キム・ヨンエ夫人は韓東大学初代総長キム・ヨンギル長老の妻であり、 『パピルスのかご』の著者でもあります。 韓東大学での19年、そして引退後ほどなくして始まった夫のガン闘病生活。 苦難の中にある夫人に、神様はどんなみことばを与えられたのでしょうか。
すい臓ガンに対する感謝 2016年5月、夫が健康診断を受けた際、すい臓ガンが見つかりました。知らせを聞いた人々は「いろいろ大変でしょう」と慰めてくれました。本当に最初の1か月は不安でした。夫が死の宣告にも等しいすい臓ガンにかかったのですから。47年間、いつも一緒に過ごしてきたのに、「いつか私はひとり残されるのではないか」という恐れがありました。その頃、黙想したみことばが、使徒の働き28章でした。マルタ島でパウロがまむしにかまれましたが、何の害も受けなかったという内容です。夫はすい臓ガンという恐ろしい病にかかりましたが、ガンが広がらないようにしてくださいと祈りました。そして、パウロのからだに毒が広がらないのを見て原住民たちが驚いたように、信じていない人々が見て驚くようにしてくださいと祈りました。夫の病を通して神様が生きておられることを伝える使命があると信じました。また、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリ 4:6)というみことばを黙想しました。私は「知っていただきなさい」という個所を、「神に明け渡しなさい」という意味に解釈しました。バレーボールをするとき、相手側のコートにボールを送り続ければ勝つではありませんか。感謝をもってささげる祈りを通して神様にすべて渡せばいいのです。そうしているうちに、感謝すべきことがたくさんあることがわかりました。すばらしい医師に出会えたこと、夫が眠ってはまた目覚めること、食事して大小便をすること、多くの人の励ましの手紙やとりなしの祈りなど、すべてに感謝しました。 神の出題意図 QTは観念や哲学ではありません。聖書の中に詰まっている文字を学ぶことでもありません。生きておられる神様と親密になっていく時間です。夫がガンだとわかった時、「神様、なぜですか」とダダをこねたりもしましたが、何としても主のメッセージをつかもうとQTをすると、神様と頻繁に出会うようになりました。頻繁に会うと情が深まります。QTの方法といっても特別なものはありません。私が直面している現実や、私が感じている感情が、聖書にそのまま出てくるので、みことばが頭の中にすんなり入ってきて心に深く残りました。 夫が韓東大学に在職中に大学の財政問題で苦しんでいた頃には、「私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない」(詩 3:6)というみことばを黙想しました。「私たちがイエス様を信じると言って、警察に呼ばれて牢に入れられるなら、世の人々は私たちが神の助けを受けられなかったとあざ笑うではないですか、主よ!」と叫び続けました。するとある日、韓東大学が優秀大学に選ばれ、すばらしい卒業生たちが出て、神様が私たちの恥を拭ってくださいました。ですから、私は一日でもQTを欠かすことはできません。私は神学を学んだわけではないので、ただみことばに従います。たとえば、歴代誌第二20章に、敵が攻撃してきた時、ヨシャパテがひれ伏して祈る場面があります(18節)。私も検察庁から夫に召喚状が来た時、一日中そのようにひれ伏して祈りました。すると、神様が驚くべき方法で救ってくださいました。このようなことがくり返し起こったので、問題が起こった時には神様の出題意図を把握できるようになりました。問題解決のための神様の公式を学んだのです。もちろん、実戦で戦うことは、決して簡単ではありません。しかし、聖書にすべての対応策が記されています。みことばの前にひれ伏すとき、主が解決法を教えてくださいます。不利な裁判の中で決定的な判例が見つかり、劇的に勝訴するようにです。聖書を黙想する中で、現実問題の解答となる判例を見つけることができるのです。
QTによって変えられるクリスチャン 韓東大学のモットーは「世界を変えよう」(Why not change the world?)でしたが、「変える」(change)から一歩進んで「完全に変容させる」(transform)にするべきです。「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(ロマ 5:3~4)とあります。クリスチャンは苦難から宝を掘り出す人々です。忍耐し、練られる過程を通して、キリストに似ていくのです。QTを通して神様との交わりを深め、イエス様に似た者に変えられるみわざが起こると信じます。
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