|
日本プロテスタント宣教150周年を迎えて
|
日本宣教150周年にあたって |
|
日本宣教150周年にあたって 日本キリスト教団牧師、衆議院議員 ● 土肥隆一
今年は日本のプロテスタント教会は日本宣教150周年を迎えた。キリスト教会2000年の歴史、あるいは宗教改革(1517年)時代にさかのぼれば長い歴史ではない。 さて日本のプロテスタント教会は、きわめてユニークな歴史を重ねてきたと考える。それはクリスチャン人口がわが国人口の1%を超えられなかった、今も越えられない現実があるということである。「量より質」というが、量が質を変えていくことがある。それでもこの1世紀半の間に、歴史上特筆すべき人材が登場してきたことを認めつつも、「1%の壁」は厚く、その謎は残る。 日本プロテスタント教会は「孤高の歴史」を歩んできた。極めて小規模な小さな教会で、牧師は、あるいは信徒はそれに耐えている。お隣の韓国教会は数万人単位の教会が軒を並べている。そこから生まれてくるエネルギーは、たとえばオンヌリ教会が6万人を擁する教会とはいえ、単独で日本人伝道に志しを抱き、「和解と平和」を合言葉に、盛んに宣教活動を展開している。また、24時間のキリスト教番組だけを放送する衛星による「CGNテレビ」、「ラブ・ソナタ」という大型の伝道集会は沖縄、福岡、大阪、東京、札幌、仙台、広島、横浜、青森、長崎、神戸と今日も続けられており、本年11月には名古屋で予定されている。しかもこの教会の姿勢はまことに謙虚で、日本人に近づきたいという思いが伝わってくる。私も若干お手伝いをしているが、こうした韓国の一教会の働きに、日本人教会がどう応えたらよいのか真剣に考えている。 日本の宣教がアメリカを始めとする外国人宣教師によってもたらされたことは歴史の事実であるし、特に150年前の初期、横浜、神戸の古い教会は宣教師が始めた教会である。また第2次世界大戦後の教会もいち早くアメリカ等の宣教活動が再開され、急速に教会も復興していった。 私も福岡の片田舎の教会に導かれ、高校3年の時、アメリカ人の宣教師によって洗礼を受け、まもなく神学校に進むことになる。いわば信仰の基礎を宣教師によって学んだのである。英語を学ぶためではなく(彼は南部なまりの人で、牧師になってアメリカに行く機会があったが、北部デトロイトで出会った人が「私の南部なまりを理解してくれた外国人に出会った」と喜んでくれたものである)、行き詰った私の状況はキリストの十字架による以外、解決できるものではなかった。 日本人キリスト者は、日本の教会に立ちはだかる「壁」を知っている。日本とキリスト教、あるいは日本人と福音とのあり方について、日本の教会はこの150年もの間格闘してきたのではないか。それでもキリスト教会の歴史をつないで来られたのは、先人の偉大な働きと犠牲の上に成り立っている。キリスト教が依然として少数派であるのは、これは神の試練であり、神は常に緊張感を教会に与え続けてきたのではないか。われわれが今後いかに生きて行けばいいのかを考えるための神の訓練なのだ。 プロテスタント教会が宗教改革の本旨にかえり、また日本宣教の歴史から伝えられたピューリタン的伝統を思うとき、それが日本の教会やキリスト教への社会的評価にもつながっている。私は政治家として、まさに世俗の仕事をしながら不思議に思うのは、牧師としてクリスチャンとして知られながら19年もの間受け入れてもらい、今日まで支持を受けて来たのは、まさに社会学的現象として検討に値すると考えている。日常的に実感しているのであるが、それはキリスト教あるいはクリスチャンが信頼されているということである。だからといってキリスト教の深部に触れようとはしないことも事実で、信頼しつつも遠くから眺めているのが日本人ではないか。 キリスト教あるいはプロテタント教会は、信仰と日本的なるものとの間に常に緊張感を強いられている。それは「日本的なるもの」と「教会」との関係である。日本人キリスト者が日本に住む限り、日本人である限り、避けて通れないものこそ最大の問題といえよう。 それは日本という民族にある。あらゆるものを「包摂」してしまうまでその力学はゆっくりと進み、抗いがたく存在するのだ。おそらく韓国人キリスト者にとって理解がむずかしいのではないか。 欧米の宣教師が去っていき、今韓国教会は日本人の1%の壁を破らんと、何百人もの宣教師を日本に送り込んできている。だが、日本の「包摂」の原理は分かりにくい。それは日本教会と韓国教会との共同作業によらない限り解決の道はない。 150年の歴史において「包摂」に耐えてきた日本人クリスチャンは今もその緊張関係の中にある。いやプロテスタント教会は今も緊張関係に耐えているか、どこまでも、今も時々行き詰まるこの緊張を保つ気力を保持しているかどうかが問われているのではないか。
土肥隆一(どい・りゅういち) 衆議院議員。1967年東京神学大学大学院修士課程を修了。東京・東大阪・神戸の諸教会に牧師として従事。現在、日本キリスト教団和田山地の塩伝道所牧師。その他、国際アムネスティ日本支部神戸グループ初代事務局長、NPO法人神戸ライフ・ケアー協会理事、社会福祉法人神戸聖隷福祉事業団理事長、全電通近畿社会福祉事業団理事、日韓キリスト教議員連盟日本代表、日米国会議員連盟副会長を務める。
|
|
|
|
|