金喆熙 ● 横浜オンヌリ教会 牧師
毎年、夏になるとアウトリーチチームが教会に来ます。今回は台湾の合唱団が来てくれました。一番年齢が高い方は81歳の女性でした。自然と私の頭は下がり、その方がすべての日程をこなされる姿に、宣教の情熱を拝見しました。 台湾のアウトリーチチームと過ごす中で、大変恵み深い話を聞きました。台湾の教会を導いておられる牧師は神学校時代の同期です。神学校卒業後、私は日本でほぼ20年近く仕え、その牧師は台湾で20年近く仕えておられます。その牧師が教会へ赴任された際の教会の名前は「施恩教会」でした。その牧師は驚かれたそうですが、その息子さんはもっと驚いたそうです。理由は、息子さんの名前が施恩君だったからです。施恩君は高校生になり、「牧師になって台湾施恩教会で牧会したい」という希望を抱いたそうです。しかし、その牧師は、そんな息子に対して、「おまえは中国語も英語もできるから、台湾でなくアフリカやイスラム地域に行って宣教しなさい!」と答えたそうです。このようなすばらしい親子の会話に感動しました。 私も恵みによってここまで来ました。振り返ってみると、危機の瞬間、罪の瞬間、霊的でない瞬間までも、その背後にはいつも神の恵みのみわざがありました。教会は、恵みとしか説明できないみわざにあふれています。死ぬ瞬間でさえ、私が神に願うことのできる最高の祈りは、「私をあわれんでください」という告白ではないでしょうか。 夫を亡くして悲しみの中に生きていたルツにとって、ボアズは神が送られたあわれみの翼でした。絶壁から落ちてやっと自分にあわれみの翼があることに気づきます。私はQTを通して、日々霊的な軌道修正をしてきました。人格的なQTこそ、人生を豊かに満たすあわれみの宝です。気がつけば、私が日本と関係を結んでから25年が過ぎましたが、これまでの歩みの中で私がしたことは何一つありません。私が言えるのは、「ただ神の恵みの翼の下で守られて生きてきました」という告白だけです。 無益なしもべは、ひたすら主の恵みを受け取っただけなので、これからの日本での牧会生活も、恵みの牧会をさせていただくことだけを望みます。そして、私の人生の最高の祈りの課題である「北海道から沖縄に至るまで、日本にリバイバルの炎が起こり、たくさんの日本人がイエス・キリストを主とあがめ、祭司の国となり、韓国と手をつないで世界宣教をすることができますように」という告白だけをささげます。
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