ハ・ヒョンロク ティム・ハス会長
私たちは日々、選択の岐路に立たされています。それはおもに、自分のために生きるべきか、神がゆだねられた隣人のために生きるべきかという岐路です。私の場合は、1991年10月、心臓病棟で示されたみことばが私の人生を決定づけるものとなりました。
バベルの塔が崩れる 私が幼い頃、父は釜山のハンセン病の患者村にある教会で牧師をしていました。そして、私が小学校卒業間近の1969年12月、アメリカ人宣教師の配慮と勧めにより、私たち家族はアメリカに渡ることになりました。私は、父の仕事を手伝って、つらい労働をしながら学生時代を過ごしましたが、後にペンシルベニア大学に入学し、大学院まで終えました。その後、指折りの建築設計会社に入社した私は、出世街道を走り、29歳の時に最年少で重役になりました。結婚して娘も生まれ、ビルや大きな家、高級車も買いました。 そのような成功は、まさに私の名を刻んだ塔を建てるための“堅固なレンガ”でした。少なくとも、運命のその日が来るまでは。その日、私は会議に出席するために高速道路を走っていました。急に視野がぼんやりして、なんと意識がなくなってしまいました。かすかに気を取り戻したとき、私はブレーキを踏んだ状態でハンドルに頭をぶつけていました。車が猛スピードで走る道路から何とか抜け出し、路肩に車を止めました。病院に移された私を検査した医師は、心臓移植を受けなければならないという診断を下しました。成功という高速道路を走っていた私の人生すべてがぴたっと止まってしまったかのような瞬間でした。 私をいやしてください 入院している間、私は毎日心臓をいやしてくださいと主に向かって叫びました。そして「主よ。なぜ私に心臓病を与えられたのですか。私が死んだら残された家族はどうなるのですか」と主に問い続けました。そして、飢え渇いた心で聖書を読み始めました。目ざめているほとんどの時間を、聖書を読んで過ごしました。まるでこの世に神と私しかおらず、神が私にみことばを注いでくださっているような感じでした。 そのときに読んだ創世記11章には、自分のための塔を建てようとした者たちの話が出てきます。彼らは神が与えた天然資源である「石」の代わりに、人工的材料であるレンガを使って塔を建てました。彼らは単に天に届くほどの高さの塔を建てようとしたのではありませんでした。その塔に自分たちの名を刻んで後世に残そうとしたのです。私の姿が彼らと同じであることを聖霊が教えてくださいました。 ほかの人々に仕えることは牧師や宣教師の務めで、私は家族のために仕事を頑張ればいいと考えていました。私は、神にではなく、私自身に仕えていました。バベルの塔を築いた彼らの欲望が、私の心の奥底にもあったのです。 私は成功というレンガを積み上げて、私と家族が栄えるためのジャンプ台を作ろうとしていました。しかし、そのジャンプ台を築いていたレンガが崩れて初めて、胸を叩きながら主に叫びました。最初はただ心臓をいやしてくださいという叫びでしたが、しばらくすると「私のたましいをいやしてください」という祈りに変わっていきました。
堅い岩の上で 主は新しく建てるために私を完全に崩されました。そして、私の人生の目的を変えられました。助けが必要な隣人に仕え、救われた人が当然するべき福音伝道の人生を生きるよう命じられました。私は箴言31章から、最も偉大な知恵を与える箇所を見つけました。箴言31章の賢い女は、イエスの花嫁である教会と信徒が目指すべき姿でした。特に「彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる」(箴 31:20)というみことばは、信徒が主からの贈り物である救いを隣人に伝える際に必ず念頭において実践すべきことでした。このみことばは、私が死の前に立っていることを忘れさせるほど私の胸を熱くしました。 私はこのみことばを自分の使命として受けとめ、新しい事業を始めました。箴言31章のみことばは、事業に必要なすべての重要な知恵を与えてくれました。さらに、私たちの会社が常に追求すべき中心価値、経営原理となりました。企業を設立して25年経ちましたが、私たちの会社はみことばにあってさらに堅固にされています。私が何よりも感謝したいことは、イエス・キリストが私の人生の堅き岩となられたということです。また、その一点だけで私自身が心から喜んで賛美しながら生きられるようになったことです。
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