・ジュヨン サンマル教会主任牧師、サンマル通信発行人
薄く霧がかかった土手道を歩いていたとき、「あなたは本当にわたしを愛しているか」という主の御声が聞こえてきました。私は言葉にできない恥ずかしさを覚えました。その瞬間、私の顔から仮面が外れました。「ああ、私は主を愛していなかったのだ」 心苦しくなり、とても悲しくなりました。しかし、その瞬間、大きな主の恵みが押し寄せてくるのを感じました。罪の赦しの恵みでした。悔い改めと赦しの感動が同時にこみ上げてきました。
愛がなければ…… それは夢でした。目を覚ますと、朝の4時にもなっていませんでした。妻は横で眠っていました。当時私たち夫婦はアメリカの大学院を卒業した長女と2年ぶりに会い、家族旅行をしていました。われに返った私は、その日のQTのみことばを開いて読み始めました。ヨハネの黙示録2章のエペソ教会に対するみことばでしたが、それは確かに神が私に語っておられるみことばでした。「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている……あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう」(黙 2:2~5)。人に認められることをたくさんしても、初めの愛がなければ、主から捨てられるというみことばでした。私が牧会しているサンマル教会がそうなのかもしれないし、私の牧会がそうなるかもしれないと思い、恐くなりました。このみことばを黙想する前日の夜、私の罪が明らかになりました。教会の開拓から17年経って初めて、長女に教会から奨学金を渡したときのことでした。 私はホームレスの人々とともにサンマル教会を開拓した時、初めは謝儀をもらわず、教会内の苦しい状況にある高校生や大学生に奨学金を支給しました。開拓当初、長女は小学生だったにもかかわらず、幼児部・初等部の補助教師として仕え、大学を卒業するまでさまざまな形で教会に仕えました。しかし、私は自分の子に対する教会からの奨学金を一度も受け取りませんでした。留学した長女は、アメリカの大学院から全額奨学金と生活費をもらって学びました。私が初めて長女の卒業式に出ると言うと、信徒たちが奨学金対象者の名簿に私の長女の名前を載せ、「今回は絶対にサインしてください」と私を強く説得してくれました。いつも「私の子どもより信徒たちが先」という牧会原則のため、長女が牧会者の子としての傷があるかもしれないと思い、そのときは奨学金をいただいて持って行きました。
だれのための働きなのか 長女に言いました。「お父さんは牧会をしながら、これまでお小遣いもまともにあげられなかった。でも、今回は教会から必ず渡すようにと言われて持ってきたんだ」 長女は、笑顔でありがとうと言って受け取りましたが、「全部お父さんのためにがんばったんでしょう」と言うではありませんか。私はハッとしました。「そうだ。私には愛がなかった。良い牧師だと言われ、すばらしい牧師になろうとばかりして、主と隣人に対する熱い愛、子どもに対する愛さえなかった。娘を通して、主は愛のない牧会をしてきた37年間の罪を明らかにされたのだ」と思いました。「あなたは、本当にわたしを愛して牧会をしているのか。それとも自分がきよいと言われたくて牧会をしているのか」と主が尋ねておられるようでした。旅行を終えて家に帰りながら妻に「今回の旅は人生と霊性、そして悔い改めのための恵みの旅だった」と話しました。その日から、私の深い祈りはすべて悔い改めの祈りになりました。それは主との初めの愛を回復する悔い改めの祈りでした。十字架の上で「わたしがこれほどあなたのために血を流しているのに、あなたはわたしの愛を知らないのか!」というイエスの叫びが、私の胸を打ちました。その恵みに感謝しながら祈りました。私こそ悔い改めの恵みを大きく受けた者であることを悟らされました。すると、ホームレス生活から抜け出して共同体に加わった人々に対するさらに深い愛と新しい力がわき上がりました。 主を愛することは、牧会の始めであり終わりでなければなりません。牧会は、私の仕事ではありません。私の羊ではなく、主の羊を養うことです。牧会は、私の考えではなく、神の御心、神の国とその義を実現することであることを心に刻み、新しく出発します。その根底には「あなたは本当にわたしを愛しているのか」と尋ねられる主の御声があります。
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