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日本の教会の未来を見つめて
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宣教150周年と日本の教会の未来 |
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宣教150周年と日本の教会の未来
オンヌリ教会主任牧師 ● ハ・ヨンジョ
プロテスタント宣教150周年記念大会は単純な祝典ではなく、過去を反省し、未来への夢やビジョン、希望を見つけるためものです。では、日本の教会のビジョンや夢、希望はどのようなものでしょうか。それは歴史上ない大リバイバルが起こることです。台風や嵐のようなものであり、山を飲み込むようなリバイバルです。私は日本にこのような風が吹き始めていることを信じます。 3年前からラブ・ソナタやCGNTVを通して日本の先生方やクリスチャンの方々と会う機会をいただきました。彼らから私が発見したのは、リバイバルの風でした。これまでになかったような一致が起こり始めました。福音派、聖霊派など、リバイバルを求めて一つとなり始めたのです。一致はリバイバルの始まりです。日本の先生方やクリスチャンが「私たちにはリバイバルが必要だ」と渇望し、一致のために一歩踏み出したのを見ました。一致と変化、そして情熱を見ました。これが未来に対する日本の希望です。まるで、エリヤが雨のために祈ったときに海の向こうに手のひらほどの雲が見えた、その時のようでした。エリヤは私たちと同じような人でした(ヤコ 5:17)。エリヤは、偉大なしもべでしたが、私たちと同じような罪人であり、失敗もしました。信仰の人でしたが、疑いの人でもありました。そのエリヤの祈りを神が聞いてくださったのならば、私たちの祈りも神は聞いてくださいます。手のひらほどの日本の教会の人々が、日本をおおうリバイバルの嵐を起こすのです。では、リバイバルとはどのようなものでしょうか。それは、はじめに戻ることです。はじめの考え、はじめのビジョン、はじめの情熱に戻ることです。 どのようにすればリバイバルが起こるのでしょうか。どのようにすれば日本は新しくなり、日本の教会を目覚めさせることができるのでしょうか。一つ目に、150年前に命をかけて日本に来た宣教たちの精神をもう一度取り戻すことです。命をかければ、できないことはありません。私たちクリスチャンはすでに死んだ者です。命をかけて、主のために献身しましょう。牧師が殉教を覚悟したときその教会は生き返ります。日本のすべてのクリスチャンが殉教を覚悟したとき、日本は生き返ります。 二つ目に、みことばと祈りに戻ることです。リバイバルの本質は、みことばに戻り、祈りの運動が起こることにあります。みことばは生きており、力があります。祈りには力があり、そこには答えがあるのです。聖日礼拝の講壇に炎が起きなければなりません。祈りの炎が燃え上がらなければなりません。形式的な祈りではなく、信仰と聖霊に満たされた祈りが必要です。日本の教会に早天祈祷、徹夜祈祷、断食祈祷の運動が起きることを願います。信徒がともに集って祈り、信徒が散らばって伝道しなければなりません。それ以外に道はありません。知識も伝統も、これまでの形式的なものも私たちを変えることができません。ただ、みことばと祈りが私たちを変えるのです。 三つ目は、聖霊が臨む礼拝をささげることです。使徒の働きを見ると、教会は聖霊が臨まれたとき始まりました(使徒 2:1~4)。聖霊の働きは、きのうもきょうも明日も同じです。五旬節の日に初代教会にそのようなことがあったのならば、今日の教会にも信仰と祈りがあるのならば、同じようなことが起こるのです。形式的な美しい礼拝ではなく、聖霊が臨まれる礼拝をささげられることを願います。伝統的で形式的で美しい礼拝は礼拝ではありません。聖霊が臨まれる礼拝をささげましょう。礼拝が生きると教会が生き、そして働きに実が結ばれるのです。そして私たちの人生も豊かになっていきます。 四つ目は、伝道することです。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒 1:8)。このみことばは、私がイエスを信じた日から今までの座右の銘となっています。また、オンヌリ教会の目標でもあります。聖霊が臨まれて最初に現れるのは、賜物でも不思議な現象でもありません。聖霊を受けた人々は家の外に出て行き、「イエスはキリストである」と証しを始めました(マタ 28:19、マコ 16:15、ルカ 24:48、ヨハ 21:15)。 教会が伝道しないのにリバイバルが起きるでしょうか。いつでもどこでも福音を宣べ伝えてください。伝道し開拓するとき、日本は変わり、霊的な地震が起こることでしょう。汚れた霊たちは出て行くことでしょう。日本は宣教師を送り出す時となりました。オンヌリ教会は24年の歴史しかありませんが、千名以上の宣教師を派遣してきました。私と妻は宣教師になろうとしましたが、健康上の理由で宣教地に行くことができませんでした。「宣教地に行くことができないならば、宣教師を送ろう」と考えました。神がオンヌリ教会を祝福してくださった理由は、私たちが命をかけて宣教師を送り出したからです。 最後に、日本のリバイバルのために病んだ社会を包みこむことです。イエスのみことばの核心は「互いに愛し合いなさい」というです。隣人を自分自身のように愛するということです。敵さえも愛しなさいとイエスは言われました。私たちは変わらなければなりません。決心しましょう。献身をしましょう。命をかけましょう。その時、神が奇蹟を起こしてくださいます。
ハ・ヨンジョ オンヌリ教会主任牧師 トーチ・トリニティ大学院大学総長
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