坂本譲二 ● 宝塚ゴスペルハウス 主任牧師
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(Ⅱテモ 3:16)。 2002年春、宝塚にある自宅で、家内と2人だけで単立の教会として開拓伝道を始めました。紆余曲折はありましたが、5、6年目を迎える頃には、教会員も20名あまりになりました。全くのゼロからの出発でしたし、その当時は仕事をしながらの牧会でしたので、無我夢中で突っ走ってきましたが、その頃になるとやっと落ち着いて、冷静に考えることができるようになってきました。今後、教会員の方々をどのように導いて行けばよいのか、またどのような教会形成をして行くべきなのかなど…。 教会自体に少し閉塞感があるように思われていた矢先、2009年4月、神戸でラブソナタが開かれました。教会員の方々や求道者の方々もお誘いし出かけました。私の中には、教会が今からどのように歩んでいけばよいのかという答えがここにあるのではないかという期待がありました。 ハ・ヨンジョ先生のメッセージを通して「リバイバルのためにそれぞれの教会が建てられているのだ」という熱く激しい思いをしっかりと心に刻み、帰ってきました。熱い思いはあったのですが、ではこの思いをどのように教会の中で具現化していけばよいのかと考えていたときに、ラブソナタの継続プログラムとして、6月に「一対一弟子訓練アカデミー」、7月には「QTリーダーアカデミー」、10月には「神戸3期父の学校」、11月には「創造論セミナー」が開かれ、参加させていただきました。 オンヌリ教会の成長の鍵となるセミナーを、半年の間に体験することができたのです。これこそ、私が期待していたものだったのです。私は教会員の教育、成長にはまず、QTを徹底して行うことが必要だと確信しました。その重要性を「QTリーダーアカデミー」に参加した5名の者とともに、教会の方々にアピールしました。現在では、ほぼ全員「リビングライフ」を用いて、日々QTの時をもっております。 そして、火曜日の祈り会のときにも、その日のQTを分かち合います。水曜集会には、バイブルスタディーによって学びの時をもっています。日々のQTで得た各自の恵みや、示された罪の悔い改め、またみことばを生活の中に適用した結果の様子など、1時間半はいつもあっという間に過ぎてしまいます。また、隔週の礼拝後に、全員が参加してQTの分かち合いをしています。 私も日々のみことばが大切であることはわかっているつもりでした。ですから過去には色々なディボーションの本を使って、毎朝神様との交わりの時をもってきましたが、じっくりとみことばと対峙し、時間をかけて黙想し、神様はどんな方なのか、また今日私に対して何を語っておられるのか、このみことばをもって、今日どのように歩めばよいのかを考える。そしてメモをとって実行する。また、人と分かち合う。このようなQTを通して「一日の霊の糧」という言葉が、今やっと理解できたように思われます。 教会員の方々をどのように導けばよいのか。色々な訓練の本の中にそれを探し求めていたのですが、日々みことばを黙想し、自分のものにすることによって、その求めていた答えすべてが与えられるのだということがわかりました。まずクリスチャンの基本は、「日々みことばを黙想すること」、これに尽きるのです。どんなテキスト本を用いて教えるよりも、各自が毎日みことばに向き合い、みことばに耳を傾ける、QTの時を持つことが一番であることを知りました。教会員一人一人の信仰がこの一年、目に見えて成長している様子を見ることができます。それは、それぞれが直面している問題に、どのように対処したらよいのかを、日々みことばを通して考え、またその答えをみことばの中から見出そうと、正面からぶつかっていく姿を見ることができるからです。みことばに堅く立ち、世の荒波に揺り動かされない歩みを見て、教えるどころか教えられることばかりです。また、交わりの会話の中にも、自然に今日のみことばを通して感じたことや、神様によって示されたことが出てくるのです。生活に浸透しているのが実感できます。 私たちの教会の中にQTが定着してきたようです。今教会に来られている求道者の方々にもお勧めしたいと思います。そして、今も生きて働かれるイエス様と日々深く交わることによってイエス様を体験し、喜び溢れる生活を送ってほしいと思います。 教会がQTによって一つとなり、歩み出し、また教会員の方々の信仰もどっしりと根を張りだしたように思われる今日この頃です。ハレルヤ!QTは教会の命です。
坂本譲二 1950年5月1日京都生まれ。1990年献身。JTJ宣教神学校入学(1993年卒業)。2002年春、自宅にて開拓伝道を始める(宝塚ゴスペルハウス)。
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