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マタイの福音書の恵み ⑬
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離婚に関するイエスの解釈 |
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オンヌリ教会 主任牧師 ● ハ・ヨンジョ
殺人と姦淫に続き、離婚に関するイエスの解釈についても考えていきましょう。今は、殺人を犯し、姦淫をする時代だけでなく、離婚をする時代でもあります。世界的に離婚率が急増し、結婚よりもたやすく離婚します。離婚のせいで起きる家庭崩壊や、夫婦関係や親子関係の破壊は深刻なものになっています。 イエスは離婚の妥当性や合理性を探す律法学者やパリサイ人の見解を退け、聖書の正しい離婚観について教えてくださいました。つまり、不貞以外の理由で妻を離別してはならないと言われたのです。今日、離婚の理由はさまざまで、その理由は妥当であると考えられています。しかし、離婚のために生じる結果には責任を負いたがりません。考えているのは、特権と権利だけです。今の時代の離婚観と、イエスの時代の律法学者やパリサイ人の離婚観は、非常によく似ています。
律法学者やパリサイ人の離婚観 では、律法学者やパリサイ人の離婚観はどのようなものだったのでしょう。「また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ』と言われています」(マタ 5:31)。律法学者やパリサイ人は、離婚したい時はいつでも離婚してよいと、モーセの律法を間違って解釈しました。これは、離婚に関する聖書の精神を根本的に誤解したものです。では、なぜ旧約聖書で離婚のことが記されているのでしょう。それは、男性の些細な理由でむやみに離婚をさせないためです。当時、女性は、男性からきちんとした扱いを受けていませんでした。男性は、自分の利己的な動機と性欲にまかせて妻を捨てたり、しいたげてきました。
モーセの律法に見る離婚 モーセは、次の条件がある場合のみ離婚できると律法に定めました。 第一に、離婚の理由は、申命記24章1節に見られるとおり、妻に何か恥ずべきことを発見したため、たとえば生理的なものや肉体的な問題を発見した場合です。それは、ほかの人の前で証明できなければなりませんでした。また、これは離婚の理由を与えるものではなく、提案にとどまります。第二に、離婚が決まったのなら、女性に必ず離婚状を渡さなければなりませんでした(申 24:1)。これは、女性が不貞のために離婚したのではないことを保証するもので、石で打たれて死ぬことがないように防ぐためです。女性をむやみに捨てないように、このような措置を設けたのです。そして、別の男性と再婚する機会を公に与えるためでした(申 24:2)。第三に、一度離婚状を書いたら、最初の男性はもう一度その女性と結婚することはできませんでした(申 24:4)。これは、どのような意味でしょうか。離婚は、決してむやみにするものではないということです。 モーセの離婚に関する律法の精神は、男性が女性をむやみに捨てないようにすることと、離婚が避けられないものならば極めて制限のある条件の内で離婚することに、その目的があります。しかし、律法学者やパリサイ人はモーセが離婚状を書くように言ったことを強調し、好きなように離婚ができるという正反対の解釈をして、簡単に女性を捨て、男性の欲求や利己心を満たしました。今日、なぜこんなに多く離婚をするのか、考えたことがありますか。離婚するしかないから離婚をするのでしょうか。あるいは、人間の利己心や欲求、憎しみのためでしょうか。 最近の離婚の理由は、性格の不一致や姑との確執、浮気などがあります。結婚の動機さえも、非常に利己的で世俗的なことに驚かざるを得ません。そして、その結果は悲惨な離婚となります。
離婚に対するイエスの解釈 イエスは、律法学者やパリサイ人の間違った姿勢に対して大胆に言われました。「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです」(32節)。 イエスは、人が簡単に離婚する理由を次のようにあげられました。一つめに、人が簡単に離婚するのは、結婚のまことの意味と目的を知らないためであると言われました。結婚とは、男性が親を離れて、女性と一つの体になることです。結婚とは、もはや二人ではなく、一つの体になるために、決して分かつことのできない関係なのです。このような聖書的な結婚の意味を理解できないまま、利己的な動機で結婚すると、危機が訪れるとすぐに離婚するのです。結婚はただ性的な満足のためにあるのではありません。性的な満足がなく、魅力がないために離婚してはなりません。また、結婚は子どもを得るためでもありません。また、成功の道具のために利用してもなりません。結婚は、神の摂理であり、神の栄光のためのものだからです。ですから、結婚の必須要綱は、愛と従順、そして純潔です。夫婦は互いに純潔でなければなりません。 二つめに、離婚の動機は、モーセの律法のためではなく、人間のかたくなな心のためであるとイエスは言われました(マタ 19:8)。人はなぜ離婚するのでしょうか。愛していないからです。利己的な動機がそこにあるからです。相手からこれ以上益を得ることがないために、履き古した靴を捨てるように未練なく捨ててしまうのです。また、性欲やそのほかの欲のためです。不倫関係やほかの女性と欲を燃え立たせるためです。イエスは、このような動機には、人間のかたくなな心があると一言で言われました。利己的な動機やかたくなな考えのために離婚を考えている人は、悔い改めてください。 パリサイ人は、離婚の合法的な理由を探すのに熱心でした。しかし、イエスは、なんとしてでも離婚をしない理由を考えておられました。これが離婚に関するイエスの見解です。ほかの理由で離婚をしたのなら、妻に姦淫の罪を犯させるのだと言われました。離婚する唯一の理由は、不貞を働いたときであると言われたのです。
結論 結婚の重要性と永遠性について考えてみたことがあるでしょうか。そして、私たちの永遠の花婿であるイエス・キリストを、花嫁として慕い求めたことがありますか。結婚の尊さを悟るほど、離婚の確率が低くなります。天の御国に行く時まで、主が許された夫婦関係を保ち、発展させてください。離婚の動機には人間のかたくなな心があることを悟り、まず心の中にある罪や利己心と戦ってください。欲と利己心とプライドから抜け出してください。罪は、私たちを死の陰の谷へと導くものです。離婚が避けられない場合、そのような悲惨なことを繰り返さないように、キリストの花嫁としてきよく生きてください。未婚でも既婚でも、私たちの永遠の花婿はイエス・キリストであり、永遠の伴侶は天の御国におられることを覚えて生きてください。
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