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聖書的な妻 講座[第18課] 夫婦のコミュニケーション
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神の夢がある家庭 |
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トーチ・トリニティ神学大学 教授 イ・キボク
Introduction 家族は、休むことなく互いに影響を与え合っています。家族の間では、絶えずコミュニケーションがなされます。沈黙している瞬間でも、無言のコミュニケーションがなされています。 皆さんの家庭では、よくコミュニケーションが取れていますか。コミュニケーションは、からだの血液循環のようなものです。血液は、かだだを巡ってきれいな酸素を隅々まで運び、悪いものを排除して外に放出します。同じように、家族間のコミュニケーションは、家族に愛や所属感などを与え、誤解や葛藤などを取り除いて放出します。からだの血液循環に問題が起こるとからだに不調が生じるように、家族間のコミュニケーションが滞ると、家族にいろいろな問題が生じるようになります。 特に夫婦は家庭の心臓のようなものなので、夫婦のコミュニケーションは何よりも大切です。夫婦間で対話がスムーズになされていますか。夫婦は対話を通して意見をまとめたり、重要な決定を下したりしながら、その中で愛を再確認しつつ家庭を築き上げていくのです。困難なことがあっても、夫婦がよく話し合うことを通して解決していくのです。 皆さんは、夫婦でわだかまりのない対話をしていますか。「腹を割った」を英語では「heart to heart」と言います。心から心に伝わる、すなわち、心と心が通じ合っているという意味です。互いに理解しようと努力し、相手の心に共感し、愛を表現するとき、腹を割った対話ができます。しかし、夫婦の間に隔ての壁が積み上げられているとしたら、どのように改善していったらよいでしょうか。
1. 対話に関する基本原理 1)沈黙は金ではない 沈黙は金ではありません。夫婦間では「沈黙は金なり」という言葉を用いるべきではありません。沈黙は良いことではありません。沈黙には誤解の余地がたくさんあります。夫婦間では、たくさん話さなければなりません。中には「私はもともと口数が少ないほうだ」と自ら決めつけている人がいるかもしれません。それでも、夫婦間には言葉が少なくてはいけません。とりとめのない事でも話しましょう。たくさん話をしていれば、夫婦の親密感はさらに深まるでしょう。夫が言葉数の少ない人であれば、妻が楽しい話へと誘導しましょう。自分から心を開いて対話を始めれば、夫も恐れることなく気楽に対話を楽しむようになるでしょう。親しい友だち同士のように、なんでも気軽に夫と話してみましょう。 2)意識的に対話時間を作る ある統計によると、夫婦が一日に対話をする時間の平均は、10分未満だそうです。毎日を忙しく過ごしていると、夫婦が質の高い対話ができなくなります。いつもテレビがついていれば、それに比例して夫婦の対話時間も少なくなります。そうなると、夫は妻の心を読めず、妻も夫の悩みを知ることができません。皆さんの場合はどうでしょうか。十分な対話時間をもっていますか。互いに自分の考えや悩みを分かち合うほど、深い対話をしていますか。 これからは、意識的に対話時間を作るようにしましょう。そのために「きょうは夫が帰ってきたら、楽しく話を始めてみよう」と決めて、あらかじめ話題を準備しましょう。深刻でない話題から始めましょう。夕食後にお茶を準備して、きょう外で面白いことはなかったかなど、夫に聞いてみてもよいでしょう。面白いユーモアを準備することもお勧めです。最初は難しくても、計画を立てて実行していけば、そのうち夫婦の対話時間を持てるようになるでしょう。
3)表現しなければ相手は私がわからない 人はよく「どうしても話さなけらばならないのか」「言わなければ、わからないものだろうか」と考えますが、それは間違っています。対話の基本原則の最大の命題は「必ず対話しなければならない」「私が話さなければ、相手は私の考えや願いがわからない」です。「以心伝心」というのも、ある意味、間違った表現です。私が話し、表現し、努力して伝達しなければ、夫は私の心のうちを知る由もありません。私の考えや願いは、必ず話して、夫に伝えるよう努めなければなりません。心を開いて夫に伝えてこそ、夫は私のことを理解できます。たとえば、明日が誕生日で、夫にお祝いをしてほしいなら、「あなた、あした私の誕生日なんだけど、おいしい所に行って夕食を食べたいな。プレゼントも買ってくれたらうれしい」と伝えるべきなのです。正確に求めることもしないで、「私の誕生日を覚えているかな。プレゼントをくれるのかな」と密かに期待していたのに、夫が何もしてくれず、失望して腹を立てるなら、それは健全な態度ではありません。私が望むことを表現してこそ、夫がわかるのだということを忘れてはなりません。
4)忠告や小言は対話に水をさす 友だちとは話がはずむのに、なぜ配偶者とは対話が難しいのでしょうか。それは、私たちは友だちのことを直そうとはしませんが、夫のことは忠告や小言を言って変えようとするからです。 「求められない忠告は非難だ」という言葉があります。求めてもいないのに、だれかが私に忠告をすれば、それは非難として聞こえるという意味です。人は非難されれば、心を閉ざし、それ以上話したくなくなります。小言は相手自身もすでによくわかっていることで、ある意味、正しい言葉です。しかし、本人もわかってはいるけれど、今はいろいろな理由で先延ばしにしたり、できないでいるのに、それを忠告されたら、聞く人は挫折感を感じ、強要されているように感じて腹が立つだけです。また、忠告された人は、自己防衛するようになり、対話が途切れてしまいます。
5)感情を表現すると対話が深まる 意外にも人は、自分の感情を表現したがりません。特に、ネガティブな感情を言い表すことは、容易ではありません。しかし、感情を言い表すことができれば、関係は急速に近づきます。感情を共有すれば、親密さが深まるからです。日常的な対話だけでなく、夫に自分の感情を伝えてみましょう。たとえば、良い感情には「感謝だ」「幸せだ」「うれしい」「楽しい」「楽だ」「安心できる」などがあります。夫が夕方になって帰宅したら、「あなたが帰ってきたから、なんだか安心だわ」と表現できます。 ネガティブな感情も、うまく表現すれば、わだかまりの解消や相互理解に大いに役立ちます。たとえばネガティブな感情には「気がかり」「心配」「不安」「気が重い」「つらい」「混乱する」「後悔する」「腹が立つ」などがあります。夫に「やることが多すぎて、気が重いわ」と表現することができます。注意すべきことは、夫を非難しようという意図を捨てることです。ただ自分の感情を伝えるのです。「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」(エペ 4:26~27)というみことばを深く考えてみましょう。
6)真の対話は正直な対話 正直に話すことは簡単ではありません。勇気とテクニックが必要です。しかし、何よりもまず、自分に正直でなければなりません。神様と人の前で偽りの姿を捨て、正直になりましょう。そうすることができるよう、キリストに助けを求めましょう。そして、夫婦が互いに正直になれば、信頼と愛が深まり、互いに赦しやすくなります。「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです」(エペ 4:24~25)。
2. 聞くことが対話の始まり 1)まず相手に耳を傾ける だれかが自分の話を熱心に聞いてくれたら、自然にもっとたくさん話したくなるでしょう。あなたは、夫の言葉を積極的に聞いてあげる妻でしょうか。対話においては、まず相手の話をよく聞くことが大切です。夫との対話時間を増やすために、まず夫の言葉に耳を傾ける努力をしましょう。自分の話をする前に、まず聞きましょう。「……だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」(ヤコ 1:19)。夫の話を聞きもせず、自分の言いたいことばかり言って感情的になるなら、夫はさらに心を閉ざすでしょう。「よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける」(箴 18:13)。
2)相づちを打つ では、話をよく聞くのに役立つ、簡単な方法を紹介しましょう。それは、夫が何か話をするとき、うなずきながら「そうなんだ」「それで?」「本当?」「そうよね」「ひどい」と相づちを打ち、私はあなたの話を聞いているということが伝わるよう反応することです。機会があれば、だれかと話すときに、そのような表現を練習してみましょう。何度もくり返しているうちに、慣れてくるはずです。もちろん口先だけでなく、よく話を聞いて反応しなければなりません。きょうから夫と子どもたちに適用してみましょう。些細な言葉でもそのように反応するなら、夫や子どもは喜んでもっと話すことでしょう。
3)共感する 夫が話すとき、「あなたの気持ちはよくわかる」ということを伝える方法です。夫に共感し、夫の言葉を別の言葉で言い換えたり、要約して言うのです。たとえば、夫が「きょう会社で残業したんだけど、まだ仕事が終わらないんだ」と言ったとしたら、「本当に仕事がたくさんあるのね。大変そうね。疲れたでしょう」と反応します。また夫が「きょうの帰りは道が本当に混んでたよ」と言ったとしたら、「そうだったの? 最近、どうしてそんなに道が混むのかしら。イライラしたでしょう。大変だったわね」と反応するのです。「きょうは頭が痛い」と言ったら「本当? どういうふうに痛いの? 大丈夫?」と聞いたり、「頭が痛かったら仕事に集中できなかったでしょう」というふうに、積極的に反応することが、傾聴と共感の姿です。
3. 祈りは神様とのコミュニケーション 祈りは、神様との霊的な対話です。神様は私たちに言葉を与え、対話ができるようにしてくださいました。祈りの時間を設け、神様に心の奥底にある感情や罪を吐き出してください。神様は、耳を傾けて聞いてくださいます。神様は、私たちをさばかず、赦してくださる方です。形式的な祈りや流暢で美しい言葉を並べる祈りではなく、心からにじみ出る正直な祈りをするなら、たとえたどたどしくても、神様は喜んで聞いてくださいます。また、神様に話すだけでなく、神様の御声を聞きましょう。御声を聞く祈りをすれば、主の御心を知ることができます。そして、主と深く正直な祈りができる人は、夫とも深く正直な対話ができるようになります。対話は、神様が与えてくださったプレゼントだからです。
祈りましょう 私たちと対話するために、みことばによってこの地に来られたイエス様。罪の根によって私たちの心と言葉はゆがみ、汚染されていました。言葉によって互いに傷つけ、憎み、非難してきました。私たちの言葉を新しくしてください。聖霊で満たして、くちびるをきよめてください。恨みやねたみや嘘を捨て、正直にならせてください。そして、人を生かす言葉、いのちの言葉を発することができますように。主が与えてくださる言葉によって夫がいやされ、夫が救われることを願いますので、いつも主がともにいてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
イ・キボク トーチ・トリニティ神学大学院、キリスト教カウンセリング学教授。オンヌリ教会協力牧師、ツラノバイブルカレッジ家庭ミニストリーディレクター。ラブソナタ講師。
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