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霊的な礼拝者として
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聖徒の皆さん、暁を呼び覚ましてください |
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大阪オンヌリビジョン教会 担任牧師 ● ムン・ボンジュ
「主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします」(詩 5:3)。
1. なぜ早天なのか A. 早天祈祷の意味 朝早く起きて祈るということは、やさしいことではありません。ですから、早天祈祷に慣れていない日本やアメリカの教会の聖徒たちはよく、早天祈祷は韓国の教会でだけ行われている独特な文化であると思い込んでしまいます。しかし、私たちに朝早く祈る習慣を教えてくださったのはイエスであることを忘れてはなりません。「イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マコ 1:35)。ルカの福音書は、イエスは「いつものように」祈られたと伝えています(ルカ 22:39~41)。このように、朝早く定期的に祈ることは、主が直接教えてくださったことです。しかし、早天祈祷をする韓国のどの教会を見ても、早天礼拝は聖日礼拝よりも出席率が少ないものです。聖徒とは、聖日の朝だけ聖徒である人を意味するのではありません。しかし、実生活において、多くの聖徒たちが聖日の朝だけ聖徒として生きています。神を慕い求めるたましいにとって早天祈祷は、神の御顔を仰ぐ前にはこの地のものを見ないという決断であり、毎朝神の祭壇に自分の心と生活の初なりの実をささげるという献身なのです。早天祈祷は、単なる祈りではなく、神とともに一日を始め、その一日を恵みの日としようとする聖なる試みなのです。世の中がみな眠りについている暁の時刻に、静かに起きて神に会い、一日一日を聖く、恵み深く生きていくことによって、神のすばらしい祝福を経験し、それを通して神の栄光を世に現すことができますよう、主の御名によってお祈りします。
B. 早天は習慣的に祈れる唯一の時間 朝早く祈ることを強調する理由は、毎日定期的に祈ると決意しても、主に祈りと礼拝をささげようとすると、ほかの時間には人や環境の妨害によって定期的に礼拝することがほぼ不可能だからです。昼は職場で働く時間なので、定期的に祈るのは物理的に不可能です。また、夕方は、一日中働いて休みたがる肉体のゆえに、大部分の人々が、神に礼拝や祈りをささげる時間を持つよりは、TVを見たり、音楽を聴いたり、友だちに会ったり、ゲームを楽しんだりといった自分が楽しむための時間を持とうとします。この夜の時間は、サタンの霊の活動が最も活発な時間なので、どんなに祈ろうと決心しても、友だちや家族や職場の同僚によって妨害されるので、決心を守り抜くことが難しいものです。誘惑に陥らないと決心しても、突発的なことは起こるものです。しかし、早天の時間には、自分の信仰の決断さえあれば、だれにも妨害されず、日々祈ることができます。ですから、詩篇5篇でダビデは、朝明けに主に祈りますという決心を告白しています。早天は、神が私たちの祈りを聞いてくださる、聖別された時間だからです。
2. 早天祈祷の祝福 早天祈祷を通して祝福された事例は、古今東西にあまりにもたくさんあります。アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは、毎朝4時に起き、聖書を読んで祈りました。将軍だった頃に、フィラデルフィア郊外のバレエ・フォーで、アメリカの独立のためにイギリス軍と最も熾烈な戦いを繰り広げました。彼は、早天祈祷の力でアメリカ独立を勝ち取ったのです。 また、2002年、イギリスBBC放送がイギリス人100万人を対象に実施した「イギリスの偉大な指導者」投票で1位を占めたのは、ウィンストン・チャーチルでした。しかし、彼の学校時代の生活記録簿はひどく、なんとか落第を免れるほどで、三浪の末にサンドハースト王立陸軍士官学校に入学しました。しかし、今、彼はシェークスピアにまさって、イギリス人が最も尊敬する人物です。第二次世界大戦時、イギリスを守り抜いた彼の力は、毎日どこでも祈る祈りの力でした。チャーチルの祈りは、子どもの頃「希望がなかった少年」を「すべての民に希望を与える指導者」に変えたのです。 私の場合、ハ・ヨンジョ牧師の説教が私に早天祈祷をするように決断させてくれました。執事でありながらも酒を断てずにいるという罪悪感と、聖書に対する知識の足りなさのゆえに、遅ればせながら42歳のときから聖書とさまざまな関連書籍を繰り返し読んで学びつつ、聖徒として変えられたいと渇望していたときのことでした。ハ牧師は、みことばは、人生の歩むべき方向を教えてくれる自動車のハンドルであり、願う方向に進むためには、つまり、みことばに従って生きるためには、祈らなくてはならないと言われました。祈るときに、聖霊のみわざによってエンジンの動力が自動車に伝達され、願う方向に進むのだということばが、私を目覚めさせてくれました。みことばをどんなに研究して人をうまく教えても、自分自身は変えられないということばに、とても恵みを受け、その翌日から早天祈祷に通い始めたのです。長い祈りの生活の末に聖霊体験をした時から、祈りをささげる時間に私の心の中で働かれる聖霊によって、私の心の中に注がれる神の愛が私の心をたたき、その愛が私を変え始めたのです。主が私を愛しておられるということを、頭ではなく心で悟って、涙を流し、利己心を捨て始めました。主のみことばどおりに「自分」を捨てることのできる力が(マコ 8:34)、私の中で働き始めたのです。私を愛してくださる神の愛の力だけが、私を変えることができることを知ったのです。その時以来、周りの貧しい人や病気の人が目に入るようになり、彼らを見ると、以前とは違い、主のようにあわれみの涙が流れ始めたのです。経済的に恵まれない人々の話を聞くと、無条件に助けるようになりました。お金ができると、ただ人を助けたいという心がおのずと生じたのです。自分の昇進や出世のために祈っていた者が、自分が願う地位をほかの人に与えてくださいと祈るようになったのです。自分が変えられていく姿に、自分自身が最も驚きました。このように生きていくとき、神が家族に与えてくださる祝福は、ことばでは言い表せません。子どもたちが霊的に変えられ、就職先や結婚相手が与えられるなど、早天祈祷を通してみことばに従う生き方をささげると、その祝福の実は数えきれないほどでした。ところが、祈りの生活を熱心にすると、かえって出世の道はふさがれました。イエスを熱心に信じると、世の中では成功しません。かえって十字架の苦しみが待ちかまえています。ところが、問題は、それが悲しみではなく、喜びで満ちるということです。主は、私を牧会者の道に、それも日本宣教師として召し、数多くのたましいを救う働きのために余生を用いるように導いてくださいました。私は今、この世のだれよりも幸せです。 今日の韓国は、世界的な宣教大国として世界中に宣教師を派遣しており、全世界が金融危機によって経済的な苦しみを受けているこの時にも、世界の先進国グループであるG20(主要20カ国)の中で最も早く景気を回復した国として認められています。この祝福は、暁を呼び覚ます韓国の教会と聖徒の祈りの力であると、私は信じます。 1980年代、私は外交官として、修交交渉のためアフリカの国々を訪問しました。当時、大使館もない所で、その国の情勢と外交政策を把握するということは、非常に難しいことでした。ところが、驚いたことには、どんなに未知のアフリカの国に行っても、そこには韓国宣教師が必ずいるのです。彼らの助けによって修交交渉を行いながら、韓国人の宣教への情熱に驚きました。最近、K-POPや韓国ドラマによる韓流ブームが、日本、中国、東南アジアなどのアジア諸国だけでなく、アメリカ、フランスなどの西欧、南アメリカや中東イスラム地域に至るまで、全世界で話題を呼んでいます。これもまた、韓流ブームを通してラブ・ソナタによって日本に福音を伝えるために、暁を呼び覚まして祈る韓国人が、韓流を通して全世界に福音を伝えるよう導かれる神の御手であると信じます。私は、日本の聖徒の皆さんが暁を呼び覚まし、民族の救いとさまざまな祝福を味わうことができますようお祈りします。
3. なぜ教会で早天祈祷なのか 早天祈祷は家でもできますが、私は皆さんに教会で祈る祝福を味わっていただきいと願います。神は、よみがえられたイエスを、教会のかしらとされました(エペ 1:22)。イエスは、教会のかしらです。かしらには手足がないので、皆さんのように手足を持った聖徒が必要です。ですから、聖徒はかしらとなられたイエスのからだの器官であると、聖書は語っています(エペ 1:23)。かしらは、ひとりで伝道したり、直接貧しい人々を救済することができません。ですから、かしらとなられた主は、皆さんが教会に来て礼拝をささげるとき、主の手や足となる皆さんを非常に喜び、祝福してくださるのです。私は、内村鑑三が日本のキリスト教に及ぼした良い影響も大きいと信じていますが、彼が無教会論者であるという点が気にかかっています。教会なしに信仰生活はできるかもしれませんが、かしらとなられた主が不自由なからだにならないことを願います。教会なしには自分を捨てる訓練をすることができません。世の中では名刺を持って仕事をしますが、教会では名刺にある自分の権利や利益を捨て、兄弟姉妹に対してへりくだり、互いに奉仕し、愛し合うのです。世の中で熱心に稼いだお金を主にささげてください。お金を捨てる所は教会だけです。家で礼拝をささげる聖徒には、自分のものを捨てる訓練ができません。祈りをささげる態度には、義への飢え渇きがなければなりません。そして、祈った後は神の導きに徹底的に従うという心構えが必要です。祈る目的は、「私の願いをかなえるため」ではなく、「神の導きに従うため」であるべきです。私は、皆さんが教会に来て、早天礼拝をささげることで神を喜ばせ、驚くべき変化の祝福を味わわれますようお祈りします。
ムン・ボンジュ 1949年4月19日生れ。韓国ソウル大学外交学科卒業。トーチトリニティー神学大学院卒業。外交通商部 東北アジア課長(日本課長)、アジア局長、ニュージーランド大使、駐米ニューヨーク大使総領事を務める。現在、大阪オンヌリビジョン教会担任牧師。著書に『早起きクリスチャンの祝福』(Duranno書院)、『聖書の脈をつかもう』(韓国Duranno書院)がある。
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