パク・チュンソク、オ・キョンヒ トンウン教会派遣宣教師
50歳を過ぎて宣教師になり、アフリカに来て、早くも15年が経ちました。もともと私はソウルで教会を開拓し、郊外へ農村へと移り住みながら、福音に負債を負った者として主イエスを伝える働きに喜んで献身してきました。礼拝を導き、家庭を訪問し、修養会をし、いつも幸せでした。そんな中、フィリピンに短期宣教に行き、アブラハムが父の家から離れ、神様が示された地に行くように命じられたみことば(創 12:1)を黙想しました。そして、しばらくして主の召しを受けてアフリカに行くことになりました。 教会と学校を建てる働きの中で多くの困難がありましたが、特に現地人との生活におけるカルチャーショックに最も苦しみました。宣教の人生とは、遠くから眺めるのと直接体験するのとでは全く異なることを思い知らされました。人のたましいを変えられない私が、はたして宣教師と言えるのかと自問しながら、葛藤と悩みの日々を過ごしました。愚痴のような祈りばかり出てきました。「神様、いくらみことばを伝えても好き勝手に生きる人たちに、何を期待されるのですか。口から嘘が離れず、聖書を持ち歩きながら詐欺を行い、どうにかしてお金を奪い取ろうとするこの人たちを、なぜ愛されるのですか」 こんなかたくなな人々とともに過ごしながら、愛の福音を伝えなさいと命じる主の御心が理解できませんでした。 すると、神様は「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか」(ヨナ 4:11)というみことばを下さいました。神様は彼らと大差のない罪人の私を救ってくださったのに、私は義人のふりをしながら、彼らを教えるばかりで、彼らはいのちに至る悔い改めをすることは不可能だと決めつけていたのです。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです」(ルカ 5:32)というみことばを通して、カメルーンに私を送られた御心を悟りました。宣教地で神様を知れば知るほど感動し、賛美があふれます。カメルーンは私にとって、使徒パウロのアラビヤ(ガラ1章)のような恵みと変化の場所です。神様が送られたこの場所で、ようやく神様を心から恐れ、礼拝しています。
| 国家情報 | アフリカ中西部に位置するカメルーンは、ナイジェリア、チャド、赤道ギニアやギニア湾に接する、世界で54番目に大きな国です。1884年にドイツの植民地になり、第一次世界大戦でドイツが敗戦した後、フランスと英国の占領地になりました。1960年フランス領カメルーンは独立共和国になり、1961年にイギリス領カメルーンの南側を合併し、カメルーン共和国となりました。首都はヤウンデ、人口は約2344万人であり、数多くの部族で構成されています。公用語は英語とフランス語です。農業、道路、鉄道、石油産業が発達し、アフリカでもまれに見るクーデターや内戦のない国ですが、犯罪率は世界第2位です。
| 祈りの情報 | カメルーン人口の約5分の1を占めるイスラム教徒が次第に勢力を広げています。キリスト教人口に関する統計が正確でなく、部族信仰の傾向が強く、キリスト教が伝えられて100年以上経った現在も、まだ福音が根を下ろしていません。この地に福音が広がるように祈りましょう。流暢な言葉で祈り、聖書を持ち歩く人もたくさんいますが、しっかりとした信仰者に出会うのは容易ではありません。政治的に不正選挙が絶えず、産油国でありながら、国民のほとんどが貧困から抜け出せずにいます。まず主を信じる人々から真の変化が起こるように祈りましょう。
| パク・チュンソク、オ・キョンヒ宣教師の祈りの課題 | 1.聖霊に満たされて霊的戦いに勝利し、いつも感謝しながら宣教できるように。 2.今年の秋に行われるカメルーン大統領選挙で、騒動が起こることなく行われるように。 3.アミティエ学校の教師と学生たちが神の子として新しく生まれ変わるように。 4.家族の健康と安全が守られ、娘ウンジンが大学生活の中で主とともに歩めるように。
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