アメリカの超教派QT宣教団体 「QTライフミッション」代表のキム・ウンエ牧師夫人、 神の御手が私たちのたましいの深みに触れ、 その力によって人生が変えられるQTについてうかがいました。
宗教生活の絶望の中でQTに出会う 大学生の頃から教会に通い、幸せそうな外見とは違い、むなしさがありました。1983年、貿易商事の駐在員として派遣された夫とともにアメリカに渡りました。勉強もし、仕事もしましたが、霊的には渇いていました。熱心に信仰生活をして解決しようと、聖日礼拝はもちろん、教会の奉仕は欠かさず、リバイバル聖会にも積極的に参加しました。しかし、なかなか変わらない自分の姿に絶望し、霊的枯渇状態が深刻になっていきました。37歳の誕生日が過ぎたころ、ある牧師のメッセージの中で「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです」(エペ 5:16)というみことばが私の心に響きました。一分一秒を争ってだれよりも熱心に生きてきたつもりでしたが、神の御心に聞き従って歩むのではなく、自分中心に生きてきた人生は、すべてむなしい時間、失われた時間であったことを悟りました。「人生を無意味に生きてきてしまった。神様を信じると言いながら神様を知らないで、あやうく滅びるところだった」と悟ったのです。翌年の1990年、新年を迎えながら、神様を知りたいという切実な思いで聖書を手に取りました。そして、どなたかからいただいた『リビングライフ』を開きました。それまでQTというものを知りませんでしたが、「ああ! 聖書をこう読めば主の御心がわかり、それに従って生きられるのだ!」と感嘆してQTを始めました。 神の「タッチ」で変化が始まる QTをしながら心に触れたみことばに下線を引き、そのみことばが私の人生を新しく変えていきました。みことばの中におられる主を黙想すると、主のいのちが私のたましいに染み込み、みことばどおりに生きる力が得られます。「私がみことばを読んで黙想しますが、主体は主」であることを忘れないことが大切です。主の御声を聞いて主が与えてくださる力を受けなければ、自分にも世にも勝つことができません。たとえば、「妻たちよ。自分の夫に服従しなさい」(Ⅰペテ 3:1)というみことばを黙想し、夫を変えようとしていた自分の方法を捨てました。悔い改めを通して霊的な高慢が崩れ、従順な姿で夫に仕えられるようになりました。このように私の態度が変わったのを見て、夫もQTを始めました。夫は8年前に牧師の按手を受け、今は男性のQTの働きを導いています。 また別の大きな変化は、神様に対する誤解が解け、私の人生を見つめる視点が変わったことです。以前は私を愛しておられるという神様が、なぜ私に望まない環境を与え、大切な人を連れて行かれたのか、理解できませんでした。幼い頃に母親が亡くなり、弟がはやくに天国に行くなど、大きな悲しみを経験したからです。しかし、マルコの福音書1章41節で、イエス様がツァラアトの病人に触れる姿を黙想しながら、主が私に直接触れてくださるような経験をしました。ツァラアトの病人はイエス様が自分に触れたとき、「イエス様は本当に私を愛しておられるのだ!」と感じたはずです。私もツァラアトの病人のようにのろわれた人生だと思っていましたが、主が私に触れてくださった瞬間、頭だけで理解していた十字架の愛が胸に迫ってきました。そして、「ああ! 主が私をこのように愛してくださっていたのに、私は知らなかったのだ」と心の中で叫びました。のろいだと考えていた環境にも主の意図があったことを知り、主の愛に対する確信が生まれ、私の心の中のすべての傷がいやされました。そして、過去の私のように傷にとらわれ、偽りに縛りつけられている人々がQTを通して回復するのを助けることが、私の使命であることを知りました。そのビジョンによって、アメリカを中心に、セミナーと放送の働きを通してQTを伝えています。
環境を治めるQTの力 木が川のほとりに植えられているからといって、みな実を結ぶわけではありません。根を張って川の水を吸収するとき、葉が青々と茂って実を結びます(詩 1:3参照)。私たちも主のことばに深く根を下ろすとき、成長します。いのちの水の源である神のことばが、毎日たましいの根に触れるとき、たましいの泉があふれます。そうすれば、人々が「わざわい」だと考えるどんな出来事も「祝福」に変える喜びと感謝の力が生まれます。すべての聖徒がこのように毎日みことばを黙想し、環境に振り回されずに環境を治め、実を結ぶ豊かな人生を送られることを願います。
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