清澤さちえ ● 新松戸リバイバルチャーチ 牧師
私たちの教会では、教会の大きな土台のひとつとして、QTを掲げています。“What Would Jesus Do?”(イエス様ならどうするか?)を信仰生活の基礎として歩むためには、QTが不可欠です。 全教会員が同じみことばによってQTをし、分かち合いをし、毎週持たれるセルグループでの分かち合いにも、リビングライフの巻末の分かち合いが用いられています。以前は、セルグループでの分かち合いも停滞気味でした。しかし、みなが同じみことばでQTをし、さらにその週の聖書個所の中から分かち合うことで、神様から直接励ましと力を受け、だれかに引き上げてもらおう、助けてもらおう、という信仰姿勢から、自らみことばによって立ち上がる信仰姿勢へと成長しつつあります。みことばによって一致し、所属意識が生まれ、生き生きとした、いのちにあふれるセルグループへと変えられています。 また、養育・セルリーダーを育成する訓練の場では、必ず毎週のQTノートをチェックします。その中でQTが充実している人は、急成長しています。自分の問題に気付きが与えられ、生活も品性も変えられていきます。QTをしっぱなしではなく、一日の終わりにきょう与えられたみことばで生きられたかどうか振り返りを書くことによって、一人一人がみことばによって生きる体験ができるように変わりました。 その中で父親と息子がQTによって神様から語られ、問題が解決した証しがあります。以下は、Y兄の証しです。 「ぼくは、先週の水曜日に、父と携帯電話のことでけんかしました。ものすごい怒りで、勉強も何もできないまでになってしまいました。次の日のQTで、『だれでも自分の父あるいは母をのろう者は、必ず殺されなければならない。彼は自分の父あるいは母をのろった。その血の責任は彼にある』(レビ 20:9)とあり、神様がぼくに『このまま怒っているなら、あなたは滅んでしまう』と愛を持って語ってくださっている気がして、自分の怒りが消えて、心が穏やかになりました。神様に『まずは、父親に怒ったことを謝る』ように語られて、父に謝りました。すると、限られた時間の中で、今までにないくらいスムーズに父と話すことができました。」 さらに、その同じ日に同じ聖書個所から、Y兄の父親が神様から語られていました。「私は、前日に息子と携帯電話のことで意見が合わず、怒ってしまいました。もう一度話し会う約束をしましたが、どのように話したら息子を納得させることができるだろうかと考えていました。しかし、その日のQTでは『自分の子どもをモレクに与える者は、だれでも必ず殺さなければならない』(レビ 20:2)とあるではありませんか!『この世の考えにしたがって、自分の子どもを支配してはいけない』と示されました。私には、相手の人格を無視して、一方的に決めつけてしまう部分や、怒ってしまう部分があることをみことばから思い出しました。このことを悔い改めて、『怒ることなく、冷静に息子の立場に立って話すことができるように』と祈りました。すると、話し合いの前に、息子の方から、父親に反抗して怒ってしまったことを悔い改める告白がありました。その告白を聞いたとき、すべての怒りや迷いなどが吹き飛びました。そして、自分の考えていること、気持ち、心配を、飾ることなく正直に話すことができました。」 同じ日のQTで悔い改めに導かれたことによって怒りが一掃され、本音で話し合い、和解することができたのです。 さらに、私たちの教会では、QTをする生活が当たり前のようになるように、信仰を持ったばかりの人とともにQTを実践しています。ある時、こんなことがありました。 イエス様を信じる決心をしていたM姉妹は、洗礼に二の足を踏んでいました。ところがその日、聖書を開くと、そこには「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」(使 22:16)とありました。彼女は「何を迷っていたのだろう」と思い、すぐに洗礼を受ける決心をしました。人の説得ではなくみことばによって、生きて働かれ、導いてくださる神様を、信仰を持ったばかりの人も体験しています。 QTによって一人一人が神様に取り扱われ、人間関係を回復するすばらしい神様のみわざを見ることができること、さらに、QTによってチャレンジを受けて宣教の情熱が与えられ、働きが前進するのを見るのは、まさに教会全体の祝福です。このように、すべての信徒が、リビングライフを用いたQTを通し、神様の御心を実践する中で驚くべき主のみわざを体験しています。
清澤さちえ 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団中央聖書学校卒業。新松戸リバイバルチャーチ牧師。NPO法人子どもの環境を守る会Jワールド副理事長・相談室長。インターナショナルプレスクール「ひかりの子」代表。ファミリーネット新松戸代表。
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