ç¤¾ä¼šã€å›½å®¶ã€ä¸–ç•Œ 権力とクリスチャン

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ユ・スンウォン デトロイト韓国人連合長老教会 主任牧師


ローマ人への手紙13章1~7節は、「教会と国家の関係」「クリスチャンの社会的義務」「世俗権力とクリスチャン」などの主題によく引用されますが、誤用や乱用も少なくない箇所です。本文はこのように始まります。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」(ロマ 13:1)。

統治権力の定義
「権威」と訳された「エクスシア」(evxousi,a)は、統治に必要なリーダーシップの権力を意味します。「上に立つ権威」は、時によって個人に義務を負わせたり、個人のエクスシア(権利)を制限したりする高位権力のことです。すべての社会は、共同の発展と秩序維持のために、このような「個人の権利の上にある社会権力」を必要とします。このような社会権力を組織し、付与するやり方は、時代と社会によって異なります。ローマ帝国時代には、皇帝とその統治組織に「上に立つ権威」が与えられました。現代のような民主主義政治では、国民が選出した代表と機関に、合意によって権力者または権力機関にこの権力が与えられます。
どんな政治体系であれ、個人はこの権力に従うようになっています。現代人は「服従」という用語を嫌いますが、実は、どんな社会であれ、合意した権力に従わなければ、その権力が肯定的なリーダーシップを発揮することができないため、多かれ少なかれ「服従」を前提とします。「個人の権利の上に置かれた権力」は、それ自体が全体のために個人の権利を一部放棄するか、譲渡することによって可能になった権力です。「上に立つ権威」と「個人の権利」の間には、統治と服従の関係が存在するのです。

リーダーシップ権力の起源
クリスチャンの社会哲学が一般人と異なる部分は、「統治権力の起源」についての理解です。民主主義に慣れた現代人は、普通はこの統治権力の起源を人間に見いだします。社会的合意によって個人の権利を放棄し、それが集まって「上に立つ権威」になったというのが一般的な認識です。立法の過程や選挙の手順などは、そのような合意によって権力を付与する方法です。しかし、私たちはその「エクスシア」が個人のものであれ統治者のものであれ、形態や手順に違いはあっても、すべてが神がくださった賜物であることを知っています。
神はすべてのものを造られた主権者です(Ⅰ歴 29:11)。この世に神によらないものは一つもありません。人の力や権威も、すべて神が与えられたものです。取るに足りない雀の一羽でも、神の許しがなければ地に落ちることはありません(マタ 10:29)。
その権威は、現在の政治状況が気に入らなかったり、そのために従いたくないと思う場合にも、神が許されたものです。偶像崇拝者であるネブカデネザルが、BC6世紀にユダ王国が属する古代近東地域の覇権をつかんだことも、神の御心でした。そのため、ユダ王国も神が定められた期間は、彼に仕えなければなりませんでした。神はその異邦人の王を「わたしのしもべ」と呼ばれました(エレ 27:5~7)。嫌でも神が自分の上に立てられた統治者に謙遜に従うことが、ユダ王国が生き残る道でした(エレ 27:8, 17)。人間的な目で見ると、異邦人の王に仕えてはならないという預言者のほうが正しいように見えますが、神の目には、彼らのほうが偽りの預言者でした(エレ 27:9~10)。
イエスを処刑したピラトの権力も、その時点に神が彼に与えられたものでした。ピラトは自分に与えられた権力が、もともと自分のものであると考えました。「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか」(ヨハ 19:10)。しかし、彼の判決によって生死が決まる被疑者イエスのことばは、彼に重圧を与えました。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです」(ヨハ 19:11)。このみことばを念頭に置かなければならないのは、統治権力に従う民だけではありません。その権力を与えられた統治者が、これを正しく知って正しく統治しなければ、不従順に対するさばきの鉄槌は、その統治者に向かいます。

統治権力への従順と不従順
ですから、神が立てられた権威を認めて従うことが、基本的には正しいのです。バビロン時代にもそうであったように、神が私たちの社会にある権力を許されたなら、不満があってもその権力の下で保たれている社会秩序に従うことが、原則的には正しいことです。もちろん、その権力に従うとは、その権力に神のように仕え、盲従せよという意味では決してありません。その統治権力を通して保たれている善に従って行いなさいという意味です。ローマ人への手紙13章2節で語っている「権威に逆らっている人」は、与えられた統治権力の下で定められた法に逆らい、社会悪を行う人です。つまり、「上に立つ権威に逆らってはいけない」というみことばは、すべての権力にただ服従しなさいとい意味ではなく、悪に従って行動してはならないという意味です。
一時、権力者が無条件の服従を強要し、この箇所を引用したことがありました。そのような人には「神に権威を与えられたあなたは、今『神の定め』(ロマ 13:2)に従って行っていますか」と問い返すべきでしょう。その人が神の定めを行っているなら、私たちは従わなければなりません。しかし、彼が神の定めに逆らって、神に対抗する指示を出すときには、話は別です。すべての権威が神から来たと信じることは、神がその権威の上におられるということを前提としています。では、神から権威を与えられた者が、権威を与えられた神に逆らう道を強要するときには、どうするべきでしょうか。
このみことばを記したパウロに、このような質問をすると仮定してみましょう。「もし、権力者が神から与えられた権威によって、神に敵対するように私たちに要求するとしたら、その権威に従うべきでしょうか」 パウロは、一言「いいえ」と答えたはずです。この世の権力者が神に逆らうことを強要したとしたら、パウロは決して従わなかったはずです。そうでなかったら、彼は何度も牢に閉じ込められることも、殉教することもなかったはずです。彼が牢に入れられ、むちを打たれながらも、世の権力に服従しなかったのは、「権威に逆らっている」(ロマ 13:2)行為でも、「悪を行う」(ロマ 13:3)ことでもありませんでした。
統治権力が神に逆らうことを要求するときには、死を覚悟してでも従ってはなりません。統治権力が神に敵対するときは、その権力者を拒み、神に従わなければならないということが、ローマ人への手紙13章1~7節の前提にあります。福音宣教を抑圧していたエルサレム当局者たちに、ペテロとヨハネはこのように問い返しました。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」(使 4:19)。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、ネブカデネザルの恩恵を受けていましたが、金の像を拝めという王の命令に対しては、いのちをかけて拒みました。そんな彼らを、神は燃える炉の中から救い出してくださいました(ダニ 3:1~27)。
「権威に逆らうこと」は、社会に問題を起こし、人に被害を与える犯罪行為、つまり「悪いこと」(ロマ 13:2~3参照)です。権威に逆らってはいけないというのは、悪を行ってはいけないということです。逆に、良いことを行わなければなりません。権威に服従しなさいということは、社会の中で善を行いなさいという意味です。これは根本的に、「あなたがたは、地の塩です」「あなたがたは、世界の光です」(マタ 5:13, 14)というイエスの宣言と同じです。
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタ 5:16)。
このようなレべルで、善を行うよう励まし、悪を抑制する道具として用いられるべきものが統治権力であり、それを正しく行使するとき、その権力は「神のしもべ」(ロマ 13:4)の役割をするのです。権力と統治の良い意味での強制力を尊重することは、クリスチャンの社会人としての義務です。
クリスチャンの良心
統治権力に従おうとする私たちの心の動機は、処罰の苦痛を避けようとする恐怖心にあるのではありません。もちろん、ローマ人への手紙13章4節は、私たちが法に逆らって悪を行うとき、それに相応する処罰があることを警告し、その処罰の背後に、神の懲らしめの意志があることを暗示しています。
クリスチャンの行動の動機は、恐れではなく愛でなければなりません。「ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです」(ロマ 13:5)。ここで「良心」(シネイデシス sunei,dhsij)は、パウロが頻繁に使う単語で(ロマ 2:15;9:1~2、Ⅰコリ 8:7, 10, 12;10:25, 27~29など)、人の心に形成された「善意識」を指します。つまり、一般の心理現象としての良心ではなく、クリスチャンの良心です。クリスチャンの良心とは、神のみことばとキリストの教えを通して形成され、その人のうちにおられる聖霊の導きを受ける内的な善意識を言います(ロマ 8:9, 14)。この良心が、統治権力が善を行うよう要求するとき、喜んで従うよう、私たちを駆り立てます。この良心に従うことが、神に従う道なのです。


どんな社会であれ、合意された権力に従わなければ、
肯定的リーダーシップを発揮できないため、
社会権力は多かれ少なかれ「服従」を前提とします。

権力と統治の良い強制力を尊重することは
クリスチャンの義務であり、その行動の動機は、
恐れではなく、愛でなければなりません。

* 今後のテーマ
9月 社会、国家、世界
10月 キリスト教の倫理
11月 終末論

 

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