キム・テフン、イ・ミョンヒ 日本宣教師
「宣教師の墓」と呼ばれる日本に、大学生の時に2年続けて短期宣教に行き、日本に対する神様の思いを抱きました。そして4年生の時に日本に語学研修に来ましたが、神様は日本の神学校にまで導かれました。神学校を卒業し、働きをしているうちに、ビザの問題のために強制出国させられました。再び戻れることを夢見つつ、韓国で神学校に通い、教会の働きを学び、待つこと10年。ついに神様は私を日本に遣わしてくださいました。待つ時間は、この地で働けるようにするための訓練の時間でした。神様が私たち夫婦を再び日本に呼び、仕えさせた教会は、内紛によって分裂し、教会員が20人も残っていない教会でした。日本人の教会が初めてだという負担感、言葉の問題、傷と負債だけが残った教会のために祈るしかありませんでした。私たち夫婦は行き場のない人をはじめ、だれでも来られる教会を夢見て祈りました。「それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです」(Ⅰコリ 3:7)。成長させてくださる神様に信頼し、その恵みを流そうと決心しました。それから3年、早天祈祷会に教会員が集まり、毎週路傍伝道をして出席者が増えていきました。何よりも多くの人々がいやされ、礼拝の喜びを回復したことが大きな恵みです。 初めは、子どもは小学生1人だけでした。妻は、夏休みにはアイスクリームパーティーを、冬休みにはピザパーティーを開いて子どもたちを招きました。しかし、聖日礼拝に参加する子どもの数は、ずっと1人でした。ところが、ついに去年の冬の伝道パーティーの後、1年生と6年生の兄弟が教会に来ました。数年間待った忍耐の実でした。しかし、喜びもつかの間、1年生の弟が手に負えなくなり、涙ながらに祈りました。だれでも喜んで迎える教会になろうと説教しながら、野生馬のように飛び跳ねる子どもの前で力を失った私は、自分こそが変わるべきだと悟りました。子どもは自分が愛されていることを感じると、次第に賛美・祈り・礼拝の場所に入って来ました。その子が変わるのに7ヶ月、もともと通っていた子は2年かかりました。すでに自分の考えに固執している私はどうでしょうか。「主よ。この地が宣教師の墓なら、この地で変えられた姿で死なせてください!」
| 国家情報 | 東アジアに位置する日本は、太平洋にある大きな島4つと周辺の小さな島々で構成されています。人口は約1億2644万人で、首都は東京です。公用語として日本語を使います。日本の宗教人口は神道と仏教が多数をしめていますが、実際に信仰心を持っている人は多くありません。世界的な経済大国である日本ですが、高齢化が進み、人手不足による企業倒産など、少子化問題が深刻になっています。今年5月に皇太子が天皇として即位することになっています。
| 祈りの情報 | 宣教学的観点から、日本は未伝道地域に分類されます。1859年にキリスト教が入り、160年がほど経ちましたが、いまだ日本内のクリスチャンの数は人口の約1%にすぎません。そのため、日本の教会では、長年にわたって、イエスを信じる人が増えることが課題となっています。教会数は約8千ですが、牧会者のいない無牧教会が次第に増加しています。若い献身者の養成と教会開拓を通して、日本の福音化が進むように祈りましょう。
| キム・テフン、イ・ミョンヒ宣教師の祈りの課題 | 1.神様をより一層愛し、毎日聖霊に満たされ、父の御心を知ることができるように。 2.神様から与えられたすべてのもの(恵み、物質的なもの、愛など)を流すことができるように。 3.礼拝を通して回復・いやし・喜びのみわざが起こるように。 4.聖霊によって千間台キリスト教会が成長していくように。 5.日本の地の働き人に神様が新しい力を与えてくださり、疲れることなく福音を伝えられるように。
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