『リビングライフ』で黙示録のQTを続けていますが、神様が私に語ろうとされていることは何だろうと思いました。これまで何の問題もないと思っていた信仰生活に、いつの間にか霊的な眠りが忍び込んでいました。黙示録のみことばは、そんな私のたましいを目ざめさせてくれました。 黙示録は、目には見えなくても実存する世界に関するヨハネによるメッセージです。天の御座と、それを取り巻く多くの御使いたちの姿を見ることができます。御使いはヨハネに手にある巻き物を「取って食べなさい」(黙 10:9)と言われます。ヨハネを通して語られたみことばは、食べなければならないという意味です。続いて御使いたちのラッパとわざわいが繰り広げられます(黙11章)。ふと、聖霊様が風のように語りかけられました。「イエス様はいまどこにおられますか」という質問でした。「当然、神様の御座の右におられるだろう」という考えと同時に、「聖霊として私とともにおられる」という考えが浮かびました。私のうちに主がおられるので、私の心がまさしく聖霊が住まわれる宮なのだ!と思いました。 そして、黙示録3章20節の「わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」というみことばが浮かびました。今まで私は、黙示録の幻の外側から見てきたようでした。地で開かれた天を見ていたのです。しかし、主の御声は「あなたのうちに天が開かれるのだ」と語られました。また、私に質問されているようでした。「なぜ、あなたに御使いがいるのかわかるか。聖徒たちには御使いたちがともにいることを知っているだろう。なぜ御使いたちが、あなたの人生の中であなたを囲んでいるかわかるか」と。その瞬間、私は悟り、目に見るようでした。私のうちに主がおられる、つまり、私のうちに主の宮があるので、御座の周りに御使いたちがいるように、私の周りにも御使いがいるのです。神殿は天にありますが、同時に私のうちにも存在しているということがわかりました(Ⅰコリ 3:16)。私のうちに黙示録があるのです。御座から出て来る御声のように、聖霊様は私の口を通して世を治めることを願っておられます(黙 5:10)。
イ・シンソク Ι 大阪オンヌリ教会 牧師
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