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日本の教会の未来を見つめて
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「ポストモダニズムとキリスト教信仰を支えるもの―聖書に帰れ」 |
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日本聖書協会 総主事 ● 渡部信
現在の日本のキリスト教を取り巻く状況を思うとき、2004年にタイで行われたローザンヌ会議のことを思い出す。というのも、「ポストモダニズムとキリスト教」についてタイで話し合われことが、欧米の教会のみならず、日本の教会にも重要な課題となってきているからである。「ポストモダニズム」という用語は、多元的な意味合いを含んでいる。人文科学における知識の氾濫、マス・メディアによる行動や思考のパターン化、生活面における機能性と利便性の追求、信仰や信条の多様性と相対化など、日々の生活が急速に変化し、人間として普遍的に培われてきた生き方そのものが、常に変革を迫られている新時代を示唆する言葉なのである。 タイでのローザンヌ会議では、譲れないキリスト教信仰として ①キリストの十字架の贖罪死と復活信仰、②信仰者の新生、③信仰者の変容(トランスフォーメーション)、④隣人、社会への証しなどが強調された。私たちの信仰が他の宗教と何が違い、またキリスト教信徒であっても、何が生きたクリスチャン信仰なのか、そのユニークネスが訴えられたのである。 イギリス、ロンドンでつい最近、無神論者のグループによって、バスの車体に「神はいない。自責の念から解放された生き方を楽しもう」という広告が出され、ニュースとして世界中に発信された。こういう時代は過去にも幾度となく繰り返されてきたとはいえ、現在欧米におけるキリスト教会の衰退は著しい。特に主流派と呼ばれる伝統的キリスト教会においてそれは顕著である。つまり、今までのキリスト教信仰の伝統的価値観が、ポストモダニズムの時代である現代において、形骸化してしまったのだ。 聖書のみことばが実生活の中で意味をなさず、教会の説教も霊的啓発を与えず、教会出席者は激減し、キリスト教が一部の神学者の研究対象でしかなくなってしまった。けれども中国やインド、ブラジルでのような経済新興国では状況がまるで逆で、福音が聖書のみことば通りに信じられ、プロテスタント教会の発展は目覚しい。昔の欧米の良きキリスト教時代を追いかけているようにも思われる。21世紀は、まさにキリスト教世界の中心がアジアへ、そして南アメリカ、アフリカへと移りつつある。 それでは日本はどうか。昨年、日本はプロテスタント宣教150周年を迎えたが、その間、一度もクリスチャン人口1%の壁を打ち破ることはできなかった。そして欧米のポストモダニズムの波にさらされることになった。日本人の中には、一度は聖書に触れながら、(聖書購入者数は、想定で人口10%になるにもかかわらず)、クリスチャンに到らない人が多いのだ。日本聖書協会が頒布する聖書は年平均100万冊を数える。 これは何を意味するのか。聖書が、説教や神学、あるいは教養のための辞書代わりになっていて、本当の意味で読まれていないのではないか。礼拝に出席する人も礼拝で聖書個所が引用されるので、それで読んだつもりになっているのではないか。 筆者の青年時代は、まだテレビも普及せず、携帯電話もPCもなかった。静かな部屋で聖書に対峙して、毎日1時間はたっぷりと読むことができた。そうすると聖書のみことばが次々語りかけて来る。懸命に赤線を引きながら聖書を読んだものだ。それは最高に恵みの時であったが、今の現代社会ではポストモダニズムの流れに任せると、そのような至福の時間が失われてしまう危険性がある。 現代は、教職者も会議や様々な用務で忙しく、時間が奪われやすい。信徒も仕事が祝福される人ほど忙しい。このような時代に、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」(ルカ10:41~42、新共同訳)と語りかけている。本当に大事で、必要な答えは、聖書のみことばの中にすでにあるのだ。その大切な時を持つために、マリアは家事を後回しにした。 今年2月、アメリカのワシントンDCで行われた米国国家朝餐祈祷会に出席した折に、ヒラリー・クリントン国務長官とバラク・オバマ大統領のスピーチを聴く機会が与えられた。ヒラリー・クリントン国務長官は自分の信仰生活の背景を証して、大統領夫人時代から彼女を支えてきたのは聖書であったこと、実践についてはマザー・テレサから多くを学んだこと、そして静かな神の声を聴いた列王記のエリヤ物語を引用しながら、いつも目まぐるしく変化する政治の世界で、正しい決断をするために静かな祈りを大切にしていることなどを語ってくれた。 筆者も青年時代に培った聖書通読を、毎日努めることを責務として自らに課している。仕事量が増える中、時間を獲得することは信仰の戦いに等しい。しばしの間、テレビ音を消し、PCから離れ、電話を遠ざけ、じっくり聖書を読んでみよう。
渡部信(わたべ まこと) 1948年東京都生まれ。青山学院大学文学部神学科卒、西南学院大学神学部専攻科卒、ベイラー大学院宗教学部卒(宗教学修士)。その後、鹿児島バプテスト教会牧師、水戸バプテスト教会牧師を歴任。1999年に財団法人日本聖書協会総主事に就任。聖書協会世界連盟元世界理事。現在、常盤台バプテスト教会協力牧師、日本キリスト教協議会常議員なども務める。
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