喜びの回復 聖ヶ丘教会牧師 / 日本基督教団総会議長 ● 山北宣久
日本プロテスタント宣教150年、この大いなる喜びに与らせてくださる神の御恵みに感謝し、御名を賛美してやみません。 中には100年記念にも参加し、今回もという方がおられるかもしれません。それはすばらしいことで、ご同慶にたえません。しかし、多くの方は宣教200年は天上で迎え祝うことになるのではないかと思います。 何が言いたいのかと怒られるかもしれませんが、こういうことです。私たちは宣教150年を信仰の先達に雲のように囲まれながら祝い感謝しつつ、その喜びを200年記念を盛大に祝うのであろう次の世代に伝えていかねばならないということです。 「継承は力なり」、これは信仰の世界においてもしかりです。信仰は次世代の愛する人々に受け継がれてはじめて全うするのです。この記念すべき恵みを十分に味わい尽し、その喜びと恵みをしっかりとバトンタッチしてまいりましょう。それは私たちの責任です。 ところで、教会はどういう問題で苦しんでいるのでしょう。程度の違いはあるでしょうが、不一致と閉塞感の2つが教会の行く手を暗く覆っているように思えます。10年後、この教会はどうなっているのだろうと不安を抱く教会は少なくありません。 この2つは別々のことではなく、地下水のごとく一つにつながっています。つまり、どうしても一つになれない不一致と分裂、これが教会に閉塞感をもたらし、行く手を暗くするのです。 実はこの2大課題、問題を打破するのが宣教150周年の記念プログラムなのです。そもそも最初に来日した宣教師たちは自分の属する教派を持ち込もうとはしませんでした。イエス・キリストを持ち運んだのです。教派ではなく主イエスにあって一つなる教会を形成しようとした、これを公会主義と言っています。 今回の記念行事も多くの教派・教団がそれそれの特徴を生かしながらも一致して準備にあたっています。この教派を超えた伝道協力は150年終了とともに終わってしまうことはありません。これからこそ開かれた教会として日本の救いのため一致していくはずです。ですから、閉鎖的姿勢を悔い改め、その末に閉塞感が取り去られるのです。 「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」(ヨハネ17:11、日本聖書協会、聖書新共同訳)。この主イエスの祈りに支えられ、とりなされて私たちは一つにされるのです。 「Unity in Variety」多様性における一致をもって主のご栄光を現していく、そのことが150年前の宣教師たちの願いに応えていくことです。心を高くあげ、気宇を壮大にしていきましょう。 宣教師たちは150年前に来日し、すぐ伝道できたのではありません。キリシタン禁制の高札がかかった中で伝道できませんでした。しかし、その中で祈り、備え、希望を持ち続けたのです。 ようやく禁止令が解除され、高札が撤廃されたのが1873年(明治6年)、そして最初の教会が建てられたのが1875年でした。実に12年いや15年も忍耐し続けたのです。 この忍耐は精神力から出たものではないでしょう。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20、日本聖書協会、聖書新共同訳)の約束を信じる信仰から出てきたものであるのです。そうした熱き信仰を今に返し、希望と愛のうちを熱く踏み取りなおしていきましょう。 不一致と閉塞感、これは喜びのないところから生じます。主の十字架と復活にこめられた喜びの回復。これこそがプロテスタント宣教150年にて与えられる神からのプレゼントです。 喜び。英語ではジョイと言います。ジョイフル、エンジョイのジョイです。「Joy」は3つの頭文字、「Jesus Others Yourself(イエスにあって他者と自分が結ばれていく)」、これこそ喜びに他なりません。不一致と分裂に悩む世界にあって、私たちはまことの「Joy」を与えられ、「Joyful」に生きていく力をこの150周年に決定的に与えられるのです。 さあ、志新たに派遣されるために集められましょう。聖霊は集める霊、神の愛の力です。悪霊は散らし、聖霊は集めます。聖霊の導きに従い、各地での記念礼拝、集会にて高らかに主の御名を賛美することといたしましょう。
山北宣久 1941年東京生まれ。立教大学、東京神学大学、大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在、日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』『それゆけ伝道』『愛の祭典』『きょうは何の日?』『福音と笑いこれぞ福笑い』『おもしろキリスト教質問箱Q&A』がある。
|