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ディアスポラ日本人
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暗やみに主の栄光を |
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アンテオケ宣教会 ● 賀川ミシル
「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる」(イザ 60:1~2)。
これはインド人の男性と結婚して、彼の働きを支えていくことを決断する際に、神様からいただいたみことばです。彼は、自分の故郷であるインドの東の端から西の端のチベット難民地区に移り住み、当時チベット語への翻訳を手がけていました。私は、救われた頃から海外未伝の地域の働きへの願いがあり、初めて会った彼の話を興味をもって聞きました。しかし、すぐに導きを感じたわけではなく、それまで関心を持ったことのなかったチベットは、自分とは無関係にしか思えず、まさか将来自分がそこに行くことになろうとは想像もしませんでした。それが、願いが芽生え、祈りとなり、決断にいたり、約束を与えて、神様は送り出してくださいました。 彼の故郷での結婚式を終えてすぐに向かった現地で待っていたのは、カルチャーショックでした。インドでありながらチベット地区という二重の文化に囲まれ、さらに夫はインドでも異なる文化の持ち主という3重の異文化に飛び込んだわけです。まず、夫婦間の異文化経験が何より大きな課題でした。結婚1ヶ月後に義父が突然召されるという悲しい出来事など、夫婦として乗り越えていくべき数々の壁を与えられて一つとされていったように思います。とはいっても、インド人の夫に、日本人としてのカルチャーショックを理解することはできません。当時は、携帯電話はもちろん、インターネットも十分に普及していませんでした。日本の支援会も発足する前で、日本との関係もぷっつりと切れてしまったような孤独感に包まれました。加えて、異教の独特な空気のど真ん中に置かれた圧迫感がありました。それは、神様がすでに語っておられた通りの「やみにおおわれた地」であったわけですが、当時の私は、そのことばのあとに続く「しかし、あなたの上には主が輝いている」という約束を忘れ、自分自身もそのやみにとらわれてしまったかのようでした。ある時、四方八方をふさがれたような状態だった私が、すがるように「主よ」と問いかけると、上から温かなイエス・キリストの光が差し込んできたような気持ちにおおわれました。私は、「イエス様」と涙ながらに祈りました。イエス様は、そのような状況の中でもともにいてくださっていたのです。神殿を建て直し、ここに遣わしてくださったのは神様であるという確信が与えられ、与えていただいた約束への信頼を固くしていきました。快適な日本を離れ、召されたその土地のただ中で、「それでも、わたしに従うか」という神様の問いに、答える決断が必要だったのです。 私が加わって2年後、チベット語への聖書翻訳作業を一区切りつけて本にすることができました。同時に、日本の母教会に支援会が立ち上がり、私はアンテオケ宣教会に所属することを認めていただきました。 背後の支えがあるとは、なんという祝福であり、励ましとなることでしょう。祈りと支援の輪が広がったとき、神様は一人の修行僧を送ってくださいました。彼は、私たちが出版した本に興味を持ってくれたのです。彼は、聖書への関心をすでに持っていましたので、すぐに聖書研究会が始まりました。夫婦ふたりの礼拝が3人になった時は嬉しくてたまりませんでした。またその感動を日本で祈って支えてくださっている方々と分かち合うことができるということが、なお一層の喜びと感謝となりました。修道院を離れた彼のために小さな一軒家を借りて、そこで聖書を学ぶようになりました。しかし、信仰を持った彼に次々と問題や病気が襲いました。ともに授洗した彼の友人は、周囲の声を拒むことができずに離れていきました。この地でイエス・キリストを信じていくことがどれほど困難であるかを目の当たりにしましたが、主はいつも脱出の道を備えてくださいました。問題を乗り越え、無事に彼を神学校に送り出すことができ、現在も彼は元気に学んでいます。 その後、新たな働きの道が開かれました。薬物やアルコール依存となった人々への援助です。神様の愛を伝えていく方法を祈り求めていたとき、その当時あったチベット人の薬物リハビリセンターのボランティアに誘われ、それまで知らなかった難民社会の底辺によどむ問題を知りました。実際に助けを求められ、知り合いになった青年が薬物とエイズが原因で亡くなり、この問題を見過ごすことはできませんでした。一方で、働きの困難さのゆえに躊躇しましたが、神様は祈りのうちに「一粒の麦」となるように語られ、本格的に取り組んでいくことを決めました。 まず、彼らと自由に話ができる部屋を、その後24時間ケアができる一軒家を借りました。部屋や家を探して借りるにも、事情が事情だけに簡単にはいきませんでしたが、主はいつも道を開き備えてくださいました。 次に、彼らの仕事を考えなければなりません。何人目かのケアホーム滞在者が、プロの仏画の絵師で、風景画やクリスマスの絵を彼に注文し、その絵を葉書にして販売するようになりました。これが、お店を運営することになる始まりでした。そして、今は、ケアホームの作業としてミシン縫製を習得させ、その製品を販売して彼らの自立のために貯蓄しています。そして、お店の利益が家賃やスタッフの給料など運営費にあてられています。 正式にNGOとして登録することもでき、私たちはソーシャルワーカーとして社会的な立場が与えられ、お店は観光地のこの町で私たちの顔となってくれています。チベット語で川という意味の「ツァンオ」というNGOの名前には、「この川が入る所では、すべてのものが生きる」(エゼ 47:9)ようにという祈りがこめられています。 このように、目の前の必要にひとつずつ応えていった結果、予想しなかった展開が広がりました。地に落ちる麦となる決断をした後、神様が成長させてくださったのです。 ケアホームでは、これまでのべ約30人以上を預かってきました。病気やひどい依存症から回復して家族のもとに帰って行った者、まったく変化のない者、出て行ったあと悪評をふれまわす者。じつにいろいろです。私たちは、もちろん主によっていやされ解放され、イエスの弟子となっていくことを願い祈りますが、実際は落胆や失望の連続です。 難民という独特な社会の閉塞感、不安感。散り散りになった家族。宗教的なプレッシャー。ニューエイジの弊害。目に見える周囲の現状にとらわれると、私たちが行っていることはなんと無力であるかと思わせる誘惑に陥りそうになります。しかし、この働きは全能なる主のものであるということ、その主が始められ、主が導いてくださっているということ、主にあって無駄でないことに感謝します。先日も、ケアホームを随分前に出て行った人が友人を連れて会いに来ました。私が語る前に、彼の口からその友人に聖書の話が語られました。みことばが彼の心に残っていてくれたのです。またある時は、祈祷会の日を覚えていて、祈りの要請を電話で言ってきた者もいました。主からの励ましです。 「おとずれの日に神をほめたたえるようになる」とあるように、すべては主の御手にゆだね、主に期待し、自分たちの務めを主が止められる時まで果たしていきたいと願います。今後も主の語りかけを聞き取り、知恵をいただきながら、主の御心に沿ってケアホームの運営を進めていくことができるようにお祈りください。 ここ数年、お店が火事にあったり、泥棒に3度も入られ、商品をごっそり盗まれたりということもありました。しかし、その都度、主は、経済的な必要を補ってくださいました。お店の運営のためにもお祈りください。また、ケアホームは男性専用で女性はこれまでほかの施設を利用してきました。女性への働きかけを今後どのように進めていったらよいのか祈り求めています。ケアホームもさらに適した場所に移りたいとずっと祈り続けています。 これらすべてのことを通して、主が約束してくださったように主の栄光を輝かせていくことができますように心から祈っています。
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