ジョン・チャンギュン ● 合同神学大学説教学 教授
サムエル記第二を読む際の観点と方法 サムエル記第二の最初の場面は「サウルの死後」という言葉で始まり、ダビデがサウルの戦死の知らせを聞く内容からなっています。神の命令に従わず、悪霊にとりつかれたサウルが死に、神のみこころにかなうダビデの時代が幕を開けたことを宣言しているのです。その後、ダビデを中心に、数十年間にわたるさまざまな出来事が繰り広げられていきます。それぞれの内容は具体的な歴史的出来事であり、その中には神学的な内容やメッセージが込められています。 サムエル記第二を読む最良の方法は、全体を一度に読み切ってしまうことです。それでこそ面白さを味わえ、大きな効果が得られます。ですから、小段落を細かく分析する方法を取る前に、一気に全体を読んで全体の流れを把握するのが良いでしょう。また、それぞれの細かい内容を、全体の話や著者の意図から離れて、読者が勝手に解釈する過ちを避けることができます。 サムエル記第二を読む観点はさまざまです。特定のテーマを設定し、そのテーマを追って読むことができます。また、登場人物を観察しながら全体のストーリーに沿って読んでいくこともできます。このような方法は、興味深く読めると同時に、教訓もよく伝わります。この場合、登場人物は大きく三つに分類できます。主人公ダビデ、ダビデの周りの人々、そしてすべての出来事の主導権を握っておられる真の主人公、神です。
ダビデの周辺の人々はどちらの味方か サムエル記第二には多くの人物が登場し、ダビデとさまざまな関係を持ちます。彼らは、ダビデに対してどんな立場を取るかによって二つに分類できます。ダビデの側に立つ人々とダビデに敵対する人々です。敵対者側の人々の中には、外部の人間も内部の人間もいます。 それぞれの登場人物がダビデとどんな関係を結ぶか、だれの味方か、そのように行動した動機は何か、その結末はどうなるのかなどを、注意深く追っていけば、サムエル記第二を理解しやすくなります。登場人物がダビデとどのような関係を持つかということが、究極的に神が導かれる摂理であり、その人が神とどのような関係にあるかということを表すからです。ダビデはキリストのモデル、神の代理人のモデルとして提示されています。ですから、彼に反逆すること、あるいは忠実を尽くすことは、単にダビデとの個人的な関係にとどまらず、神との関係へと結びつくのです。 神の側に立つ人、ダビデ 大きく見ると、サムエル記第二は、ダビデ王権の確立過程(1~10章)、ダビデの道徳的、信仰的失敗(11~12章)、ダビデ家の出来事(13~14章)、国家的災難(15~20章)、ダビデの晩年の話(21~24章)により構成されています。 ダビデのストーリーを見ていくと、人としての人格、信仰者としての信仰、王としての指導力という観点から、ダビデのいろいろな面を把握することができます。しかし、それらは別個のものではありません。常にダビデの行動基準になり、彼の人生で強力な統制力、または原動力として働くのは、神を意識する態度です。これが彼の主への信仰です。サムエル記第二は、ダビデのすべての身の振り方を、執拗なまでに神との関係で表していることに注目しましょう。ダビデは徹底的に神に拠り頼みます。神は真実をもってダビデの人生を導かれ、摂理を進められます。 しかし、姦淫と殺人を犯し、世俗的な絶対王権に心酔して人口調査を実施するなど、ダビデの堕落とそれに起因する個人的、家庭的、国家的な苦しみの惨状は、罪の結実がいかに恐ろしいかということを確認させます。そして、人の敬虔が人間的な弱さや罪の誘惑からの解放を保障してはくれないということを悟らせます。
歴史の主人公はだれか サムエル記第二では、神が舞台の前面に登場されたり、または舞台では見えなくても、いつでも歴史を進める中心は神である、ということを前提にしています。神こそがすべての主導権を持っておられる実質的な主人公なのです。 ですから、サムエル記第二を読んで黙想するときは、目に見えない主人公として歴史を導かれる神を、常に念頭に置かなければなりません。私たちは、サムエル記第二で繰り広げられるダビデのストーリーを通して、神は契約を守り、歴史をつかさどり、赦しと回復の恵みを与えてくださる方であることを確認することができます。また、ダビデの神は、私たちの神でもあるという確信に至ることができるのです。
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