ç¤¼æ‹ 礼拝、「高貴な」時間浪費

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ユ・スンウォン デトロイト韓国人連合長老教会 主任牧師


礼拝に失敗した人々
「戸を閉じる人は、だれかいないのか。わたしは、あなたがたを喜ばない。── 万軍の主は仰せられる ── わたしは、あなたがたの手からのささげ物を受け入れない」(マラ 1:10後半)。なぜ神はこのように語られたのでしょうか。当時の祭司たちは、神の御前に汚れたパンをささげていました(マラ 1:7)。神の食卓をさげすんだのです。また、彼らは足のなえた動物や病気の動物を神へのいけにえとしてささげました。もし、そのようなものを総督に差し出そうものなら、受け入れられないだけでなく、憎まれたはずです(マラ 1:8)。
マラキ書は捕囚帰還時代を背景としています。苦難の中にいたユダの民は、神にいけにえをささげて恵みを求めましたが、そのいけにえには全く誠意が込められていませんでした。そのため神は「さあ、今、恵みを受けるために神に願ってみよ。これはあなたがたの手によることだ。神はあなたがたのうちだれかを、受け入れてくださるだろうか。── 万軍の主は仰せられる ── 」(マラ 1:9)と言われました。彼らは礼拝に失敗したのです。結局それは、人生の失敗でした。これは今日でも同様です。礼拝に失敗する人は人生に失敗し、礼拝に成功する人は人生に成功します。なぜでしょうか。

人生の最優先行為
人は神に造られた被造物です。神のかたちに似せて特別に造られましたが、それでも「被造物」です。被造物は造った方のものです。つまり、人は創造主である神のものです。人は自分自身のためではなく、神のために存在するのだということを忘れてはなりません。神のための存在目的を果たすとき、まことの人となり、本人も幸せです。人間は神の栄光のために創造されました(イザ 43:7)。
人にとって最も優先すべき関係は、自分を造られた創造主との関係です。人だけが神のかたちに似せて造られた被造物であり、神と対話できる存在です。人にとって最も大切な戒めは、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くして神を愛することです(マコ 12:28~30)。ですから、神を愛する人が第一にすべきことは、神を礼拝することです(詩 29:1~2;96:8、黙 4:10~11)。礼拝が正されてはじめて、人生が正しい方向に向かいます。神を神と認め、自分の人生にお迎えするのです。被造物である人が、自ら人らしくなろうといくら努力したとしても、人の方法からは答えは出てきません。
「わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう」(イザ 43:21)。人は何よりもまず、神を礼拝しなければなりません。仕事、勉強、愛、遊びなど、すべての活動の前に、神との関係である礼拝があってこそ、残りの活動が意味をもち、あるべき位置に収まります。「礼拝の不在」が人の堕落の始まりであり、滅びの根本的な理由でした。ローマ人への手紙1章18~32節には、人が罪によって滅びる過程が説明されています。罪の始まりは礼拝の不在です。「それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました」(ロマ 1:21)とあります。

礼拝を回復した人々
イスラエルが失敗したのは、礼拝に失敗したからでした。しかし、選民イスラエルの礼拝の失敗とは対照的に、世界中の異邦人は、神の御名を呼びながら真の礼拝者となって出てくると預言されています。「……すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間であがめられているからだ。── 万軍の主は仰せられる ── 」(マラ 1:11)。BC400年頃には、そんなことが起ころうとは、想像もできなかったでしょう。しかし、イエス・キリストは、ただ一度、聖なるいけにえとなり、罪の中にいる人を救ってくださいました(ヘブ 7:27;9:26)。ですから、クリスチャンはイエスによって正しい礼拝をささげられるようになった者たちです。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。……心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか」(ヘブ 10:19~22)。「……みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです」(エペ 1:11~12)。
ですから、教会はまず、礼拝共同体にならなければなりません。一般的に教会がするべきことは、礼拝・宣教・教育・奉仕・交わりの5つが挙げられます。すべて大切な働きですが、状況によっては、そのうち1つか2つが抜けることもあります。しかし、なくなってしまえば教会として成り立たなくなるものがあります。それは、礼拝です。ほかの4つがなくても教会だと言えますが、もし礼拝がなくなれば、それは教会とは言えません。人生に礼拝のない人はクリスチャンではありません。
このように礼拝を中心にして見てみると、「宣教」は礼拝者と礼拝共同体を世に広げる働きであると言えます。「教育」は礼拝者を育てることです。「交わり」は礼拝者を立て、教会を堅実な礼拝共同体にするためのものです。「奉仕」は生活そのものを礼拝とすることです(ロマ 12:1~2)。「礼拝」は、弟子の使命において最も優先されるべき基礎であり、人生の新たな使命を見いだすための過程です。

聖日礼拝の意味と重要性
礼拝は、イエスが復活された「週の初めの日」を「聖なる日」とし、その日にクリスチャンが集まる礼式です(マタ 28:1、ルカ 24:1、ヨハ 20:1、使 20:7、Ⅰコリ 16:2)。礼拝に欠席しないという決断は、必ず守るべき、この時代の義務です。聖日礼拝の核心となる概念は、キリストのからだの器官として「私が神の御前に進み出る」という献身であり、真心です。からだを動かせないほど具合が悪いというような、仕方のない事情がない限り、家でのんびりとドラマを見るかのように、ひとりで説教を聞くことは、聖日礼拝の代わりにはなりません。それは「神様、あなたが私のところに来てください」と考える隠れた高慢の現れなのです。聖日礼拝は、神を私のいる場所に呼び出すことではなく、私が神の御前に進み出る時間であり、空間です。信仰を捨てる背教は、礼拝に出ることをやめる行動に現れます。そのため、ヘブル人への手紙の著者は「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」(ヘブ 10:25)と強く勧めています。
旧約の安息日は7番目の日、つまり一週間の終わりの日ですが、新約の聖日は週の初めの日です。そのため、聖日礼拝は日常生活の終わりにささげる安息日礼拝ではなく、一週間の歩みを始める最初の礼拝です。時々私たちは、「一週間の罪の生活から出てきてささげる礼拝」と言ったりもしますが、これは聖日礼拝の意味の間違った理解です。
聖日礼拝は、一週間の歩みを始めるにあたり、まず神の御前に進み出て礼拝をささげ、自分を生きた供え物としてささげる献身です。神の命令(みことば)をまず聞き、必要な力を受け、世の塩と光として遣わされる時です。クリスチャンはまず礼拝をささげ、それから一週間の歩みを始めるのです。

高貴な時間浪費
マラキ時代の失敗は「心のない礼拝」でした。そのため、イエスはまことの礼拝を強調しました。「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハ 4:23~24)。ここで「霊とまこと」に該当するギリシャ語は「エン プニュマティ カイ アレセイア」(evn pneu,mati kai. avlhqei,a|)ですが、私は韓国語聖書[改訳ハングル版]の「霊と真心によって」という翻訳が適切であるように思います。
礼拝は見るものではなく、ささげるものです。競技観覧や映画鑑賞ではないので、礼拝を見ようという態度は正しくありません。礼拝は、人の側から、霊とまことによって「ささげる」ものです。礼拝を見ようとすれば、説教者を批評したり、礼拝形式を評価するようになり、主観的な好みの問題になってしまいます。しかし、本当に神に礼拝をささげようとすれば、だれが説教をしても神のことばとして聞き、賛美の中におられる神(詩 22:3)に出会い、聖霊の感動の中で回復を経験します。
計算的な人は、優先順位の一番最後に礼拝を置きます。自分のするべきことを全部してから、余裕があると感じれば、空き時間を利用して礼拝に行きます。しかし、礼拝は最も重要な関係の対象である神の御前に出る必須の時間です。礼拝を時間の浪費と考える現代人に、リージェンツ大学の「霊的神学」の教授マーバ・ドーン(Marva J. Dawn)氏は逆説的な表現で、「礼拝こそ高貴な時間浪費だ」(a royal waste of time)と言っています。
礼拝に成功する人は、人生にも成功します。神に愛をささげ、自分の信仰を守るために、高貴な時間浪費をする人が、人生に成功します。高貴な時間浪費をして、ぜひ真の成功を収めてください。


神との関係である礼拝が、仕事、勉強、愛、遊びなど、
すべての活動に先行されなければなりません。
そうすれば、残りが意味をもち、あるべき位置に収まります。


 

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