジプトに深く関わった方と見て、世のはじめから存在しておられた神であると信じています。またユダは、創世記6章1~14節の内容と関係のある「自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたち」(6節)をさばかれる方もイエスであると述べています。
教会を守るための教会の使命 ユダは「主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こ」(17節)すよう勧めています。使徒たちは、「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる」(18節)と言いましたが、その預言どおりに彼らは現れ、教会の中で「恐れげもなく」聖徒とともに「宴」を張っています。教会は彼らを警戒せずに受け入れていて、彼らは「愛餐のしみ」(12節)になっています。ユダは、教会が「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために」(3節)戦い、彼らを教会から追い出さなければならないと言っています。一方、にせ教師たちに惑わされた聖徒に対しては「肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい」と言いながらも、彼らを「火の中からつかみ出して救い」なさい(23節)と命じています。 教会に入り込んでくる異端に対し、聖徒は常に目をさまして警戒しなければなりません。彼らは教会を分裂させ、真理を偽りに変え、特に主イエスに対して誤った教えを説いています。教会は彼らを追放し、その侵入を防ぐだけでなく、惑わされている聖徒が偽りから解かれて真理の道へと立ち返ることができるよう、知恵をもって助けなければなりません。
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