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日本プロテスタント宣教150周年を迎えて
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宣教の維新と福音的社会変革を求めて |
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宣教の維新と福音的社会変革を求めて 日本プロテスタント宣教150周年実行委員長 淀橋教会主管牧師 ● 峯野龍弘
いよいよ本年は、日本のプロテスタント宣教150周年の記念の年を迎えました。そこでお互いはこの記念すべき歴史的意義ある年に、日本の全プロテスタント教会並びに諸団体が共に大同団結し、「キリストにあって一つ」―主の証し人の群れとして―という旗印の下で、日本プロテスタント宣教150周年記念大会を横浜で開催しようとしています。 お互いは、この大会を通じて常日頃は自らの帰属している教団や教派、さらには神学的陣営の中で物事を考え、事柄を促進してきましたが、この大会においては各自のその尊い固有性や多様性を大いに尊重すると共に、最大限にその特色を生かし合いながら、各自の相違性を超えて、かつあくまでも“宣教的視点に立って”、また“主の証し人の群れとして”、その共有すべき使命と責任が何であるかを共に模索し合い、より強力な社会的インパクトを持った21世紀的宣教方策や日本宣教と世界宣教への方向性や展望を見つけ出し、その上で共にその実現を目指して共闘して行きたいと念願しています。 さて、このようなことを思い巡らしている時に、とりわけ明治維新期の日本社会に大きなインパクトを与え、かつ明治維新と文明開化そのものをもたらしたその背後には、プロテスタント宣教があり、また教会とキリスト者の存在があったことを思い起こされます。そしてその働きと感化力、さらには貢献度には絶大なものがありました。 1853年、浦賀に米国使節ペリー提督らが黒船で来航し、開国を余儀なくされた日本にいち早く渡来したのは、まさに米国からの相次ぐ各派のプロテスタント宣教師たちでした。これがいわゆるプロテスタント宣教の開始です。そしてこれらの1859年を期して相次いで来日した宣教師たちによって、キリストの福音が日本全土に向かって発信され、宣教されたことは言うまでもなかったことですが、しかし、もし彼らが西洋と全く異質の精神風土と文化を持った日本社会に、キリストの福音を直訳してむき出しにただ語るような福音の提示の仕方をしていたとするならば、果たして日本の福音化はあのような勢いで促進されたでしょうか。いや断じてそうはいかなかったでしょう。 では彼らは如何なる仕方で福音の提示をしたのでしょうか。そこには顕著な二つの事実を検証することが出来ます。 ①第一は、宣教師たちの人格、つまり人間性の中に受肉した“人格的福音の提示”でした。単なる知識や力量、ましてや何かもの珍しい事物や事柄などによっては、決して人間が人間を感化し、卓越せる人間を育成したり、変革することは出来ませんでした。それはキリストの福音、しかも人格化された福音の提示によってです。明治期の宣教師たちの人格の内には、キリストの御姿を彷彿とさせる福音的品性が満ち溢れていました。これこそまさに福音の人格的受肉であって、この彼らによる人格的福音の提示こそが、明治時代の日本の歴史を担う卓越した有為な逸材を、数多生み出して行ったのでした。 ②第二は、文化の中に受肉した“福音的文化の提示”、もしくは“文化的福音の提示”でした。つまり「福音的文化」とは、人々の日常生活の中に深く根を下ろして行く、人々の生活や生き様に豊かな祝福をもたらす福音的事物や事柄を言います。また「文化的福音」とは、人々の生涯や生き方にいやが上にも良き変革をもたらさずにはおかない社会的インパクトを持った福音の提示の仕方を言います。 そこでまさしく明治期のプロテスタント宣教は、日本の社会と日本人の日常生活と人生に大きな喜ばしい変革と祝福をもたらすような福音の提示に満ち溢れていました。たとえば、このプロテスタント宣教は、生まれ出たばかりの教会とキリスト者、とりわけ宣教師たちの働きを通して、近代日本の形成と文化の発展に大きく貢献し、特に医学、教育、政治、倫理、社会福祉、産業等の側面で先鞭を付け、その基礎を据えました。韓国のオンヌリ教会のハ・ヨンジョ牧師は、これを名付けて「福音的文化宣教」と呼びました。 ちなみに日本の歴史を遡ってみるとき、今から459年も前の1549年に、フランシスコ・ザビエルによって布教活動の始まった日本のカソリック宣教の初期の時代にも、その目覚しい日本宣教の波及の背後には、上述したプロテスタント宣教におけると全く同様の福音的社会変革をもたらした、二つの顕著な要因のあったことを発見することが出来ます。 かくしてお互いが、今このプロテスタント宣教150周年を迎えるに当たって、是非とも心に留めたいことは、この恐るべき終末的様相の色濃い21世紀初頭にあって、その宣教が社会的インパクトのある、かつ福音的社会変革をもたらす力あるものであるために、今ひとたび「人格的福音の提示」と「福音的文化若しくは文化的福音の提示」を明白に成し遂げることの出来るものとなり得るよう、共に祈り、共に力を合わせ邁進して行かなければならないということです。 願わくは、主よ、今こそ日本にこの御業を起こさせたまえ!
峯野龍弘 日本プロテスタント宣教150周年実行委員長 淀橋教会主管牧師
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