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未来への声
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福音の種をどこに蒔きますか? |
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福音の種をどこに蒔きますか?
創造論研究会主事 ● 宇佐神実
日本に福音の種が蒔かれはじめて150年が過ぎました。しかしあまり福音は伝わっていないようです。今後福音が日本において広く受け入れられるようになるためには、何が必要なのでしょう。それを知るために、まず150年の歴史を振り返り、福音宣教にとって常に妨げとなって立ちはだかってきたものが何かを考えてみましょう。 明治時代に初代文部大臣となった森有礼は、クリスチャンでした。そして、国語の教科書(小学読本)としてイギリスの国語の教科書が翻訳され、そこには、創造主によってこの世界が造られたことなど聖書の内容を思い起こさせることがたくさん書かれていました。また、鎖国が解かれ、宣教師たちがやってきました。このことで、日本では聖書の教えが広まって行ったのです。しかし、これを快く思わない人々がいました。そして、聖書信仰が広まるのを阻止する目的で取り入れられた武器が進化論でした。実に、日本は世界に先駆けてこの進化論を取り入れたのです。ダーウィンが著書『種の起原』進化論を発表した1859年から15年後の1874年(明治7年)、葵川信近が進化論を初めて日本に紹介し、その後進化論者のモースが招かれ、日本の進化論教育にたずさわるようになりました。 『明治社会学史資料』を著した下出隼吉は、次のように述べています。「新物(キリスト教…引用者註)輸入に対して逆に新来の思想(進化論…引用者註)を以って之に反対し、之を阻止せんと企てたのであった。」(引用1) 進化論とはどんな教えでしょうか。すべては偶然に進化して現在に至ったのだから天地の創造主は存在しない。また、最初から存在していたのは物質だけであって霊である創造主や人の霊や魂は存在しない。そして進化の過程で弱肉強食によって殺戮を繰り返し、長い歴史の末に現在の地球の姿となったと考えます。一方、聖書には、愛をまとわれた創造主がおられ、天地創造が行われた時は、死も病も苦しみもなく、アダムやエバは永遠のいのちが与えられていました。死や病や苦しみはアダムの罪の結果入ったというものです。ですから、進化論と聖書は全く相容れません。もし進化論と創世記の両方を受け入れようとするなら、死は最初から存在したのであってアダムの罪の結果ではないということを受け入れることになります。聖書には、アダムの罪の結果入った死のためにイエス様が十字架にかかられたことが書かれています。ですから死が最初からあったとする進化論を受け入れるなら、聖書が間違いだらけの書物になってしまうのです。実は、進化論とは推測であり信仰です。なぜなら誰一人進化する様子を見ていないからです。ネズミからネコがうまれるのを見た人はいません。牛からクジラが生まれるのも、サルから人が生まれるのも見た人はいません。進化論とは「創造主はいない」という信仰から推測された万物の由来なのです。 1889年(明治22年)、森有礼は暗殺され、日本は国粋主義に大きく傾いていきました。そして、聖書信仰を封じ込めるのに成功していったのです。第二次世界大戦後にも同様のことが起こりました。終戦後間もなく、日本には何万人もの宣教師が日本にやって来て、聖書の教えは急速に広まりました。学校で聖書が読まれたり祈祷会が持たれたりもしていました。しかし、人本主義者(創造主はいない、すべては進化した、存在するのは物質だけであり霊はないと信じている人々)が教育の実権を握り、学校で聖書を教えたり祈ったりすることが禁じられました。そして20世紀は、学校で進化論がまるで事実であるかのように教え込まれ続けたのでした。 聖書の中で、イエス様は種蒔きのたとえを語られました。いばらの中に落ちた種は、いばらが伸びてふさいでしまいました。どんなに福音の種を蒔いても進化論というこの世の教えが信仰の種をふさいでしまい、聖書を信じさせなくしているのです。しかも、進化論こそ聖書信仰を封じ込める武器であると知って教育が行われてきたのです。クリスチャンホームの子どもたちが教会から離れていく大きな内的要因は進化論教育です。進化論教育のいばらに覆われてしまった子どもたちは、天地創造に確信がもてなくなり、やがては創造主の存在を信じられなくなってしまうのです。ある教会で「人本主義の教えと聖書の教え」について講演させていただいた後、ある方から次のようなことばをいただきました。「人本主義の本質を知らなかった、知らされていなかったまま教育を受けてきたことの哀しみを感じました。…創造主なしで生きる生命の哀しさが、今日、初めて胸に飛び込んできました。今日、進化論と決別できたと思います。」 実は、今日多くの人が「創造主なしで生きる」ように進化論によって教育されているのです。21世紀の日本に福音を広めるために、まず進化論が信仰を骨抜きにする武器として用いられている事実を知らなければなりません。そして、進化論といういばらを取り除かなければなりません。創造主の存在とその全能の力と愛に絶対的信頼を寄せる良い地を、開墾しようではありませんか。良い地に種が蒔かれるなら、30倍、60倍、100倍の実を実らせるのです。
引用文献 _ 引用1:船山信一、「船山信一著作集第六巻、明治哲学史研究」こぶし書房1999年6月25日、348頁
宇佐神 実 1961年仙台市生まれ。創造論研究会主事、水戸第一聖書バプテスト教会牧師。カリフォルニア大学バークレー校文理学部卒、米国クリスチャン・ヘリティジ・カレッジ神学部卒。2児の父で子どもをホームスクールしている。進化思想の誤りを指摘し、創造主と創造のみわざのすばらしさを伝えるために講演・出版などの活動をしている。著書『目からウロコの進化論』、訳書『人類の起源』。
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