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QTをする教会の喜び
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信仰と教会を立て上げるデボーション |
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横山勝彦 ● 裾野純福音キリスト教会牧師、富士山SIR代表
「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか」(創 3:1)。悪魔の最初の誘惑のことばです。エバは悪魔の誘導尋問に引っ掛って、「『それに触れてもいけない、あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました」とことばを足したり、引いたりしました。これは、神のみことばを自分の内に住まわせていないこと(コロ 3:16)を暴露してしまっています。みことばへの足算も引算もしてはならないと主は言われています(黙 20:18~19)。 なぜ悪魔はアダムを誘惑しないで、エバを誘惑したのでしょうか。アダムはエデンの園での約束を神から直接聞きましたが、エバはアダムが神から聞いたことをアダムから聞きました。間接的にです。外堀が埋められた大坂城の陥落は、時間の問題だったように、エバも私たちも「神のみことばへの信頼」を外されてしまえば本丸である「神への信仰を」崩されるのは簡単なことです。 私は41年前にクリスチャンとして歩み始めました。救われた当初、主の幻を見させていただいたことを始めとして、数々の恵みの体験がありましたが、3年目に信仰のスランプの時を向かえました。祈っても、ぬかに釘的な感覚で、何をしても満足感がなく、身近なクリスチャンの方が主との交わりで満たされているのを見るにつけ、うらやましさを超えて自分の足りなさに落ち込むような状態でした。やっとそのスランプ状態から抜け出せた時、主の幻、いやし、奇蹟という現象を求めることを優先事項としていた自分は、主を悲しませているのだと知りました。それからは、主への絶対信頼の前提であるみことばへの信頼の構築を心に留めています。 私個人の信仰の立て上げとともに、今はキリストのからだである教会を立て上げるように召されています。心に掛けていることは、次の三つのことです。一つめはとりなしの祈りです。主は、十字架の贖いを成し遂げられるとともに、今も天の父の右に在ってとりなしの務めをされています。ですから、私たちも十字架にあってとりなしの働きをします。具体的には、富士山SIRというとりなしのミニストリ―をさせていただいています。二つめは、聖霊に満たされることです。御霊のバプテスマと満たしを求めています。三つめは、みことばのデボーションです。神のことばであり、ラブレターであるみことばに生活と信仰の基盤を置いています。 この三つめのデボーションのきっかけは、教会の窓辺から見える箱根山から始まりました。クリスチャン新聞に箱根で、オク・ハンフム先生やハ・ヨンジョ先生を講師とする弟子訓練の集いの案内があり、参加いたしました。その弟子訓練の基礎は帰納的デボーションで、新鮮な感覚でみことばを受け取ることができ、さっそく教会でもデボーションスクールを始め、みことばの恵みを味わっていただきました。デボーションの一助として、ときあかしと例話、そして祈りが一致しているリビングライフを教会のデボーション誌として採用したのもこの時です。ここに、お二人の方のデボーションの恵みを記します。 T姉は、ガラテヤ人への手紙5章22~23節を座右の銘として、いつも諸問題にぶつかる時、このみことばが心を支えてくれるそうです。職場の介護ホームで栄養士として働いていますが、ある日、食事の準備の一番忙しい時に入所者のご老人が話しかけてきたそうです。何度も聞いたことを、その日もオウム返しのように話されていますので、適当に切り上げようと思った時に先のみことばが心に深く示されたそうです。「…寛容、親切、善意、誠実…」などの御霊の実です。聖霊様がみことばとともに働いてくださって、しばらくの時、そのご老人とすばらしい交わりの時を過ごしたそうです。 また、いつも楽しいボリビア人のM兄ですが、その朝のデボーション、ルカの福音書16章10節から「小事に忠実」と示され、職場で上司の受け答えに、今までは冗談な対応だったようですが、その日から忠実に対応したそうです。それから数日して、会社のリストラがありましたが、M兄は職場に残り、いつも冗談ばかり言っていた同僚は職を失ったそうです。自分の生活に関わることでしたので、今まで以上に神様のみことばに対する畏敬の念が深くされ、O GOD SPECE方式のデボーションをスペイン語に翻訳して友だちに配っているそうです。 帰納的デボーションがまだの方は、聖書を読みリビングライフを読んで黙想すること、リビングライフを読めない方は聖書を毎日コツコツと読み進めること。その人に合った聖書の取り組みができるように励まし、どんなかたちでも神のみことば、聖書に接し、直接、神からのみことばのメッセージをいただくことを奨励しています。
横山勝彦 1951年、静岡県駿東郡小山町に生まれる。1970年、18歳の時クリスチャンとなり、ペンテコステ聖書学校および関西聖書学院にて学ぶ。1976年、裾野市茶畑にてスウェーデン宣教師ミルダ・ヤードストロム先生とともに開拓伝道を始める。1979年4月に牧師就任。現在、裾野純福音キリスト教会牧師。
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