日本キリスト改革派千城台教会牧師 市川康則
「神学」とは、基本的には、聖書についての教会の信仰告白に導かれてなされる、その聖書正典の多角的、総合的な研究です。もちろん、聖書には古典文献という一面があり、そこからの研究成果もそれなりに有益です。しかし、聖書の文献的な研究自体は、聖書の著述と編集、また、正典の結集と確認に至ったおもな動機や目的ではありません。聖書は根本的に、キリストへの信仰による救いと救いの完成のために与えられ(Ⅱテモ 3:15~17)、キリストにこそ焦点がしぼられています(ヨハ 5:39)。ですから、教会の自己形成と福音宣教のためにこそ、聖書の保存と伝達、および正典の結集と確認がなされたのです。 「神学」という言葉は、キリスト教会が造り出したものではなく、すでに古代ギリシヤ思想界に存在しました。「神」を求める・発見する・(神と)合一することは、人類の普遍的な希求です(使 17:23, 28参照)。福音がギリシヤ世界に伝えられたとき、聖書の著者たちや初期教父たちは、既存の「神」や「神学」を大胆に、しかも、内容をキリスト教的に変えて用いました。この興味深い事実こそ、神学の次元における福音宣教にほかなりません。 「神学」は「神の言葉」、「神の知識」などの意味を含みますが、キリストによって自己啓示された神、つまり、キリストにあってはじめて知ることのできる神だけがまことの神です。この神を知ることこそが救いであり、人類の普遍的、究極的希求を満たすものです。「神学」とは、人類の普遍性とキリストにある特殊性とが一つになった「神の知識」です。このような神の知識を学んだ私たちは、自ずとそれを人々に伝え、共有したくなります。このように、神学の研究はまさに、人々に神(の国)を告げ知らせる福音宣教の一環なのです。神学の定義は容易ではありませんが、宣教と教会形成に仕えるための、「聖書への信仰に基づく、聖書についての学術研究」のひと言で言えば、広義の「聖書解釈」とします。その上で、神学も一つの「学問」であることが十分に認識されなければなりません。学問である限り、ほかのすべての学問と同様、試行錯誤を免れず、論理的分析や言表作用を経る理性的営みなのです。 神学は神の言葉、聖書正典をよりよく理解することと、また、教会の信仰規準をより聖書的にするものでなければなりません。そのためには、その時代の文化水準、政治・経済構造、倫理的成熟度などから来る利点と難点にも通じていなければなりません。しばしば、聖書解釈や教会制度の世俗化を恐れ、社会常識や水準の影響を拒みがちですが、時代の変化が聖書解釈や教会形成に多大な影響を及ぼしてきたことは、歴史が示しています。例えば、今日、奴隷制度を聖書的と言う人はおそらくいないでしょう。しかし、聖書はそのような政治体制自体を打破すべきと命じていません。聖書の真理は同一不変ですが、それについての教会の判断と告白、および、社会での適用には時間を要します。これは避けがたい制約です。 聖書は文字通りに理解すべき場合とそうでない場合がありますが、どの場合がそうであるかは、単純に判別できません。多面的、重層的な解釈が必要です。そして、解釈も表現上の意味の特定だけでなく、背後にある社会的、文化的条件・制約の了解、何よりも、人に対する神の意志の現代的、適用的洞察が不可欠です。そのためには、哲学、歴史学、社会学等々、諸学の研究成果が聖書解釈にも活用される必要があるでしょう。このように、聖書解釈を基礎とする神学諸科の研究は、事の性質上、知的理解が求められます。 さて、聖書の中心テーマは神の国(キリストにある神の主権的支配)の終末的進展と成就ですが、これは、このテーマこそが聖書の解釈と使用の根本的視点、また目的であるべきだということを意味します。聖書の解釈と使用は、人間に聖書が与えられた本来の目的から外れたとき、決して正しくなされません。代々の教会は聖書を神の言葉と信じて従いつつ、その教えを告白してきました。この告白が世の人々に向かってなされるとき、それはキリストについての証言、すなわち宣教となります。 教会の信仰告白と宣教の歴史に根差し、かつ、そのための聖書の学びが「神学」です。それゆえ、神学の研究や教育も当然、この聖書の根本目的とその解釈、使用という中心的視点を守らなければなりません。つまり、神学は福音宣教促進のために、神の国の進展と成就を目指して営まれなければならないのです。教会形成の中心である礼拝も、そこで御言葉が語られ、礼典が行われ、讃美と祈りが捧げられ、キリストにある神の恵みの支配が形として現れる―神の国のひな型―からこそ意味を持つのです。
市川康則 1950年、滋賀県生まれ。神戸市外国語大学、神戸改革派神学校、米国カルヴィン神学校卒業。2014年3月まで神戸改革派神学校校長を務め、2014年5月より、日本キリスト改革派千城台教会牧師。おもな著書に『新実用聖書注解』(共著、いのちのことば社)、『聖書神学辞典』(共著、いのちのことば社)などがある。
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