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ディアスポラ日本人
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火と雲の柱である聖霊様の導きに支えられた宣教行程 |
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アルゼンチン ユニオンアッセンブリー教団 ● 在原繁
「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった」(出 13:21)。 1988年4月の復活祭を過ぎた後、私たち家族は、主が道を開かれたアルゼンチンの奥地ミシオネス州に向けて、首都ブエノスアイレスのチャカリータ駅を出発しました。アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル3国国境地帯に位置する地、そこに宣教地ミシオネス州が存在しています。映画『ミッション』の舞台です。 行けども行けども、果てしなく続く大パンパ平原を、私たちを乗せた大陸列車は、鈍くきしんだ音を立てながらひたすら北上を続けて行きました。目に入るものは果てしなく続く平原と、時々目に入る放し飼いの牛だけでした。宣教地に赴くときに自ら言い聞かせることばは、「勝って来るぞ」と勇ましく、とあるべきところでしょうが、気の遠くなるほど広がる平原を目にし続ける私の心に去来したことばは、今でも鮮明に記憶しています。「果たして勝てるだろうか」という絶望的なことばで、そう思った瞬間にやって来たことばは、「勝てない、勝てるわけがない」というまことに悲壮感あふれるものでした。① 宣教地でどこになにがあるかが分からない、② 知人がいない、③ 3人の子どもの教育をどうするか、④ 何よりもスペイン語がわらない、ときています。これでは勝てるわけがないと思いました。 しかし、沈んだ思いで景色を目にする私を支え、励ますために、神様は、かつて4年間の宣教準備行程下で現された数々の奇蹟のみわざを思い起こさせました。そうすることで、私たちの信仰を高揚させ、奮い立たせられたのでした。それはまるで、出エジプト記の荒野のイスラエルの民を見るようでした。 1984年、世界宣教の召命を確信した私は、心燃やされてはいたものの、これからの準備をどのようにすべきかわりませんでした。私は、一人山中湖のキャンプ場に入りました。断食をして祈るためです。じつは、これが主の導きであることを後に知ることになりました。先が見えず、焦る思いをもってひたすら祈り続けているところに、翌日の朝のことでした、母教会(御殿場純福音キリスト教会)の開拓、設立者である宣教師、G・アクセルソン師がやって来られたのです。あまり断食祈祷などすることのなかった私の突然変異なる姿に驚いたのかどうかはわかりませんが、一体何が起こったのかと真剣な眼差しをもって質問してこられたのでした。 世界宣教への召命のこと、準備をどのようにしてよいか皆目見当がつかぬこと、宣教地は地の果てのアルゼンチンで莫大な資金が求められることなど、それまで胸につかえていた苦しい思いを、それこそしぼり出すように答えていったのです。アクセルソン師という人物は、宣教師としては一流ともいえる器で、それまでの実績もさることながら、愛、聖さ、寛容、柔和、誠実、そしてリーダーシップなど、私の知る限り、最もキリストに近い人格を有する人格者であったことから、比較的に肉的だった当時の私の提案に対しては、ことごとく反対をされ、行く手を阻み続けられるという苦い体験が幾度かあったのです。どうせ、また反対するに決まっている、と思っていた私の思いに対し、このときの師は、目にうっすらと涙を浮かべながら意外なことを口から発せられたのでした。 「在原兄の受けた召命、それは主からのものです。約30年前に御殿場に導かれた私と妻は、まず最初に礼拝をささげました。そのとき、神様は私たちに預言をもって語りかけられたのです。 『あなたがこの地でわたしを礼拝し、わたしのことばに立って生きるなら、わたしはあなたを祝福しよう。そして、あなたを通し、わたしはこの地にわたしの教会を立てるであろう。この教会からは多くの働き人(献身者)が生み出され、祝福が拡大されるようになるであろう。終わりのときに、この教会からは宣教師が派遣され、後に、教会は大きな祝福を受けながら祝福を拡大し、リバイバルのために諸教会に仕えるようになるであろう。』」 まさに、預言的ともいえるこのことばは、結論として言えることですが、その後すべて成就されました。いつも聖書のことばだけに立つことを宣言してきた御殿場の教会は、紆余曲折、その後さまざまな困難を通りながらも成長を続け、教会からは多くの献身者を輩出してきました。80年代後半、私たちが宣教地に着任し、アクセルソン師が日本宣教に終止符をうたれ、母国スエーデンに帰国直後のことでした。故郷の病院の一室で一人さびしくこの世を去っていかれたのです。終わりの時代に宣教師が出るという預言の「終わり」とは、じつは主の再臨による世の終わりでなく、アクセルソン師の生涯の終わりであることを後に知ることになったのです。田舎の教会から地の果てへ宣教師を派遣することなど、常識からして不可能と思えることですが、私たちが派遣されて約2年後、教会は不思議ともいえる成長、躍進が始まりました。それまで70坪50名収容の会堂は満杯となってしまったため、市の東方に位置する一等地(1500坪)への移転を余儀なくされるという、嬉しい悲鳴をあげることになったのです。教会には中見牧師と野木牧師ほか3名の伝道師が現在仕えておられ、献身希望者は少なくても現在3名おられます。さらなる祝福という預言のことばは実証され、これによって、今から約50年前にアクセルソン夫妻が受け取った預言のことばの成就を見ることになったわけです。 アルゼンチンに入国した私たちに、主の火と雲の柱はいつも付き添うようにして導いてこられました。宣教地に赴く前、準備のためにブエノスアイレスに2ヶ月間の滞在を許されていました。そして、この期間に、主の計り知れない御業を体験をしながら力を受けることになりました。たくさんの不思議な体験の中から、いくつかを証しましょう。
1)若い牧師夫妻の幻 ある日、夕暮れ時に私たちを訪ねた現地人の若い牧師夫妻は、私たちの姿を目にするや、「この人です、私たちが待っていた器はこの人です」と言って抱きついてくるではありませんか。彼らの話では、ずっと以前に私たちのことを夢見ていたため、私たちの出現をずっと待ち焦がれ、幻の人に会えたので嬉しくて涙してしまったということでした。
2)リバイバリスト、C・アナコンデイア師との出会い 名も知らなかったアナコンデイア伝道師の大集会に、ひょんなことから導かれ、そこで不思議な体験をすることになりました。雨上がりの7千人位が集う屋外集会が始まる前のこと、不思議なことにアナコンデイア師に個人的に会うことができました。個人的な励ましのことばと按手の祈りを集会前に受けることは、通常では不可能であることを後に知ることになりますが、この晩にそれが実現したのです。そして、集会の最後に、「今晩この中に日本人か来ています。私は最初に日本人のためにお祈りします」という招きの中、私たちが最初に祈りを受けるという恵みにあずかることになりました。そして、そのときに受けた按手から、聖霊の激しい油注ぎが始まったのです。
3)ある婦人の不思議なことば つい最近のことです。私たちの教会に、主は預言をもって語られました。「リバイバルが続くなか、間もなく日本から一人の器がこの教会にやって来てメッセージをするようになるであろう。日本からのその器とは、パストール・アリハラ、それはあなたのことです。」光り輝くような鋭い霊性を有した女性リーダーの3人が、私を指差しながらそう言うではありませんか。首都から約300㎞北方に位置する田舎町C市の教会に導かれたときに受けた不思議な体験です。 思えば、日本における4年間の準備期間から始まったしるしと不思議の体験は、アルゼンチン宣教というとてつもない働きを推進する霊的原動力となり、私たちを励ましてくれました。今年で宣教24年目ですが、私たちの宣教は、火と雲の柱である聖霊様の導きに支えられたと断言できます。どこに何があり、どうなるのかもわからない、けれども前進という宣教行程は、足の裏を休めることのできなかったイスラエルの民のディアスポラ(流浪)と全く同じだと思います。大いなる荒野に置かれたイスラエルの民を導き、助けたのは、火と雲の柱であり、かつて現されたみわざを思い起こすことから、イスラエルは主こそ真実なお方であるという信仰の確信を抱くことができ、それが前進の原動力となりました。 宣教地で主に仕えている私たちと、震災によって大試練下に置かれた私たち日本国の現状は、ディアスポラの民という心境ですが、主とみことばと聖霊様の導きを仰ぐならば、ディアスポラの民に乳と蜜の流れる約束の地が開かれること、これが確信となって私たちの心を奮い立たせています。
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