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喜びの霊性④
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近くにいる人を愛する喜び② |
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カン・ジュンミン ● ニュー・ライフ・ビジョン教会 主任牧師
肯定的な考えで人を見る 人間関係で最も重要なものは、考えです。考えから、観点や態度、感情が出てきます。ですから、近くにいる人を愛するためには、よい考え方をしなければなりません。考え方を学ばなければ、成熟した人になることはできません。感情は考えから出てくるため、考えが変わると感情も変わります。考えは感情を作り出す工場のようなものです。 パウロも喜びを教えるピリピ教会の聖徒に対して、「考え(思う)」ということばをよく使っています。「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し」(ピリ 1:3)、「私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、…私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです」(ピリ 1:7)。 近くにいる人を愛する秘訣は、正しい考え方でその人を見ることです。考え方次第で、その人を好きになることも嫌いになることもできます。考えは非常に大切です。パウロも「すべての真実なこと、すべての誉あること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい」(ピリ 4:8)と、肯定的なことを考えるように勧めています。 事実、人生は見る目によって決定されると言っても過言ではありません。肯定的に考えるためには、肯定的な目を持つ必要があります。持っているものが同じものでも、それを見る目によって天と地の差が生まれるのです。 以前、ナイヤガラの滝は、アメリカとカナダの洪水の原因となり、農業を不可能にしていました。しかし、この滝の力を利用したいと考えた人が、ダムを建設しました。そして、ナイヤガラの滝はアメリカとカナダ両国に電力を供給するようになりました。滝には、破壊的な力という否定的な面と、創造的な力という肯定的な面があります。重要なことは、どちらに目を留めて、その力を利用するかということです。 どのように考え、何を見るかということは重要です。イギリスの詩人、エドモンド・スペンサーはこのように言っています。「人生は、彫刻する石のようなものだ。この石に、神を彫刻するか、悪魔を彫刻するかは、各人の自由である。」私たちが接する人をどのように彫刻するか、どのように見るかによって、その人の人生を左右することがあります。人の中には、天使の姿と悪魔の姿が存在するからです。 パウロは、愛するピリピ教会の聖徒をどのような目で見ていたでしょうか。福音の目で見ていました。「あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています」(ピリ 1:5)。また、「福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり」(ピリ 1:7)。パウロとピリピ教会の聖徒は、福音を受けた者の目で互いを見、福音にあって交わったのです。 福音の中には、何があるでしょうか。福音は、イエスのご生涯の中に現れた神の恵みです。恵みとは、罪人に無償で与えられる神の好意です。福音には、赦しと悔い改めがあり、人を変える力があります。福音には、罪を憎んでも、罪人を愛される神の愛があります。過去のすべての罪と咎が完全に赦される愛があります。 パウロは、イエスに出会うまでは、律法に縛られていました。律法は神のものであり、すばらしいものです。信仰と良心を教え、人生の道案内となってくれます。しかし、律法は罪を赦すことができません。律法は、人をさばき、罪に定めます。人の罪と咎を光の下にさらします。パウロは、そのようにして生きてきた人でした。イエスを信じる人々を訴え、殺し、虐げてきた人でした。 そんなパウロが、イエスに出会いました。福音に出会い、福音の中で変わり、新しくされ、赦しとあわれみと恵みを経験しました。すべての人の中にある可能性を引き出す神の御業を経験しました。今、パウロは、人を主の目で見ています。パウロは、自分の出会った人々は皆、変えられた人、または変わる可能性を秘めている人と信じて、愛しているのです。 ほかの人が私をどのように考えているかは、思い通りになりません。しかし、人をどのように見て考えるかは、私の責任であり選択なのです。天使と見るか、悪魔と見るかは、私自身の選択です。自分を立て上げる人と見るか、自分を倒す人と見るかは、心の中で決定されます。ですから、私たちは福音によって人を見る目を持たなければなりません。福音が与えられた私たちは、その愛を与えられた者らしく人を見なければなりません。イエスは私のためにいのちを捨てられると同時に、私を苦しめる人のためにもいのちを捨てられたということを覚えなければなりません。
人の良い点を見て感謝する 最も幸せな人は、出会う人の良い点を探し出せる人です。良い神に出会うなら、それが可能です。人の良い部分を探し出すためには、良いものとは何かを知っている必要があります。また、自分の中に良いものが多ければ多いほど、人の良いものも多く見つけ出すことができます。私たちの知っているものとは、持っているもの、認識しているもの、経験してきたものなどです。 身近な人の良い点を探して、それを伝えるとき、私たちは良い神に似ていきます。神は、良い方であり、私たちに良いものを惜しまれません。 「主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません」(詩 84:11)。 「まことに、主は、良いものを下さるので、私たちの国は、その産物を生じます」(詩 85:12)。 「あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる」(詩 103:5)。 「あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」(マタ 7:11)。 みことばの言う「良いもの」とは、何でしょうか。それをイエスは、聖霊であると言われました。イエスは、私たちが求めるなら、天の父は良いものを下さると言われました(マタ 7:11)。 ルカの福音書には、「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ 11:13)と記されています。聖霊は良い方です。また、聖霊が与えられるなら、私たちは良い点を捜し、感謝することができます。恵みを受けるということは、聖霊の満たしを経験することです。聖霊に満たされるなら、良いものを見る目が与えられます。そして、感謝があふれます。つらい出来事の中でも、良いことを探し出すことができます。難しい人と会うときも、その人の良い点を見つけ、感謝できるようになります。 パウロは、「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し」(ピリ 1:3)と、ピリピ教会の聖徒を考えて感謝しています。ピリピ教会に、良い思い出ばかりがあったわけではありません。女奴隷から悪霊を追い出したために、むち打たれ、牢に入れられたこともありました。しかし、パウロは良くない思い出をすべて除き、良い思い出ばかりを考え、神に感謝しているのです。私たちも人を見て、その人の良い点を見つける習慣を持たなければなりません。 人と自分の持つ弱さをどのように見るかによって、この世界は変わってきます。身近な人の何を見ていますか。長所でしょうか。短所でしょうか。あなたが考えているのは、自分が人にしたことでしょうか。あるいは、身近な人があなたにしてくれたことでしょうか。そして、それを感謝しているでしょうか。 人生において重要で、かつ難しいことは、何に集中するかです。人生に勝利して生きていく技術の中で、最も重要なことは、何を見過ごして、何を見過ごさずに生きるかです。私たちに必要なのは、最も重要なことに集中し、それ以外は見過ごし、問題となる一つのことに絶えず集中する力を養うことです。 何よりも、私たちは良いことに集中しなければなりません。人の中には良い思いがあります。主は、悪者も自分の子どもには良いものを与えると言われました。どうしようもない人のように思えても、その人の中には良い思いがあることを忘れてはなりません。だれでも、良い夫、良い妻、良い信徒でありたいものです。私たちは、人の良い部分を見なければなりません。無理だとあきらめず、できることを探して、努力してください。エドワード・エベレット・ヘイルは、「私はただの人間に過ぎない。それでも、私はどこまでも人間である。私は何でもできるわけではない。しかし、私にできることはある。また、すべてのことができないからと言って、私のできることまでもあきらめたりはしない」と言いました。 私は、人に会うたびに、その人がどれだけ私を愛してくれたかを思いながら時間を過ごしています。すべての人が、私にとっては恩人のようです。私を苦しめて傷つけた人にも感謝しています。その人のおかげで、人生を深く考えるようになったからです。私の中にある高ぶりを捨て、さらに神の御前にひざまずいて祈るようにしてくれたからです。 私たちは、私たちに良くしてくれ、恵みを与えてくれる人に冷淡であることが多いのではないでしょうか。感謝する人になりましょう。人生を導き、恵みを与えてくれた両親に感謝し、夫や妻に感謝し、そして何よりも神に感謝しましょう。 感謝する心は、相手を変える前に、私たちの心を変え、幸せをもたらしてくれます。ですから、感謝する習慣と、いつも良いことを見る習慣を持ってください。自分が与えたものは忘れて、相手が与えてくれた恵みを考える訓練をしてください。
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