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ディアスポラ日本人
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Holding Open Heaven’s Door |
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依子・Livingston
アメリカ西海岸に位置するオレゴン州は、自然豊かな美しい州として全米の中でも住みたい街の一つで、農林水産業が盛んな州です。また消費税がないため、旅行者には人気の州でもあります。 私たちは、ここオレゴン州ポートランドでISI(International Student Inc.)という宣教団体に属する宣教師として留学生に福音を伝える働きに加えられています。ISIは、第2次世界大戦後、中国などから帰国を余儀なくされた宣教師たちの福音宣教の熱い思いから、1953年に全世界からアメリカへ留学する学生たちへ福音を伝えるためにたてられた団体で、現在はコロラド州コロラドスプリングスに本部を置き、全米200箇所を超える町で働きを展開しています。アメリカに留学する日本人の数は現在45,000人を超えており、オレゴン州にも毎年1,300人を超える日本人留学生がいます。 今から15年前、夫ジョンは「宣教師になりなさい」という神様からの語りかけに答えるべく、日本へ宣教師として遣わされることを祈り求めていました。大学卒業後、3年程日本で英語教師として働き、すでにクリスチャンではありましたが、日本で信仰を新たにし、日本の教会で洗礼を受けた夫にとって、日本はまさにたましいの故郷であり、宣教地は日本と信じて疑いませんでした。しかし、一向にその扉は開かれず、焦りと不安のある中で留学生伝道という働きがあることを知りました。宣教師として出発するまでのつもりでボランティアをしたのですが、「全世界へ出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(ルカ 16:15)という大宣教命令が心に迫り、各国の留学生に福音を伝えるというこの働きが主の導きであると確信したのです。 一方、日本で音楽伝道をしていた私にとって、アメリカに住むことも、国際結婚も、留学生伝道も、何もかもが未知の世界でした。わが家でのICF(インターナショナル・クリスチャン・フェローシップの略)の集いに来る学生たちは、当然アメリカ人との出会い、英語での会話を期待しているわけですから、日本人である私がどう接すればいいのかわからない有様でした。そんなある日のこと、一人の日本人クリスチャン学生がだれにも相談できずに悩んでいた友人を連れてわが家を訪れました。その友人が妊娠していることがわかり、これからどうすればいいのかという相談でした。驚きとともに、なんとか産むという選択をしてもらいたいと話し合いました。彼女の不安を聞き、育てることができないなら、その子を私たちの子どもとして育てる決意があることも伝え、最善の選択ができるようにと長い時間を費やしました。プレグナンシーセンターという妊娠している女性をクリスチャンが手助けする施設に彼女を連れて行き、超音波検査でお腹の赤ちゃんの心音を耳と目で確認した時の感動は忘れることができません。しかし、それから数週間の内に、彼女は別の病院で中絶を行ってしまい、何も知らずに彼女に会いに行った私はそこでその事実を知らされました。彼女と別れてすぐ、たまらず車を道路わきに止めて声をあげて泣いたその時、「わたしの苦しみがわかったか」という神様の声なき声を聞いたのです。 ああ、私は失われいくたましいのために今のように涙を流してきただろうか、とハッとさせられたのです。神様に赦され、導かれて、今私はここにいるのだと示され、たましいの救いのために私を用いてくださいと心から祈ったのでした。 ISIのキャッチフレーズ「留学生にキリストの愛を」を掲げる私たちの働きの中心は、毎週金曜日にわが家で行われるICFで、10人から30人の学生たちとボランティアが集まり、集会を開きます。私たちが働きを始めた14年前は数十人分の食事を夫と二人で作ったものでしたが、今ではポートランドのいくつかの教会の婦人たちが留学生の救いのために食事を用意してくださっています。温かな食事をともにし、讃美やバイブルスタディを通して、またさまざまな催しを通して、福音を伝える働きをしています。そして、集会は夜中近く(時には日付が変わることもあります)まで続きます。 週末には旅行を計画したり、季節に応じてイチゴ狩り、川くだり、ハイキング、スキーなどをしたり、さまざまな体験をともにすることによって、親しい関係を築き、その中でキリストの愛が伝わることを願っています。またクリスチャンの学生たちとは、週日に会ってキリストの弟子になることを学び合っています。 私たちの働きは多岐にわたり、空港へ迎えにいくこと、さまざまなビザや手続きの手伝い、「パスポートをなくした」という電話に学生を連れて領事館へ駆け込むこともあります。学生寮でハンバーガーを食べ飽きた学生には日本食でもてなしをし、学校の宿題を前に一緒に頭を抱えることもあります。私たちが今までに関わった学生の数はすでに数えられないほどになり、国籍は54ヶ国を数えました。 多くの留学生は大志を抱き、夢に向かって意気揚々とアメリカの大地に降り立ちますが、過去の自分と決別するために留学を選択する人も少なからずいて、そしてそれはここ数年、顕著に現れていると思います。また、母国を離れることで、多くの留学生は改めて自分の人生について考える時となるようです。母国では親や家族との関係、友人、職場などの人間関係や習慣の中で、自分では気づかないうちにそれらが、かせやしがらみとなっていることを感じるのです。今年、イエス・キリストを救い主として受け入れたH姉は、とても優秀な大学生で、神様の愛は感じるし、その存在も信じることができるけれど、日本で教えられてきた進化論や科学、日本人の一般常識のために、聖書にある奇蹟やイエス・キリストを信じることに時間を要しましたが、知識や情報を脇において、さまざまな方向から見、聞き、考え、祈ることによって、彼女は真理を知るに至ることができたのです。 カンザス州のISIのスタッフからこちらの大学へ転校する学生がいるという連絡を受けてから、A姉は何度電話で誘っても興味を示しませんでした。数回目にかけた電話で同じ年頃の女の子がいるなら、としぶしぶICFにやってきたのでした。とても明るく、人懐っこい彼女は、私たちの意に反してあっという間にたくさんの友だちを作り、それから毎週休むことなくICFへ来続けました。福音を聞き、一緒に讃美をし、明け方まで語り合い、彼女の回りはクリスチャンがたくさんいましたが、なかなか救いを受け入れることはありませんでした。それから数年後、1年間違うキャンパスへ行くことになり、主の守りを祈りましたが、神様はその1年を私たちの想像をはるかに超えて用いられたのです。クリスチャンが回りにいない環境で、A姉はクリスチャンとそうでない人の違いを見、感じ、クリスチャンとして生きることのすばらしさを理解し、また彼女もクリスチャンとして生きることを選び取ったのでした。出会いから4年、救いを受け入れて間もないICFで「愛するわが主を」を讃美していたとき、彼女の目からあふれ出る涙がありました。今も彼女は忠実な教会生活を送り、主の証人として輝いています。 私たちの働きは、この限られた時間と経験を通して、何にもまさって私たちを愛しておられるイエス・キリストを伝え、聖書のみことばに堅く立って、揺るがぬ喜びの人生を歩むことができるように導き、弟子訓練をし、母国の教会、キリスト者にバトンをつなぐことだと思っています。そして、救われた彼ら自身が母国で伝道し、救いへと導いていくことが私たちのビジョンです。 海外でクリスチャンになり、日本へと帰国する学生たちは、ちょうど植木を植え替えるのに似ています。私たちも彼らが根っこを張れるような強い根を育てる必要がありますが、新たな場所で深く根付くためには、前述した人間関係や習慣に絡め取られないように、特別に手をかける必要があります。異文化の中で育った彼らを受け入れ、彼らが根を張るまでの間、忍耐と配慮をもってさまざまな栄養を与えていただきたいと心から願います。太平洋を隔てて海のあちら側とこちら側の両方でキリストの福音が伝えられ、一人ももれることなくキリストの救いに与り、主を証しする働き人とされていくようにともに働くことを祈る者です。
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