山口和正 ● 田園宮前チャペル 牧師
約17年前に、長老として仕えていた町田聖書教会から出て、開拓伝道を始めました。神学校に通いながらの出発でした。私が49歳の時です。以来、今から8年前までは働きながら伝道牧会をしてきました。妻も1年前までは働きながら支えてくれました。8年前に今の場所に会堂が与えられ、それを機に仕事を辞め、牧会伝道に専念することにしました。 オンヌリ教会のハ・ヨンジョ先生のことはあまり知りませんでしたが、ラブ・ソナタ東京大会に参加することを通して、お出会いしました。 東京大会の後、セミナーに参加して一対一弟子養育訓練、リビングライフのことを知りました。その時、ハ・ヨンジョ先生は「これが良いと思ったら、4年間は徹底してまねすることが大切です。韓国のオンヌリ教会に来て、何を学ぶか選んでください」と熱く語られました。そのことばが心に響き、今も忘れることがありません。私も徹底的にやってみようと決心しました。 教会に帰り、みんなにリビングライフを勧め、一対一弟子養育訓練を始めていくことを説明しました。 その年の11月に、私の属する教団の関西の先生や信徒あわせて20名で一対一弟子養育訓練受けるためにオンヌリ教会に行ってくることができました。日本語ができる方20名が4日間丸々養育とお世話をしてくださいました。これほどまで親切にしてくださるとはと、感服と感謝の思いで一杯になりました。 それから、私たちの教会では日曜日の第2礼拝を、リビングライフを通しての分かち合いの時と位置付けました。この分かち合いの時間は、とても充実した証しの場となり、各人がみことばの恵みを豊かに受けるようになりました。実生活のなかでの失敗や恵みがいろいろ証しされ、みことばからこんなにも多くの恵みが与えられるのかと、みなが励まされました。 問題に直面した時、みことばに従うようにと勧めたり、励ましたりしても、自分には無理だと思ってしまう人たちがいました。世の中で生きていくためには、ある程度同調しなければ生きていけないと思う人もいました。そのために、いつも同じ問題に悩まされたり、神の恵みと祝福に授かれず、さびしい思いにとらわれている人もいました。けれども、リビングライフを続けていくうちに、みことばにしっかりつながる中に本当の恵みと祝福があるということが少しずつ理解され体験されていくようになりました。 ある時、教会の中に問題が起きたことがありました。その時、神様は不思議なまでに、この問題について繰り返しリビングライフを通して語り続けてくださいました。それで、教会員の皆が、この問題についての神の御心を知ることができ、一致した思いで対処することができました。 リビングライフはまた、日曜学校の小学校の中高学年クラスで使用しています。子どもたちも一冊ずつ購入(半額教会負担)して持っています。これを、家庭礼拝と教会学校の学びの両方に用いています。毎日少しずつですが、子どもたちに聖書を読む習慣がつき、聖書理解も増しつつあります。 ちなみに、幼児と低学年では『ひかりのこども』を使っています。これも、すばらしいです。まだ日本語になっていない教材もあるため、それらは自分たちで翻訳して使っています。 それから水曜祈祷会と土曜礼拝のメッセージは、リビングライフで行っています。 また、ノンクリスチャンの友人や親族にリビングライフを毎月プレゼントし、いっしょに学んでいる人もいます。一対一弟子養育訓練もまだ数は少ないけれども、今は、訓練を受けた人が次の人を養育するところまで来ています。 リビングライフがまだ難しい人には、まずハ・ヨンジョ先生の『幸福の始まり イエス・キリスト』から始めています。新しい人からは、わかりやすいととても喜ばれています。 リビングライフによるQTを通して、愛する教会員の皆さんがより深く神様と交わり、実生活の中でみことばに満たされていく様子を見るとき、本当にうれしく思います。
山口和正 1944年愛知県豊橋市で生まれる。22歳で上京し、電子部品製造会社に勤務し技術畑を歩む。会社役員、顧問をへて49歳で退職し、牧師となる。28歳の時、日本オープンバイブル教団町田聖書教会で受洗、7年後の1980年に教団の信徒伝道者として母教会の働きに加わる。1994年田園宮前チャペルを開き、開拓伝道を始め、今日に至る。1997年アンデレ宣教神学院卒。
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