|
霊的な礼拝者として
|
霊的な礼拝者の生き方 |
|
白川台キリスト教会 牧師 ● 小紫義弘
「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、エルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。…しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハ 4:21~24、口語訳)。主イエスは、サマリヤの女との会話の中で、まことの礼拝をする者についていくつかの大切なことを語られた。
霊とまことをもって礼拝すべきである 主イエスは、「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタ 18:19~20、口語訳)と言われた。兄弟姉妹、小さな群れであることを悲しむ必要はない。イエスは、二人または三人と言われた。いいえ、一人で祈っている小さな子どもの祈りも、主は聞いておられる。大切なことは、霊とまことをもって礼拝することである。 主イエスは、パリサイ人と取税人の祈りのたとえで、神に聞かれたのは取税人の祈りであってパリサイ人の祈りではなかったと言われた。真実な神は、真実な祈りに耳を傾けてくださり、答えてくださる。偽善は、神の一番嫌われることである。取税人は、神の御前に自らの罪を意識せずにはおれなかったのである。神は光であって少しの暗い所もない。人は外の顔かたちを見、主は心を見るとある(Ⅰサム 16:7)。主は、あの取税人の祈りと礼拝を受け入れられ、赦しとその確信を与えられた。霊的な礼拝者は、主の光の中に入り、自らの罪深さにおののき、恐れ、深い悔い改めに導かれるのである。聖霊は、そのたましいを慰め、いやし、大いなる神の愛で覆われるのである。霊的な礼拝者は、何よりもだれよりも、心の底から神ご自身を愛する礼拝者となる。聖霊は、主イエスの十字架の御血であなたをきよめ、聖霊の豊かな満たしをもってあなたを霊的な礼拝者とされる。
御心を行うことに全身全霊を傾注すること 主イエスが十字架のわざを成し遂げられ、天に帰られて50日後に聖霊を遣わされ、ペテロとヨハネは、大胆に神のことばを語った。一時は捕らえられていたが、御使いにより牢から解放されたとき、弟子たちが聖霊に満たされて祈ったことばがこれである。 「一同はこれを聞くと、口をそろえて、神にむかい声をあげて言った、『天と地と海と、その中のすべてのものとの造りぬしなる主よ。あなたは、わたしたちの先祖、あなたの僕ダビデの口をとおして、聖霊によって、こう仰せになりました、(中略)まことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、み手とみ旨にとによって、あらかじめ定められていたことをなし遂げたのです。主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせてください』。彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語りだした」(使 4:24~31、口語訳)。 霊的な礼拝者は、深い悔い改めとともに、聖霊によってバプタイズされ、キリストと一つにされた者である。キリストの心が心となり、キリスト以外に何をも望まない、キリストがあがめられ、ほめたたえられことが最高の喜びとなる。使徒たちは、心の底から主イエスが救い主であることを確信し、いかなる妨害や迫害も恐れずに、神の御心が行われることのみを求めるに至ったように、あなたもわたしも聖霊によって整えられるのである。 キリストにある救いのすばらしさは、何にもかえ難いものである。この地上における最高の救いである。聖霊が臨まれたとき、彼らはその恵みの大きさに圧倒された。彼らはだれをも、何をも恐れず、確信に満ち、大胆に語り出したのである。神は、彼らの祈りに即座に応答され、その場所が揺れ動いたのである。 今も、主を愛し、主のお心に従いたいと思う者に、主は古き人から完全に解放してくださる。霊的な礼拝者は、キリストと共に死に、キリストと共に生かされ、キリストがすべてのすべてとなってくださった者である。 霊的な礼拝者とされることは何と幸いなことだろう。その生き方は何の迷いもなく、主キリストの御名があがめられることをただ願い、求め、生きることである。それは、心、精神、思い、力をつくして主を愛することであり、主の御心以外には何もしない。御心であれば、どんな犠牲を払うこともいとわない。富も時間も、与えられたすべての能力も主と福音のために用いていただくことを最高の喜びとすることである。なぜなら、与えられているもので主から出たものでないものは何一つないからである。最後に主のお証を記して終わりとしたい。
霊的礼拝者は上よりの権威を着せられる 香川県で8年奉仕の後、徳島の教会に遣わされました。子ども三人と家内と私は、5トントラックに荷物を積んで、午後2時頃に新任地に着きました。荷物を降ろしていると教会の電話が鳴りました。役員さんの一人が電話に出られたが、どうも女子中学生からの電話で、牧師さんに助けてもらいたいと言います。荷物もそこそこに電話口に出ると、「牧師さんですか?どうか私たちを助けてください!恐いのです。」「今、どこにいるの?」「中学校です。」私は、何があったのかわからないまま中学校へ向かいました。学校につくと、2、3人の中学生が泣きながら言います。「恐い!友だちが急に変わってしまったのです。大人の声でうなるように『わしのことを言うと、おまえらを殺すぞ!』と言うのです。」「いつからそうなったの?何をしていたの?」二人の学生から聞いたところによると、日曜日友だち5人で悪霊を呼び出し、まじないをしていたそうです。そのうちの二人が、家に帰ってもやっていると、霊がその二人にとりついてしまいました。今朝、学校に来ると、二人の様子がおかしく、50代の男性がうなるような声で「わし(悪霊)のことを言うと、おまえらを殺すぞ!」と脅したそうです。それで私たちは、3階の教室に行きました。担任の先生に、私たちがここに来た理由を話すと、先生は「そんな様子はありませんが…」と首をかしげました。私たちが校長室で待っていると、電話をしてきた三人が入ってきて、「お願いです。友だちを元に戻して」と泣きながら訴えました。「イエス様は、救い主だから心配はないよ」と慰めていると、先生がその二人を連れて来られました。 私は一人の子を、S兄はもう一人の子を取り扱い始めました。二人とも目を閉じて何も口を開きません。「昨日から友だちと何をしていたの?」と聞くと、急に二人の様子がおかしくなりました。頭を垂れ、目はうつろになり、体がゆれ出し、右の手が左から右へ大きく動き始めました。右腕を振り回し、狭い校長室の壁に打ちつけます。私は、「サタンよ!この娘から出て行け!」と命じました。しかし、二人の挙動はますます激しくなり、私は心の中で「主よ!助けてください。この子たちを解放してください」と必死に祈りました。すると、その時、主は、十字架を語るように示してくださいました。そして、主は私の口を通して「神の子イエスは、十字架であなたの犯した罪のために死んだのです。キリストの十字架の血は、あなたの罪を赦すためでした」と言わせてくださいました。すると、今まで何の反応もなく、もうろうとしていた一人の女の子が突然ワッと泣き始め、その瞬間、私が「サタンよ!この女の子から出て行け!二度と入って来るな!」と宣言すると、悪霊は彼女から出て行きました。そうして、二人とも生気に戻りました。もう外は暗くなっていました。一部始終を見ておられたH先生が「20世紀の今日に、こんなことが起こるとは信じられません」と言われたので、ギデオンの聖書の使徒の働きから聖書の話をし、お祈りをして中学校を後にしました。 途中、悪霊から解放された女の子が帰宅途中だったので、車を止め、私は彼女に「どう?大丈夫?」と聞くと、「ありがとうございました。もう大丈夫です。祈っていただいたあの瞬間、私の心の中から何とも言えない嫌な思いがなくなりました。心が本当に楽になりました。ありがとうございました」と言って帰って行きました。この二人のうち一人は、次の日曜日に教会にやって来ました。 この出来事は、新任地の教会にキリストが今も生きておられることと、この地上において一切の権威を授けられていると言われたイエスのことばは、今も真実であることを証しする機会となりました。赴任した最初の礼拝から、主イエスの御名に栄光が帰され、一同が主の御名をあがめました。 霊的な礼拝者の生き方は、聖書の神を神と信じることです。神の言を神の言と信じた時から実を結んでいると聖書にあるが、小さい者の歩みの中にも神が生きておられることをさまざまなところで知らせてくださいました。神を心から愛し、主のお心を知らせていただき、主と共に歩ませていただきましょう。
小紫義弘 1946年兵庫県生まれ。1964年高校卒業後、神戸の会社に入社し、3年勤務。この間、日本伝道隊宣教師R・ヘイウッド師が開拓されていた集会に導かれ、救いにあずかる。教会開拓(現日本イエス鈴蘭台福音教会)。1968年関西聖書神学校入学。1972年志度キリスト教会宣教師とともに開拓に従事(津田、白鳥、引田)。1980年羽ノ浦キリスト教会(現日本イエス)で牧会・伝道。鷲敷教会兼牧。1986年から白川台キリスト教会に仕える。牧会のかたわら矯正施設、播磨学園(少年院)の教誨師・篤志面接委員として少年の矯正教育に携わる。2004年から加東市で開拓伝道に従事。
|
|
|
|
|