日本CGNTVドキュメンタリー番組より
2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とする巨大地震「東日本大震災」が起きました。東北・北関東と広範囲に渡り、地震、津波、放射能の複合災害という、かつてない「未曾有の災害」として大きな爪あとを残したことは、記憶に新しいところです。 あれから2年―日本CGNTVでは、国際原子力機関レベル7、史上最大の原発事故の被災地である福島県に密着した番組「うつくしまふくしま」を制作し、放送しました。津波と原発の影響のある海岸線と放射能被害が著しい中通りを中心に、そこに住む人々の痛みと心の問題に触れながら、先行きの知れない不安と戦う「あきらめない」姿を追っています。 第一原子力発電所から40キロ圏内にあるいわき市薄磯は、30キロ圏内と被害は同じであるにもかかわらず保障や援助も少なく、放射能問題もあって、土地を離れる人々をたくさん排出しました。グローバルミッションチャペルの宣教師の森章師は、薄磯再興復興本部に足を運び、新しい町づくりに関する話し合いを積極的に重ねています。みんなが戻ってきて笑顔で暮らせる日を願う町の人々とともに夢を描き、具体的な方策を模索しています。 新宿アルタ前では、国が安全基準を20ミリシーベルトに引き上げたことに対する、人権侵害を訴えた「福島集団疎開裁判」のメンバーによる大がかりなデモがありました。美しく豊かな土地が放射能により汚染され、空気・水・食物すべてが奪われたこと、そして、やがて子どもの将来さえも奪われるであろうことを理解し、力を合わせてほしいという切実な思いにあふれていました。郡山市にあるロマリンダクリニックの富永国比古医師の話では、放射能物質が体内に入ると、遺伝子を傷つけ、発ガンリスクを高める“ハイドロキシラジカル”ができるとのことです。 放射能によってできる異常な染色体が分裂し、増殖をしていくことによる発ガンリスクは、細胞分裂を多く繰り返す子どもたちに最も影響があると言われています。原発から距離がありながら、震災後の風向きで大量の放射能を浴びた中通りの福島市では、高い放射線量が検出されています。福島いずみルーテル教会牧師の野村治師は、ホットスポットや室内など、毎日の放射線量を計る様子を伝えてくれています。子どもと母親は避難し、父親は福島に残るという、家族が離れ離れになった周囲の実情について明かしてくれました。日本キリスト教団保原教会牧師の栗田三郎師と基督教兄弟団福島教会牧師の上代謙師が中心となって、「福島復興支援ネットワーク」の中で『保養プログラム』を立ち上げました。放射線量が高いため外で遊ぶことができず、大きなストレスを抱えている子どもたちに、金・土・日、夏休み、冬休みを利用し、コンサート、食事会、キャンプ、映画鑑賞などさまざまな企画を提供するもので、子どもたちの心と身体とたましいが守られるように、切なる祈りのうちに継続されてきました。この働きは福島市にとどまることなく、二本松、本宮、郡山へと拡大しています。 福島県郡山市方八町の倉庫では、NPO法人「Fukushimaいのちの水」によるミネラルウォーターの無料配布が行われていました。「ひとりの子のいのちを救うために」を理念に、この地で暮らす、水道水に不安を感じている小さな子どもを持つ人々の必要に応えるべく、また放射能に怯える母親の心のケアを念頭においた働きです。その場所は、子どもたち、お母さんたちの安らげる場所へと変化しつつあります。NPOの理事である世界宣教センター牧師の坪井永人師は、「主が与えてくれるいのちの水と、たましいの渇きを永遠に潤す方に出会ってほしい」との願いを込めて、携わっています。 いわき市に新しい会堂が建てられました。原発から5キロ圏内―緊急避難を余儀なくされた「流浪の教会」福島第一聖書バプテスト教会です。教会員の方々とその家族ともども、お金も着替えもなく、居場所を転々としました。旧会堂は、片付けに入ることも許されず、地震が起きた直後のままです。その面影を胸に、幾多の困難を乗り越えて、通称“つばさの教会”として復興に向けて飛び立とうとしています。副牧師の佐藤将司師は「祈られた教会として、神様の愛の深さ、力強さを世界中に向けて発信していきたい」と語られました。 福島には、子どもたちの未来につなげるためにできること、すべきことに必死に取り組み、暗やみの中に希望の灯火をともそうとする人たちがいました。「うつくしまふくしま」は、今、この地でほんとうのスローガンとして、掲げられています。
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