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十字架から地の果てに向かう福音
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「アバ、父」と呼ぶ |
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RCI南大阪福音教会牧師 福野正和
数年前、友人から誘われて台北の超教派の祈り会に出席しました。日本からの牧師ということで、突然証しを頼まれ、講壇に歩いていく途中、何を証しすればよいかを祈りました。ある思いが心の中に浮かんできて、そのまま語りました。「私の40年以上のクリスチャン生活を振り返って、何か後悔することがあるとすれば、聖霊の導きを感じながらそれに素直に従わなかったことです。」祈り会の後、数名の人たちが私のところに来て、握手を求めながら言いました。「私も同感です!」 クリスチャンは神の子とされています。しかし、父の声になかなか馴染まず、聞いても聞き逃したり、聞こうとしなかったり、聞かなかったことにしようと思ったりします。ある時は、聞いたことを途中で投げ出してしまいます。その結果、聞き従っていれば受けることができた神の祝福を、受け取らないで失ってしまうのです。そこには、恐れや不安、自分の考えと合わない、気に入らないなどの理由があります。 私と妻は、1981年に、開拓伝道のため富田林市に引っ越しました。それまで約1年間、母教会の副牧師をしつつ、祈りながら開拓地を探しました。大きな住宅地や、若者伝道ができそうな場所を探しましたが、導きを確信できる場所は見つかりませんでした。最後にやって来たのは、開拓地候補からは外していた所でした。畑や田んぼの緑が多い平和な地域でしたが、市の中央部に新興宗教の広大な総本部とそのゴルフ場があり、高野山参拝に向う宿場町で寺町と呼ばれるこの場所は、私の思いにある伝道候補地としては全くそぐわなかったのです。最後に車でこの町に来たとき、突然、私の心に静かなしっかりとした声が聞こえてきたのです。「ここがその場所です。」私の理性と思いはすぐに、「ノー」と答えました。私のたましいの声が、私の霊の声に反発したのです。しかし、最終的に主の恵みによって従うことができました。ただ主に感謝しています。自分の思いとは正反対の所でしたので、ここで起こったすべての素晴らしいことは、私からでなく主からのものであると確信できるからです。 神が備えてくださっている、天にある霊の祝福の大きさを知らず、自分の考えやイメージで判断するという愚かさが、御霊の導きへの不従順を生み出します。あるとき、遠方の友人に会うため駅の売店でお土産を買いました。紙袋を求めたところ、底幅のある大きな紙袋をくれました。かなり余裕があり、どうしよう、と一瞬思いましたが、「これは、帰りのためです」という聖霊の御声が聞こえたような気がしました。あまりに厚かましい解釈なのでためらいましたが、とにかく信じることにしました。しかし、帰りはその通りになり、多くのいただき物で紙袋がいっぱいになったのです。「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう」(詩 81:10)というみことばが浮かび、その通りだと思った瞬間、聖霊が語られました。「その理解の仕方は間違っています。」どうしてだろうと思いましたが、主は、「あなたが大きく口を開くことで主に満たされるなら、それは努力の信仰です。わたしはどんな時もあなたの生活を満たそうとしているのです。でも、あなたの開く口の大きさしか満たすことができないのです」と語られました。求める分しか下さらないのではなく、受ける入れ物の大きさに応じてしか受け取れないのだとわかりました。それから、私の霊的祝福を受ける理解が豊かになるよう願い始めました。十字架の贖いは、完全に成し遂げられているからです。 今日は、旧約時代のように「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と神に呼ばわる必要がありません。どんな時でも「イエス様!」と叫べばよいのです。それは、御霊によって「アバ、父」と呼ぶことができるからです。たましいよりも深い霊の領域に内住されている「子としてくださる御霊」によって信仰が与えられるからです。これが贖いの完成により保証として内住された、御霊による信仰なのです。そこからたましいに「信仰の霊」の働きかけをするのが、御霊と私たちの霊による証しです。これが内住の御霊の働きです(ロマ 8:15)。聖霊によらなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません(Ⅰコリ 12:3)。たましいでなく霊の領域において、絶えず流れ動く御霊と私たちの霊との交わりが、新生した者の内面の証しであり、御霊による歩みの原動力です。ここから流れ出る信仰の霊を解放するチャンネルが、異言による祈りです。そこから霊の歌が解放され、賛美とともに勝利の信仰が現実の戦いを圧倒し、あふれてくるのです。ダビデは「私の口には、いつも、主への賛美がある」と語っています。気持ちや思いではなく、意志により告白する「口」です。「信仰の霊」の解放は、意志で告白することに深く関わっているからです。信仰の霊があふれれば、御霊の導きにもっと素直に、また大胆に従えるようになります。「アバ、父」と呼ぶ霊の交わりは祈りを生み出す源泉であり、愛と慈しみ深い天の父を知る道なのです。
福野正和 1947年、大阪府堺市生まれ。 現在、富田林市在住。JEC(日本福音教会)所属。RCI南大阪福音教会主任牧師。CPM(クリスチャン・パワー・ミニストリーズ)主幹。2012年より、聖霊の働きとその教えのためのCPM「聖霊学校」を主催。
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