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教会成長のための牧会戦略
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「光の子として歩む」とは |
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梅光学院大学長 樋口紀子
梅光学院は、今から142年前、1872年(明治5年)、長崎の地に生まれた学校です。設立者は、アメリカからの宣教師、スタウト夫妻でした。この方々は、その前にアメリカから宣教師として日本に送られ、長崎の地にいらしたフルベッキの後任としてやって来ました。フルベッキは、スタウト夫妻が来訪して間もなく、横浜に移って行きました。時は明治になっていましたが、まだ、キリスト教禁令が解かれる前のことです。 スタウト夫妻は、英語を教える学校を開きます。と言っても、私塾的な要素が強かったようです。そして、夫ヘンリーが男子を、妻エリザベスが女子を担当します。それが後に、男子校は東山学院(英語名:スチールアカデミー)、女子校は梅香崎女学校(英語名:スタージェスセミナリー)と名づけられました。これはどちらも東山手にある地名からきています。英語名は二つの学校の校舎を建てる時に多額の献金をしてくださったクリスチャンの名前を記念に頂いたものです。男子校の名前の由来となったスチールは、当時の宣教団体の国外派遣部の責任者で、17歳で亡くした息子さんの教育費を献金してくださいました。スタージェスはニューヨークの実業家の夫人でした。二人とも日本に来たこともありませんし、日本のこともよく知りません。それでも、開国して間もない日本の将来を背負って立つ若い人たちのためにと、篤い祈りの気持ちを持って献金をしてくださったのです。そのことを考えると、今でも心が温かくなります。 男子校は、キリスト教禁令が解かれて後、聖書学校となりましたが、後に明治学院に吸収されていきます。ただ、ありがたいことにその当時の校舎は長崎の「グラバー園」に移築されて残っているので、その校舎の中に入ると、当時の礼拝や授業の様子に思いをはせることができます。女子校は、今から100年前、1914年(大正3年)、山口にあった光城女学院と合併したため、それぞれの学校の一文字ずつを取って「梅光女学院」となり、下関に移され、今に至っています。戦後、幼稚園や短大を設置、47年前には大学、38年前には大学院も誕生しました。残念ながら、短大は8年前に閉学しましたが、大学は13年前に男女共学となりました。このように、長い歴史の中で学校の名称や組織はいろいろ変化してきましたが、創設者の伝道と教育に対する思いは今も生き続けています。 例えば、礼拝は月曜日から金曜日まで毎日行っています。日本のキリスト教主義の大学で毎日礼拝を行っているところは少ないかと思います。それも、10:40~11:00という、1時間目の授業が終わり、頭と心が整えられている一番よい時間帯に設定しているのです。この礼拝は自由出席ですが、礼拝の準備から司会、進行等、すべて宗教委員という学生たちが行っているのが特徴です。メッセージは、クリスチャン、ノンクリスチャンに限らず教職員が担当したり、地域の牧師先生にいらして頂いたりしています。学生が自ら体験の報告や聖書のメッセージを語ることもあります。学生たちはこの他、春や秋の宗教講演会、冬のクリスマス礼拝等にも積極的に関わってくれますが、これは、宗教委員がキリスト教教育センター所属の教職員と一緒に会議を持ち、学生の意見を尊重しながらキリスト教関係の行事や活動の決定をしているからです。これは私が12年前、宗教主任に就任した時から始めたものですが、私が学長となった今も、後任の宗教主任が継続してくれています。 他にも学生の霊的成長をうながす集会を数々行ってきました。それは学生が「参加しやすい」ことがポイントです。放課後の聖書研究会では手作りのお菓子を出したり、月に1回はカレーの日を設けて、聖書の学びの後、食事会をしたりしました。春夏のリトリート(修養会)では、ちょっと気分を変えて宿泊をともなうものにしました。キャンプをしたこともあります。後に、夏のリトリートは国内だけではなく、海外、つまり韓国に行き、韓国の教会の礼拝に参加したり、老人ホームの訪問もするようになりました。日韓の歴史を学ぶために独立記念館や堤岩里教会にも行きましたし、現在の朝鮮半島の状況を知ってもらうために板門店まで足を延ばしたこともあります。学生たちは大学の中だけにとどまっていては学ぶことができないようなことを、身をもって体験しました。 海外での活動はこれにとどまらず、2002年から毎年カンボジア、ネパールにも連れて行きました。これは、1年を通して支援している子どもに会うための旅であり、現地でボランティア活動をするためのものでもあります。実は、梅光学院大学ではキリスト教のNGO「ワールド・ビジョン」や「チャイルド・ファンド」を通して、現在、アジアの8名の子どもたちのスポンサーをしています。学生たちは、これらの子どもの教育に責任を持っている里親というわけです。そのために、宗教委員が中心になって、月に1回全学生に呼びかけ、授業が始まる前に献金袋を回しているのです。この時を「サマリアデー」と呼んでいます。聖書の「善きサマリア人のたとえ」から命名したもので、この活動は1984年、短期大学から始まりました。当時、バングラデシュで医療活動をしておられた日本人のクリスチャンの先生が、宗教講演会で現地の話をしてくださったことがあり、その先生の活動を支援しようと、宗教委員が短大全体に献金を呼びかけたとがきっかけです。それが翌年には「サマリアデー」と名づけられ、定期的な活動になり、後に途上国の子どもたちを支援するものとなったのです。 私は、この活動が始まった時には梅光には赴任していませんでした。アメリカでクリスチャンとなり、教会のユースグループとメキシコや南米でボランティア活動を体験し、そこでの貧富の差にショックを受けました。このような状況を私に見せてくださったのは、何か特別なことを神様が私に望んでおられるからだと思い、その後、帰国してからも宣教師や教会、キリスト教の社会福祉団体等を訪ね、その時の必要に応じて、個人的にボランティア活動を続けることになります。訪問した国は中南米、アジアやアフリカ、オセアニア、ヨーロッパ等、30ケ国以上になっています。このボランティア活動を続けて10年くらいたったとき、私は海外で何かをするために召されているのではなく、海外での経験を伝えることを通して、若い人、特に日本の若い人に福音を伝えることが自分の役目だと確信するようになりました。それで、私は教師の道を選び、学生たちに正確に福音を伝えるためには聖書の学びも大切だと思い、教師をしながら神学校に通って、後に牧師にもなるのです。 私にはそのようなバックグラウンドがあったため、途上国の子どもたちを支援している梅光の学生たちを見て、実際に支援地に行き、子どもたちと知り合いになること、支援地を見て自分たちが行っていることに、どのような意味があるのか知ること、できればその際にボランティア活動をして、どんなことでも仕えることは大切であるということを学ばなければならないと思いました。それが、梅光がこの地にキリスト教の学校として建てられた意味だと思うのです。この私の思いは、少々時間はかかりましたが、形になりました。「ボランティア実習」として正規の授業になり、10年以上前から春休みに学生たちを海外に連れて行くようになったのです。 この授業に参加した学生たちは、行く前から支援地のことについて学びます。支援地でできることも考えます。ある学生は、友達に呼びかけ、文具やタオル、古着等を集めたりしますし、またある学生たちは、子どもたちとの遊びの計画をします。そうやって準備が進められ、出発ということになるのですが、私たちの快適な生活から半日もしないうちに電気もない生活の中に飛び込みます。薄汚れた服を着て、靴も履いていない子どもとの出会いもあります。ごみの山で食べられるもの、まだ使えるものを探す子どもを目の当たりにします。貧しさゆえ両親に置き去りにされ、孤児となった子どもの状況も知ります。それと同時に、貧しさの中にあっても、聖書の言葉に励まされながら、明るく一生懸命生きている人たちとの交流もあります。そのようなすべての体験を通して、今まで当たり前だと思っていたことが当たり前ではなく、予想以上に恵まれていたことを知り、今までの価値観が揺さぶられ、自分の生き方が外から問われるのです。これらの活動を通して、在学中に教会に通うようになり、洗礼を受けた学生もいます。卒業してから個人的にチャイルドの支援をしている人もいます。教師になって途上国で経験したことを生徒に伝えている卒業生もいます。 これらはすべて、この大学のスクールモットー「光の子として歩みなさい」(エフェ 5:8)を土台としたキリスト教教育によって行われているものです。聖書は「光から、あらゆる善意と正義と真実が生じるのです。何が主に喜ばれるかを吟味しなさい」(エフェ 5:9~10)と続きます。「善意」「正義」「真実」は人から出るものではなく、神様から生じるものです。神様の尺度に照らし合わせてはじめて、私たちは真の善意や正義、真実を学ぶことができるのです。そして、私たちは神様の視点で自分の行動や生き方を問い直すのです。その基準は、神様が喜ばれるかどうかです。その基準に従って生きるとき、本当の意味での「仕える生き方」ができるようになるのではないでしょうか。梅光学院大学はそのように人に、社会に仕える生き方ができる学生を育てるために、きょうも神様の御言葉を伝えています。
※ 聖句は『新共同訳聖書』から引用しています。
樋口紀子 1958年生まれ。福岡県北九州市出身。梅光女学院大学(現梅光学院大学)英米文学科卒業、同大学大学院英米文学専攻修士課程修了。同大短期大学部の学生部長や助教授を経て、2002年から梅光学院大学宗教主任を9年務める。2005年から同大学教授、学校法人梅光学院の理事・評議員も務め、2012年4月には梅光学院大学で初の卒業生かつ女性として学長に就任。学長を務める傍ら、単立折尾クリスチャンチャーチの牧師も務める。
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