沖縄県読谷村にある北窯は、1992年4人の親方によって開かれた焼物のふるさとです。 研修所には25人の弟子たちがいて、伝統工芸を受け継いでいます。北窯の4人の親方のひとり、松田共司親方を中心に、若き陶工たちが陶器師として働いています。彼らによって生み出される陶器の姿を追いました。 読谷村北窯では、機械に頼らず人力で全工程を行う伝統工芸が、多くの若者の力で支えられ、発展しています。北窯には3つの柱があります。「①沖縄の焼物を求め続ける、②登り窯で焼物を焼き続ける、③弟子の育成―先代から受け継いだ財産を確実に後継者に引き継ぐ」ことです。みんなで協力し合い伝統を大切にする精神が北窯を支えています。 「土が反発して手の中でぐるぐる生きていたらだめです。完全に言いなりにするのです。土殺しっていうのは、素直な土じゃないとこっちが疲れるんです。土が素直になるまで、もみきるんです」と語る共司親方。「土は山の地面の中、暗やみの中にあります。酸素にも太陽の光にも当たったことのない、ずっと深い所に眠っているのです。それを人間が掘り出していきます。そして選んだものを地上に上げて光を当てます。神が人を選ばれるように、土も選ばれるのです。ずっと暗やみにいるべき存在だったぼくらを選んでくださったようにです。」 一日の労働の後、共司親方は教会の祈祷会に向かいます。「ぼくにとってはいやしの時間です。昼間働くというのは大変じゃないですか。でも、毎日礼拝をささげるとき、静まって感謝し、じっくり神の御声を待ち望んでいると、何だか疲れがいやされるんです。」 現在、工房には6~7人の弟子たちがいて、日々訓練されながら仕事や人間関係を学び、家族のような絆で結ばれています。弟子たちはどんなことを感じながら働いているのでしょうか。「土作りとか、登り窯とか、すべての工程を自分でやれるという所もここしかないと思いますよ。ここには、力強さと説得力があります」と北窯の魅力を語ってくれたのは、共司親方のもとで働き始めて5年になる井村さんです。また、北窯にきて10年になる奈良県出身のクリスチャンの小杉さんは「目的をもって造ったんだなとか、愛情込めて造っているんだなとか、むだなものはないなとか、そう感じられるたびにうれしくなります。私はこの仕事の中で喜びを得ています。従順に従って、忍耐して、一つ一つ乗り越えていく中で、器にも変化が出てきます。それが自分で見てもわかるし、人の評価から見えてくることもあります。厳しいですが、それを乗り越えたときの喜びは本当に感動的です」と語ってくれました。 ろくろで形作られた器は、十分に乾燥させてから化粧土をかけていきます。化粧がけをする時の天気、湿度、化粧の濃度を判断する絶妙な調整が必要です。化粧された器は天日干しされます。天候や日差しの強さ、また乾燥のタイミングを計る細やかさも必要です。 器は乾燥した後、絵付けの段階に入ります。「絵付けには、その人の賜物、つまりその人に与えられた恵みが現れます。」そんな親方の賜物は「人一倍神から愛されていること」だそうです。「以前は、神はさばく方というイメージがありましたが、学んでいるうちに『神は赦す方なんだ』と思うようになりました。その感動は、今でも覚えています。」親方は、最初はよくわからないまま洗礼を受けましたが、聖書を学ぶうちにキリストの深い愛を知るようになったそうです。夫人は牧師となり、教会堂も与えられ、今では家族で礼拝する恵みを受けています。 絵付けを終え、十分に乾燥させた器は、2か月半に一回行われる窯焚きに入ります。約2万個ある器を13基の窯の中に入れ、詰め終わった後、レンガと土を重ねて窯を閉じます。そして三日三晩の窯焚きが始まります。「焼くと土が陶器になるんですよ、どういうわけか。人間も同じように焼かれないと理想的な器にはならないんですね。訓練を受けないと人はやっぱりだめなんです。そういう意味で、ぼくらも焼かれて変えられたいと思います。」 3日目の朝、いよいよ窯出しの日。「焼物を40年以上やっていますが、窯から出すたびに、火というものを通して土が陶器になる不思議さを感じます。毎回新鮮で楽しいです。人は朽ち果てる存在ですから人には希望がありませんが、神には希望があります。だから、神のビジョンをいただいたら前進できるのです。」 暗やみの中で眠っていた土が、陶器師の手で掘り出され、洗われ、こねられ、最後には焼かれる試練を通って美しい役立つ器へと変えられます。もまれ、削られ、苦しい火の試練を通るときも、陶器師なる主は愛であり、希望なので、失望することがないのです。
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