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聖書的な妻 講座[第22課] 祈る妻(2)
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神の夢がある家庭 |
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トーチ・トリニティ神学大学 教授 イ・キボク
Introduction 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。── 主の御告げ ── それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう」(エレ 29:11~13)。 今、大変な状況の中にありますか。神様は私たちの父です。あなたを深く愛しておられる天の父がおられるということを、決して忘れないでください。父は、あなたに良いものを与えようとしておられます。「してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」(マタ 7:11)。このみことばを信じてください。自分自身に宣言し、あなたを落胆させようとするサタンにも宣言してください。「私の天の父は、正しく完全な方だ! 私に良いものを与えようと備えておられる!」と宣言してください。 私たちは神の子どもとして、遠慮なく天の父に願うものを求めるべきです。もし、あなたが、些細なことで神様を煩わせてはならないと思い、父なる神様に祈り求めない消極的な態度であるなら、それは礼儀ではなく不信仰です。イエス・キリストを主として受け入れたクリスチャンであれば、神様の相続者です。神様の子どもとしての権威をもって、その方に求めることを神様はとても喜ばれます。
1. 祈りは私を変えさせます 祈りは、主に何かをくださいと求めるためのものではなく、主を礼拝し、ほめたたえる時間です。祈る時間を通して神様の臨在の中に入っていくのです。祈りは、栄光に満ちた神様と出会うデートの時間なのです。神様と交わる時間なので、祈る時間が多くなるほど、私たちはますます主に似ていきます。主の聖さ、愛、恵み、力などを受けることができるのです。 私たちは、祈りの優先順位を変えなければなりません。何かを求める前に、まず自分自身の昔の人格が死に、新しい人格に変えられることを慕い求める祈りから始めましょう。「主よ、私の昔の人格が十字架で死に、新しい人格に変えられますように。主の栄光に満ちた姿に似させてください!」という祈りから始めましょう。主は、そのような祈りを喜ばれます。 2. 祈る妻によって夫が変わります 『祈りのちから』(War Room)というアメリカの映画があります。家庭に不誠実であった夫に対し、妻のエリザベスは不満がいっぱいでした。しかも、夫は不倫までしようとし、彼らの家庭は大きな危機を迎えました。しかし、祈りについて学んだエリザベスは、自身のクローゼットを祈る場所にし、夫のために祈り始めました。夫と言い争う代わりに、クローゼットで霊的な戦いをすることにしたのです。結局、妻の変えられた姿の理由が気になった夫が妻の祈りの場所に入り、感動します。壁いっぱいに貼られた聖句と自分を祝福する祈りの言葉を見ながら、夫は神様に立ち返り、家庭に戻ってきます。 ペテロの手紙にも「……たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです」(Ⅰペテ 3:1~2)とあります。イエス様を知らず、世の基準で生きている夫であっても、妻の敬虔な清い姿を見て変えられるというのです。まず祈る妻が変えられれば夫も変わり、ついには主に立ち返るということを最後まで信じてください。
3. 祈る妻は非難をやめます イザヤ書58章は、断食の祈りに関するみことばです。神様は、彼らがどんなに断食して祈っても、聞かないと言われます。彼らが断食しながら「争いとけんかをするため」です。互いに憎み合いながらする祈りは、むなしい祈りだというのです。主は、断食しながら、飢えた者に食べ物を与え、裸の人に着せるなら、すみやかに応えると言われました。周りの苦しんでいる人を愛をもって助けることも、私たちが覚えて実践すべき課題です。 特に58章9節では、「くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き」なさいと警告しておられます。「うしろ指」は人を批判することを意味し、「つまらないおしゃべり」は悪口を意味します。どんなに断食して祈っても、人を非難し、悪口を言っているなら、神様はその人の祈りを聞かないというのです。本当に恐いみことばです。イエス様も「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」(マタ 7:1~2)と警告しておられます。夫の罪や過ちを指摘しないようにしましょう。さばくこともやめましょう。非難し、さばくことは神様の座を横取りする大きな罪です。神様ご自身が働かれるよう、非難する代わりに祈りましょう。祈って神様にすべての問題をゆだねるとき、神様は私たちの祈りにすみやかに応えると約束しておられます。
4. 祈る人は言葉が変わります 私が出会った人々の中に、家族や隣人、教会、国のためによく祈る人がいます。その人たちの最も大きな特徴は、否定的な言葉を言わないことです。彼らは問題点を言わず、神様がこれから行われる、予想外のことを預言のように話します。いつも肯定的なアイデアを出します。状況がどんなに困難でも、信仰の言葉を口にするのです。それで、そのような人のそばに行くと、複雑な問題も希望的に解決できるようになります。祈る人の信仰的な言葉のゆえです。言葉はいのちだからです。言葉には偉大な力があります。悪い言葉には否定的な力が働き、良い言葉には人を生かす驚くべき力が働きます。「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず」(Ⅰペテ 3:10)というみことばのように、悪い言葉を口にしない決意をしなければなりません。
5. 心配事を主にゆだねる訓練 心配は、起こってもいない事を前もって考え、疑似体験するようなものです。心配しても、心配事はなくなりません。サタンは、心配と恐れによって人類をコントロールしてきました。そうして、本来味わうべき感謝や喜び、幸せを奪ってきたのです。イエス様も、心配する私たちに「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」(マタ 6:27)と言い、心配しないようにと言っておられます。 祈る妻は、心配せず、また家族に不安を伝えないようにしなければなりません。信仰の祈りは、心配事を主にゆだねることだからです。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテ 5:7)というみことばを暗唱しましょう。そして、不安と心配が忍び込もうとしたら、「私は祈る者だ! 心配しない! 不安を受け入れない!」と宣言しましょう。そばにいる人のためにも宣言しましょう。「主が守ってくださる。心配は不信仰だ。私たちは心配しない!」
6. 疑いは祈りの応えを奪っていく 「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です」(ヤコ 1:6~8)。 信仰の反対は疑いです。祈っておいて疑うなら、主から何もいただけないと警告しています。なぜなら、疑いは全能なる神様に対する不信仰だからです。本当に神様が生きておられ、祈りを聞き、応えてくださるということを信じますか。神様は信仰を喜ばれます。聖書に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」(ヘブ 11:6)とあります。少し神様の応えが遅れたとしても、神様に最後まで信頼して耐えましょう。 信仰の祈りは、種を蒔くようなものです。種を蒔くと、最初は土に隠れて見えませんが、やがて地を割って芽が現れます。そして、生長して青い葉を出し、花を咲かせます。時には雨が降り、熱い日差しに照らされ、暴風雨にさらされることもありますが、秋は必ずやって来ます。忍耐して秋を迎えると、実を結ぶのです。 祈りも同じです。種が実を結ぶまで時間を要するように、祈りの応えも時間を要します。神様の時が来て、応えの実を結ぶ時まで、信仰によって待たなければなりません。すぐに応えられないとしても、疑わないでください。今の状況を見て、落胆しないでください。今は、神様の応えの途中なのです。すでに受け取ったと信じ、疑いを拒みましょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブ 11:1)というみことばを握り、前もって神様に感謝しましょう。疑いを捨て、最後まで信仰を持って歩むとき、期待以上の応えを受けることができるでしょう。
7. 祈りの部屋を作りましょう 恵み深い祈りを続けるために、自分だけの時間と場所を決めることをお勧めします。時間を決めて、主との出会いを味わってみましょう。その時間は、だれにも妨げられない祝福の時間になるでしょう。自分だけの祈りの部屋を作りましょう。「war room」という名をつけてもいいでしょう。なぜなら、祈る部屋は、激しい霊的戦いをする場所だからです。そこに、聖歌や聖書など、祈るときに必要なものを置いておきましょう。QTノートや祈りのノートなども準備しましょう。 まず、十分に賛美をし、聖書を声を出して読み、祈りのノートに書くなど、祈りの時間を3等分してみましょう。その場で、すべての思い煩いを主に打ち明けてください。そして、主と親しく交わりましょう。夫のための祈り、子どものための祈りをささげるなら、とてつもない変化が起こるでしょう。祈りによって家庭を守る見張りになりましょう。また、隣人や教会、国、宣教師たちのための祈りまで進みましょう。そのようにしていくうちに、世界を抱く祈りの使命者になるのです。 さあ、あとは実践するのみです。きょうから祈る時間を持ちましょう。人生の優先順位の中で最も緊急で重要な課題として始めましょう。朝ごとにささげる祈りが習慣になるまで、定着させましょう。祈る妻がいる家庭は、必ず信仰の家庭として堅固な根を下ろし、広がっていくでしょう。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタ 6:6)。
祈りましょう 私の祈りを待っておられる神様。これまで祈りを先延ばしにしてきたことを悔い改めます。これからは、毎朝、祈りをもって主の御前に進み出ます。毎日の生活の中で、祈る時間を最も大切な時間とすることができますように。私の祈りの部屋でさらに親しく主と交わることができますように。祈りの深い奥義を経験する妻となれますように。祈りによって夫と子どもたちを守る祈りの見張りとして歩みたいと思います。私の決断を喜んで受け取ってください。祈りの特権を与えてくださり、感謝します。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
イ・キボク トーチ・トリニティ神学大学院、キリスト教カウンセリング学教授。オンヌリ教会協力牧師、ツラノバイブルカレッジ家庭ミニストリーディレクター。ラブソナタ講師。
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