佐山智恵美 ● アンテオケ宣教会
2008年7月31日にアンテオケ宣教会から、私はインド宣教師としてムンバイに遣わされました。半年間、孤児院の女子寮で50人を超える子どもたちと生活をともにしました。すでに子どもたちにはこの寮で福音の種が蒔かれていました。しかし、子どもたちの環境と状況が明らかになるにつれ、私が想像していたものとはかけ離れた現実がそこにはありました。 寮の中には子ネコほどのネズミが何匹もいて、子どもたちは眠っている間に手足をかじられ、たびたび助けを求めてきました。毎日、何時間もの停電と断水が続きました。ここには冷蔵庫も洗濯機もありません。 また、持病を抱えている子どもたちもいました。特にポリーと呼ばれるできものに、大部分の子どもたちは苦しめられています。そのはっきりした原因はわかりませんが、おそらく汚染された水を飲み続けているためではないかと考えられます。このできものは神経をも犯し、患部だけではなく広範囲に激しい痛みをもたらすようです。 さらに痛ましいのは、福音を聞きながらも、幼いたましいは無言の叫びを上げ続けているということでした。家族から切り離された子どもたちは、自分自身を守るために、言葉や力による暴力で自分より弱い者をしいたげていました。私は毎日「主よ。どうしてこのような状況があるのでしょうか」と、叫びにも似た祈りをささげていました。 その時、主は、「人が見るようにではなく、わたしが見るように子どもたちを見なさい」と語ってくださいました。生まれてから彼女たちは、両親や大人たちの暴力と激しい貧困の中でいつも恐れと不安を抱きながら成長してきました。そして、確かに主は彼女たちのたましいの叫びを聞かれ、その叫びに応え、ご自身の存在を現すために、彼女たちを見つけ出してくださったのです。言葉にできない子どもたちの恐れも苦しみも孤独さえも、唯一なる神は知っておられるのです。 また、この町では家族を助けるために多くの子どもたちが働いています。そのような子どもたちの家族を尋ね、家族ともお会いして、よい関係を築いているところです。 また、半年の短い期間に、私たちは一人の小さな、小さなたましいを天の御国に見送りました。そして彼女の突然の死と信仰は、悲しみだけではなく、施設の子どもたちに深い悔い改めの機会をもたらしました。必ず主はこの子どもたちを守り、一人も滅びることなく救いへと導いてくださると確信しています。 私は今しばらくはこの子どもたちとも離れ、現在インドの北部のアラハバードという町でヒンディー語を学びながら、現地の教会に集っています。人々はとても人懐こく、私が学校に行く途中に多くの方々が声をかけてくれます。まだヒンディー語もできない私は、その笑顔に本当にほっとさせられます。神様がこうして少しずつ少しずつ、インドの人々に近づいていく方法を教えてくださり、また、人々の心を開いてくださっていることがよくわかります。毎朝、声をかけてくれる野菜売りの少年たちに、またほかの人人に、一日も早くヒンディー語で福音を伝える機会が与えられますようにと主に祈り求めています。 インドの人口は11億5千万人と言われ、その80%以上がヒンズー教徒です。この町の人々もおびただしい偶像礼拝の罪の中で生きています。それでも、現地には福音を聞き、イエス・キリストを信じるたましいが起こされ続けています。この激しい偶像礼拝の中で、一人のたましいが救われることは奇蹟にも思えますが、すでにこの町で主の勝利を見せていただいています。多くの人々がヒンズー教から改宗し、教会に来ていますが、家族がヒンズー教徒なため、家族から迫害を受けます。これがインドのクリスチャンたちの信仰を妨げている大きな問題の一つと言えます。 「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った」(マタ 4:16)。暗やみが暗いほど、主の光がはっきりと現されることを経験し、またイエス様のあわれみをこの国で見ています。人の本当の悲しみは貧しさや病ではなく、まことの神様を知らないことであると思います。イエス様を知らない、暗やみの力の下に閉じ込められている多くのインド人のためにお祈りください。
| 祈りの課題 | 1. インドのたましいの救いと偶像礼拝からの解放のため。 2. 救われたたましいの成長と守りのため。 3. 救いを求める人々が教会に導かれるように。 4. 教会が迫害から守られ、さらなる祝福があるように。
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